
さて、残念ながら楽しさはあるが、佳作とはとうてい言えない。
3Dと特殊撮影とCDはおもしろかった。2時間42分の大作である。
この種の映画は、リアリティや物語の辻褄やディテールは問題にならないのだが、
ストーリーは陳腐そのもの、いかにもアメリカのB級映画って言う感じで、大雑把でデリカシーも思想性もない映画だった。
映画館のあらすじ紹介には、
「下半身不随になり、車いす生活を送るジェイクは、衛星パンドラにやって来る。
彼は人間とナヴィ族のハイブリッドであるアバターに変化を遂げ、不自由な体で単身惑星の奥深くに分け入って行く。
慣れない土地で野犬に似たクリーチャーに襲われていた彼は、ナヴィ族の王女に助けられる」とある。
150年ほど後の地球と人類を想定しているようだが、人類は全く進歩していない。
そして、主人公の男性も、対抗する地球人もなんと元海兵隊員というステレオタイプには、ガクッと来た。
舞台の星の名は"パンドラ"、軽々しくパンドラを使わないでほしい。
そしてアバターとは人間とその星の先住民ナヴィのハイブリッドの事らしいのだが、
そのアバターは実体のある存在なのかバーチャルな存在なのかよく分からないのだ。
というのはアバターは日焼け機械のような装置に入った人間の脳によって活動するのだから。
ナヴィはアミニズムの世界・社会で、王や姫がいるのである。
繊細さと無縁の元海兵隊員の主人公とナヴィの姫が恋愛関係になるお決まりの展開にはあきれてしまった。
侵略した人類は、主人公の超人的大活躍とその星の森の動物たちによって粉砕されるのだが、
この敗北では人類はキロ数億円すると言うその星にある鉱物を求めて再侵略するに違いない。
強力な磁場と自然力の前に人類は全く無力で、そこに住むことは出来ないとありふれた結論の方がはるかに良い。
例えば、核を打ち込んでもその星の大気は核を雲のように包んで吸収して無害にしてしまうとか、
爆撃機は強力な風によって宇宙に飛ばされてしまうとか、
ミサイルは強力な磁場によってコントロールできず自らに向かってくるとか、である。
あるいは美しい花々やその香りの為にうっとりして戦闘性を喪失してしまうとか。
最後の戦闘シーンで、ナヴィが銃で人類に反撃するのだが、全く興ざめであった。
昔のインディアン・西部劇を見ているようで不快であった。
ナヴィが流ちょうな英語をしゃべるのは愛嬌である。
私は3D映像を楽しむため日本語版で、また、音響を楽しむために名画座ではなくMOVIXで見た。
ナヴィが戦闘に行く時の化粧や鼻を付ける挨拶はニュージーランドのマオリからの引用か。

これがアカデミィー賞をとったらお笑いではある。
最もアメリカのアカデミィー賞はそもそも芸術性とか優秀さとは無縁の商業主義だけなのだが。
ダンス・ウイズ・ウルフズや宮崎駿作品などのぱくりも沢山感じられる。
これなど天空の城ラピュタそのもの。

シニア料金1000円、そのほか3Dメガネ代は300円。