まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第15回四国八十八所めぐり~第61番「香園寺」

2018年02月21日 | 四国八十八ヶ所
明けて2月12日、テレビの朝のニュース、天気予報では日本列島への寒波の襲来を告げていた。眠たい目で画面の上に表示された字幕を見て「えっ?」と驚く。「徳島道、高知道、松山道、今治小松道 雪のため通行止め」。字幕は一瞬なので見間違いもあったかもしれないが、雪で四国の高速道路にも何らかの影響が出ていることは確かなようだ。川之江ジャンクションから阿波池田、大豊の辺りが雪なのだろう。

この日は、今治駅13時発の大阪梅田行き高速バスで戻る。これらは松山道、徳島道を経由するわけだが、高速道路が通行止めとなるとどういうルートを通るのか、あるいは最悪運休してしまうのか。まあ、昼には回復するだろうし、いざとなれば列車で瀬戸大橋を回れば大丈夫だろう・・(本当は、そうした楽観的すぎる観測はよくないのだが)。

朝食をいただき、身支度をしてもう一度桟橋からの海の景色を見た後で、今治駅に向かう。今治では青空が広がっており、四国でも雪の影響があるとは信じがたい。ただ道端を見ると、雪とも霜とも見える白いものが薄っすらと広がっているのがわかる。

さて、この日の午前中にどこに行くかをまだ決めていなかったが、今朝の天気予報など見るうちに、島へ渡るのは見送ることとして、陸路でつながっている「次の札所」を目指すことにした。八十八所めぐりの延長戦だが、次の伊予西条シリーズの始まりをにらんで、今回のゴール地点をもう少し東に進めておくことにする。大山祇神社は一昨年に広島側から訪ねたこともある。

さて行くとすれば61番の香園寺、62番の宝寿寺で、63番の吉祥寺は少ししんどいかな。ここでお気づきの方がいるかどうか、前日最後に訪ねた国分寺は59番で、札所順で行けば次は60番の横峰寺である。ただこの横峰寺は、伊予の国のラスボスとでもいうような札所で、伊予西条からの登山バス、または麓から2時間の山歩きで行くところ。ここは時間がかかるし、特に厳密に札所順で回っているわけでもないので、ここだけに対して次回の目玉ととして1日を取るつもりである。一方で61~64番は国道11号線沿いの比較的近いところに固まっていて、今回そのうちのいくつかを先に行こうというものである。

今治駅にはまた戻るので大きなバッグはコインロッカーに入れて、金剛杖とリュック、それに白衣を着込んで8時13分発の新居浜駅行きのせとうちバスに乗る。休日ということもあってか乗る人はまばらである。前日通った県道38号線を走る。町並みの向こうに、日本食研のKO宮殿工場の屋根も見える。ここから四国めぐりの東への道が延びることになる。

国道196号線に入ると今治小松自動車道の今治湯ノ浦入口だが、「通行止」の札が出てクローズされている。この辺りに積雪があるわけでなく走れそうなものだが、すぐ接続する松山道の影響を考慮してのものだろうか。

休暇村瀬戸内東予を過ぎると西条市に入る。河原津海岸の砂浜が広がる。

今治駅から40分あまり走り、予讃線の線路下をくぐって国道11号線に入る。すぐに西条市の小松総合支所が見えて、バスはその西側のファミリーマートに入る。ここが小松総合支所のバス停で、ここで下車する。今治駅からの運賃は870円。なお、1キロ弱東には予讃線の伊予小松駅があり、今治からの運賃は450円。バス、列車とも便数は同じようなものだが、運賃の安さと時間の速さではJRに軍配が上がる。乗り鉄の私がそれでもバスにしたのは、小松総合支所のほうが駅より西にあり、これから目指す香園寺に近いのと、次の62番宝寿寺が伊予小松の駅前にあるからである。行きにバスで行って香園寺、宝寿寺の順に東へ進み、伊予小松駅をゴール地点とすることができる。

このファミリーマートは国道沿いのコンビニとしてだけではなく、建物の一部がバスの待合室になっている。新居浜~今治、松山への路線バスの停留所だし、朝の大阪行き、夜の今治行きの高速バスの一部も停まる。香園寺からも近い。

国道11号線を西へ戻る形で数分歩くと、196号線の交差点の角に三嶋神社がある。石段を上がって立ち寄ってみる。ここだけ丘になっているが、昔は古墳だったそうである。神社は奈良時代の初めに、当時「井出郷」と呼ばれていた伊予小松の総鎮守として大山祇大神を勧請したもので、江戸時代には伊予小松藩の藩主だった一柳氏も篤く信仰していた。手水場も何代目かの藩主が奉納したとある。

神社、元古墳のある丘を下るともう香園寺に続く参道である。香園寺の石柱の後ろに何やら新しい看板が顔を覗かせているのはひとまず置いて、先に進む。ここも仁王像の山門がなく、そのまま境内に入る。

すると、目の前には何やら寺らしからぬ四角の建物がそびえる。これが香園寺の本堂である。四国めぐりの書物やネット記事でかねてから噂には聞いていたが、こんな建物だとは。何も知らなければ新興宗教の建物かなと思うところだ。

香園寺を開いたのは聖徳太子とされる。父である用命天皇の病気平癒を願ってのことだという。また弘法大師がこの寺を訪ねた時、門前で身重の女性が苦しんでいた。大師が栴檀の花で香を焚いて加持祈祷をすると女性は元気な男の子を産んだ。その後、栴檀の香を焚いて安産、子育ての祈祷を行うようになり、信仰を集めた。このため、本尊の大日如来と合わせて、子安大師の寺としての歴史を持つ。この本堂は1976年に建てられたコンクリート造りのものである。

こうした建物だからか、ろうそく、線香のお供えは必ず屋外で行うようにとの注意書きがある。また、本堂と大師堂は横手の階段を上がった2階にある。市民会館の入口のようなところで靴を脱いでスリッパに履き替えて中に入る。

そこに現れたのがこの光景。中央に大日如来、右手に弘法大師の像を祀る内陣があるのはわかる。特徴なのは座席で、畳敷きではなくそれこそ市民会館のホールのような座席がずらりと並ぶ。収容人数?は700人ほどである。四国八十八所めぐりのバスツアーの団体でも座りながらにお勤めができる。もっともこの時は、私の他に二人いるだけだった。そのうち一人は錫杖を持っていたから先達のようで、大日如来に近いところで、ホール座席には座らず床の上に正座してのお勤め。やはり椅子があることに違和感があるのかな。もう一人は年配の女性で、こちらはゆったり椅子に腰かけて長く経本を読んでいる。文句からどうやら理趣経のようだ。結構長い経本なので、お年寄りには椅子の席で読むのが楽なのだろう。香園寺の本堂をこのような造りにしようと考えた人は、そこのところを意識して設計したのかなと思う。

本堂の側壁には安産祈願のお礼だろうか、赤ちゃんの写真がずらりと並ぶ。それだけ広く親しまれているのだろう。また、本堂の手前には子安大師の像が立つ大師堂もある。

納経所の建物はプレハブ式で、工事現場の事務所のような造りである。ここで香園寺の朱印をいただいた時、普段なら本尊の御影がセットでついてくる(香園寺の場合は大日如来)のだが、こちらでは子安大師の御影も一緒についてきた。寺としても、本尊大日如来以上に?子安大師を前面に出すところがあるのだろう。

その大日如来と子安大師の御影とともに納経帳を返された時、「続けて62番に行かれるなら、駐車場内の礼拝所をオススメしてます」という一言を添えられる。これもネット記事などで噂には聞いていたことだが、ここでようやくその現場に来たのかと実感する。いや、それを少しでも早く感じたくて、大山祇神社をパスして伊予小松に来たのかもしれない。

特に四国めぐりにそこまで興味のない方にとってはどうでもいい話だが、次の62番の宝寿寺については、「62番問題」とでもいうようないざこざがある。落ち着いて考えれば、昨今のご朱印ブーム、巡拝ブームにも絡むことなのかなと思うのだが、次の記事で書くことにする・・・。
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