今年は台風というよりは梅雨前線、秋雨前線による大雨の被害が西日本のあちらこちらで発生している。その中でも39人が死亡するという大きな被害となったのは広島市内。安佐南区や安佐北区というのは、私が広島勤務時代に一時所属していた営業所のテリトリーで、八木や緑井、可部というところはよく回っていたところである。広島から可部を経由して三次にいたる街道沿いの古くからの集落と、近年広島のベッドタウン、ニュータウンとして開発されたところが混在している。あの辺はああいう道だったなあと憶えている懐かしいところだ。拙ブログとしても、お悔みとお見舞いを申し上げます。
さて、北信越の旅行記を再開するが、前回は初日の美濃太田のところまでを書いた。これからは高山線で飛騨路を行くのだが、この線も17日の大雨のために不通となった。この日の雨では高山線、山陰線、福知山線などが不通となったのだが、私が行った14日の時点では、まさかそのようなことになるとは知る由もなかった。
12時40分に美濃太田を出発。途中の長時間停車も含めて、猪谷までは4時間以上乗車することになる。この長時間の鈍行乗車が本日のメインである。キハ48の2両編成はボックス席も結構埋まる。下呂、高山まで直通することから、そちらを訪れる観光客らしき姿も見る。私のいるボックスとその隣のボックスにまたがって座った5人グループも、会話の内容から下呂に行くようで、幹事役らしい人の手には5人分まとめて日付印が押された青春18きっぷがある。
木曽川の上流に当たる飛騨川に沿って走る。途中雨が降ったりやんだりである。「雨降ってもうたらかなわんなあ」と、隣のボックスから声がする。下呂では2時間ほどの散策をするようである。実はこういう形で下呂まで往復しようというのは、私のこの夏の「青春18サイコロの旅」の選択肢の一つにあった。高山線は何度も乗っており、高山の町は歩いたことがあるものの下呂には降りたことすらない。そして今回も通過してしまう。
上麻生を出ると周囲は渓谷ムードとなる。こうした山と川の景色には雨が似合うように思う。山紫水明というのかな。ただ最近の雨はシトシトというより、ゲリラ豪雨のように一時に大量に降ってしまうのがよくない。白川口からは飛騨の国である。飛騨と聞いただけで遠くまで旅に出てきたという感じがする。世界遺産に白川郷の合掌造りの集落があるが、「駅から白川郷までどのくらいで行けるのかな」という会話も聞こえる。あちらの白川郷とは同じ県内でも全く離れたところであるが、「白川」という地名の由来には何か共通点があるのかもしれない。
この辺りはダムも何ヶ所かあるところで、ダム湖が静かな佇まいを見せている。そこから水蒸気がほどよく上がっており、何とも幻想的である。隣のグループもその車窓に歓声を上げ、それぞれデジカメやスマホで撮影を試みるが、なかなかタイミングが上手くいかないようである。たまに写ったら一面の霧で何も見えないとか、窓ガラス越しにおっちゃんの姿が反射して心霊写真みたいになったと言っては笑っている。
森と渓谷、そしてダム湖を抜け、下呂の町並みが開けてきた。ここで乗客の半数が下車。ここからさらに上って行く。山にあるのに「渚」という名前の小駅も過ぎる。
久々野に到着。ここで列車の追い越しや行き違いで30分近く停車する。しばしの小休止ということで外に出る客も多い。美濃太田と比べて「涼しい」と思わず口に出る。
駅舎前に「高山線で一番海抜の高い久々野駅」の木柱があり、「標高六七六米」とある。天候が曇りということもあるが、やはり高地に来たなと実感する。小さな集落が広がる静かな山間の町である。
高山方面から特急「ひだ」がやってきて一時停車。続いて岐阜方面から同じく「ひだ」が通過して行き、高山方面からの「ひだ」がその後に発車。さらに高山方面から普通列車がやって来る。高山の手前で4本の列車が相次いで顔を見せる。高山に所用で急ぐ鈍行の客にとっては、あと2駅のところで30分近く足止めを食うのはたまったものではないが、青春18の旅行客にとっては「これぞ鈍行の旅」という楽しみだろう。
飛騨一ノ宮を過ぎる。この後の17日の豪雨で飛騨一ノ宮~高山間に土砂が流入し、2日間不通となるのだが、もちろんこの時はそうなることは知る由もない。美濃太田を出た後では降っていた雨も高山まで来ると止んでいた。
この高山でも25分停車。おまけに列車番号も変わる。観光客はここで下車し、残ったのはそれこそ岐阜から富山まで高山線を乗り通そうという旅行者となる。ただ高山からも富山方面に抜けるそれなりの数の乗客も乗ってくる。
時間があるので私も一度改札を出る。今夜は高山に泊まろうかという客と、これから岐阜、名古屋方面に帰ろうという客で駅前はごった返している。それらを一瞥し、美濃太田では実はまともな食事をしていなかったこともあり、いろいろ並ぶ駅弁に目が行く。その中で選んだのが「飛騨牛しぐれ寿司」。牛肉のしぐれ煮とローストビーフという、和洋の味を楽しむことができる。
高山からは仕切り直しのような感じで発車。飛騨古川、飛騨細江、杉原というところも歩いたり宿泊したりという思い出のあるところである。相席となった人と一時仲良くなったこともある。もう10何年も前のことだが、「自然豊かなところに住みたい。旅行しながらその場所を探してみたい」と言っていたのだが、果たして今はどのような暮らしをしているか。案外都市に戻っているのかな、などと思ってみる。
16時58分、猪谷に到着。ここからはJR西日本の区間に入る。飛騨から越中に抜ける、かつては関所も置かれたところである。かつては神岡鉱山方面に抜ける神岡鉄道というのも走っていた。この線は廃止されたが、廃線後の線路の上をマウンテンバイクで走るという珍しい乗り物があるというので話題になっている。
富山方面から折り返しの気動車がやって来たが、ホームの富山寄りの端のほうに遠慮がちに停車する。ホームは1本なのだが、高山方面と富山方面の気動車がそれぞれ端のほうで遠慮がちに泊まるのはどうしたものか。お互いもう少し近づけばと思うのだが・・・。
猪谷からは同じ気動車でもコンパクトなものである。駅の写真など撮っていたら乗客が先にボックス席に陣取ってしまい、ロングシートに腰かける。ここからは神通川に沿って平野部が広がるところだが、少しずつ暗くなってくるし、先ほどの渓谷ムードに比べると平坦な車窓に見えて、ここでは読書しながら富山まで1時間揺られる。
18時15分、富山に到着。来年の北陸新幹線開業を前に駅舎工事も着々と進んでいるようである。仮駅舎までの長い通路を歩く。通路では北陸新幹線のPRが行われており、地元企業の人たちの歓迎メッセージ写真も並ぶ。北陸新幹線か・・・。JRの乗りつぶしタイトル保持者としては、これにも開通直後とは言わなくてもなるべく早く乗りたいところではある。(写真は、改札前にあった巨大な寿司の模型)
この日は富山での宿泊とする。まずはホテルにチェックインして、久しぶりの「キトキト」魚を味わうところであるが・・・・。