まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

津波の被災地・気仙沼へ(その1)

2011年06月16日 | 旅行記B・東北

先の週末は会社の研修&お散歩だんらんの会の集会参加、それに千葉マリンスタジアムでの野球観戦ということで出かけたのだが、行く前はまさかこのような行動になるとは全く思いもよらなかった。

JR東日本の全線が一日乗り放題となる「JR東日本パス」の存在を知ったのは研修で降り立ってからの話。そこからいろいろと悩んで結局パスを購入したことについては先の記事でも書いたところである。単純に東京から青森まで新幹線で往復して、未乗車区間である新規開業の八戸~新青森までの乗りつぶしをするという楽しみ方もあるのだろうが、やはり震災関係、特に西日本にいる者としてはなかなか被害を実感する機会がないところで、鉄道の通っている限りのところで、この目で何かを見てみたいという気持ちが起こったのも確かである。

時刻表で検討するに(それにしてもパスを買った大宮駅で時刻表とにらめっこしたが、節電による減光というのはやはり目には辛いこと)、津波の被害にあった三陸を目的地とするのであれば、南なら石巻(古川~小牛田~前谷地と乗り継ぎ。また松島からは代行バスがあるらしい)、または県北の気仙沼のいずれかというところである。石巻を目的地とするのであれば仙台にも少し立ち寄るだけの時間もできる。正直、迷うところである。

Dscn8753ただ、そんな迷いも案外早く解消した。大宮で午前中に鉄道博物館を見学後、お散歩の集合場所である池袋に向かう途中で赤羽で下車。すると駅前では東北地方の復興支援ということで、福島県産の野菜をはじめとして土地の産品を売り出すバザーが行われていた。その中で、義援金の募集とともに、被災地の写真パネルが展示されていたのを見る。

Dscn8754そこにあったのが気仙沼の写真。もう4年前になるが気仙沼を訪れた時に港町を歩いたのだが、見覚えのある建物が崩れ、漁船が陸に打ち上げられた震災直後の写真にうならされるものを感じた。あれからちょうど3ヶ月、街中はどうなっているのだろうか。

そのことを思い、翌12日の行き先は気仙沼ということにした。一ノ関から大船渡線が気仙沼までは復旧しており、それで向かえば現地には3時間あまり滞在することができる。別にボランティアをするわけでもなく、気仙沼に誰か知り合いがいるというわけでもなく、動機不純の野次馬的気分で訪れているだけではないか?という方もいらっしゃるだろうが、私なりに何か震災に近いところで何かを感じたいと思ったことは確かである・・・。

さてお散歩を楽しみ、その日の夜は池袋での懇親会。ホテルに戻ると結構いい時間になったが、次の日の動きを考えるとしんどいとは言っていられない。朝5時に池袋を出発、地下鉄で東京まで向かう。

Dscn8810_2さて東北新幹線のホームに上がると、日曜の朝にも関わらず結構な乗客の数。震災後の特別ダイヤということで指定席の数も減らしているのだが、やはり東日本パスの影響か、自由席には長蛇の列。震災後には一部区間の徐行運転で所要時間も20分程度延びているようだが、もうここまで来れば多少の遅れは気にすまい。とりあえず、早期に新幹線が復旧し、北への大動脈の確保、青森に至ってはディスティネーションキャンペーンでもっと観光客に来てほしいと呼び掛けているくらいだから、新幹線の精神的なよりどころというのはすごいものがある・・・・。

Dscn8814 車両には「つなげよう、日本」のステッカー。その文字が頼もしく見えるというのはちょっと大げさかな。実際に乗ってしまえば、これまで何回か東京から東北に向かって走る普段の新幹線の車内の光景である。朝が早かったので多少居眠りするが、東京ではどんよりしていた雲が北に向かうにつれて晴れ間が広がってきたのを見るのはよいものだ。

郡山を過ぎると、パッと見た感じでは普通の街並みであるが、ところどころ、瓦葺きの屋根に青いビニールシートをかぶせ、石で重石にしている家を見る。ここは震災で強い揺れにより家が持たなかったのだろう。ただそんな中仙台に到着した時には、これはいつもの仙台市内と変わらないなというイメージを持った。少なくとも普段の人々の生活に多少の落ち着きが出てきたのかなと思う。

Dscn8824 一ノ関に到着。ここで新幹線を降りる。先日世界遺産の暫定リストに登録された平泉への玄関駅ということで、外国人観光客の姿も見る。ここから「ドラゴンレール大船渡線」に乗車して、陸前の港町である気仙沼を目指すのであった・・・・。(続く)

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