風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第63回ピースボート・地球一周の船旅23・クリストバル2/マチュピチュ編

2009年02月03日 | 63回ピースボート
ピースボート・地球一周の船旅23
クリストバル②/マチュピチュ編
[11/29~12/4]

マチュピチュ
12/2
4時起床、5時半過ぎにはホテル出発の強行軍である。
クスコから電車もあるが、スイッチバックなのでかえって時間がかかるので、
途中駅・オリャンタイタンボまではバス。
途中雪山を見ることができた。


バスを降りて歩いてオリャンタイタンボ駅に向かう途中

ビスタドーム(天井の一部がガラスになっている展望車・座席指定)

車内

8:15分発。車内で軽食(サンドイッチとお茶)がでた。

さて、鉄道は、ウルバンバ川沿いの急渓谷を這うように下っていく。
実はマチュピチュはクスコより1000mほど低いところにある。
ウルバンバ川は下流に向かって流れるのだが、
その流れはかえって急流となり両側の山も急勾配で迫ってくるのである。
つまり下っているのに、川を山を登っているような感じがする不思議さである。
この川に沿って旧インカ道はあり、それは今日でもトレッキングできるそうである。

インカ道

発電所


マチュピチュ駅には9時過ぎに着いた。

そこから土産物街を抜け、シャトルバスで、でこぼこ山道を30分ほど揺られるとマチュピチュ遺跡が見える。
絶景ではあるが、それは私の想像よりは規模は小さかった。


マチュピチュ遺跡
入り口


ガイドのマリオさんは一番の景観に行こう、一気にと言いたいところだが、
ゆったりゆったりと上って、マチュピチュが一望できるポイント=冒頭の写真の所
へ我々を案内した。

見張り小屋


段々畑




植物園

コカの木

その前にある薬草倉庫

中から外を見る


ガイドのマリオさんとともに


三つの窓の神殿
  

主神殿


王宮跡跡からマチュピチュ山を臨む


方位を示す石


石切場

石を切断する方法


石のモニュメント


ワイナピチュと月の神殿への門


大広場




左のテントは太陽の神殿

太陽の神殿

太陽の神殿の下部[すでに盗掘されていた]


コンドルの神殿

皇帝の居室

王のベッド

皇帝のトイレ跡


水くみ場


遺跡発見時を想像させる草木の進出

屋根の取り付け方


水路




帰りの車中で、乗務員によるファッションショウが行われた

即売会である。

ホテル・リベルタドール宿

マチュピチュはクスコより雨が多く、土壌が流れやすく、岩も多い。
インカ人はどうしてこのマチュピチュを作ったのか、まだ定説はない。
文字を持たなかったインカ人はその文明・歴史を今日に伝える確かなものは多くは残してはいない。
従って、インカの起源を含め、インカは今日なお謎に包まれている。
最近の通説は、インカ帝国の別宮・離宮説である。
広さは遺跡全体で5.5平方キロ位と言われている。
しかもここは山の頂を途中で削って平らにしたかのような地で、
ここに多くの人が生活できるほどの土地はそもそもない。
しかも、急峻の地を越えてこなければならない。
純粋に宗教施設にしてはなんと言っても中途半端だ。
例えば、崇拝する太陽神に近づきたいと言うのであれば、一番の高地に作るだろう。
段々畑はここに住む人々のための農場と言うには狭く、作られる作物も限定されるだろう。
離宮、宗教儀式、墓場を兼ねた施設のような気が私はした。
作物は宗教儀式に必要・神への神聖な捧げものを主に作っ他のではないかと思う。
この地に作られた条件として、材料になる石が豊富にあったこと、
飲み水はマチュピチュ山から引いたこと、農業に必要な雨が降ること、などがあげられている。

クスコがスペインによって侵略され、その一部の人々はここに逃げ込んできたが、
入り口だけを封鎖して、他は破壊しないで、この地を放棄し各地に散らばって行ったそうである。
その後の彼らの行き先、運命はわかっていないと言う。
以来400年にわたって発見されなかった。
この地はクスコより遙かに低地ではあるが、
クスコからここに至る道はきわめて険しい。
急流のウルバンバ川と急峻な山肌はこの地へ進入を遮っている。
強欲なスペイン人もこの地にこうした都市が存在するとは想像するのはむずかしかったろう。
だが、ビンガムが太陽の神殿などを発見した時、
すでに盗掘されていて金目のものはもはや無かったそうである。

暑さはそれほどでもなく、快晴では無かったが日射しは猛烈に強かった。
首筋と、手首の周りは日焼けで後日皮がむけた。

約2時間半の観光の後食事をした。
一時間の自由時間があったので、私は一人でもう一度マチュピチュを歩いた。
上ではなくワイナピチュと月の神殿=入り口から一番奥の出口まで歩いた。
そこに聖なる岩と言われる巨大な岩があるそうだが、
知らなかったのでそこまでは行かなかった。
月の神殿[マチュピチュ山にある]は午前中、一日400人だけ、上ることが許されている。

マチュピチュは二重の危機を迎えていると言われる。
あまりに多くの人々が訪れるために遺跡が痛むこと、
二つには地震多発地帯で遺跡のほぼ真ん中を断層が走っていて、
真ん中を境に分裂・移動が進行してためで、
日本の調査隊が断層に直角に針金を敷設したところ断層が移動して、
針金が二回断裂したとのことである。
近い将来遺跡への立ち入りが制限されるのではないかと言われ始めている。
大きなバックパック、杖などは持ち込みが許されていない。
また、立ち入り禁止地域に入ったりすると監視員の笛がなって、注意される。

シャトルバスに乗り、土産もの街を歩き、駅まで一人で戻った。
帰りの電車の時間まで時間があったので駅のベンチで休んでいると
隣のベンチの子連れのペルー人が話しかけてきた。
彼らは英語は出来ない、私はスペイン語がまるでわからないのだが、
電子辞書を片手にほんの少しだけ話した。
とても楽しい一時であった。
帰りの電車の中では乗務員のファッションショウが行われた。

クスコに着く頃はもう夜で雨が降り出した。
土砂降りの雨であった。山から見るクスコの夜景はきれいであった。
昨日のホテル内で遅い夕食を取った。
高山病は慣れてきたので、ビールを飲んで、風呂にも入った。


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