11日、泰山寺~国分寺を回ったところで当初訪ねる予定にしていた札所は終了。ただ時刻は12時半を回ったところで、午後をどう過ごすかというところである。鉄道なら最寄駅は先ほど近くを通った伊予富田か、この先もう2キロほど進んだ伊予桜井。
一方、国分寺は寺のすぐ近くにバス停がある。せとうちバスの路線で、今治駅との桜井団地循環線である。1日6往復しかないのだが、この後12時45分発の便がある。あらかじめこの便を当てにしていたわけではなかったのだが、いいタイミングである。この便は今治駅方面に向かうのでそのまま乗ることにする。先ほど一瞬、次のシリーズでと考えていたさらに東の伊予西条の手前を目指そうとも考えていたのだが、今日のところはいいかなと思う。
バスは国分寺の北の高台にある唐子台の住宅団地を回り、県道38号線に出る。朝方、東予港から今治駅へのフェリー連絡バスで通った道である。先ほどは夜明け前で周りの様子はよくわからなかったが、昼間ともなるとロードサイドの大型店もいろいろ並び、クルマの交通量も多いところである。
このままバスに乗れば今治駅に戻れるのだが、途中の喜田村というバス停で下車。県道沿いの今治ワールドプラザの横の道を数分歩く。なおこの喜田村は、県道38号線と、今治桟橋方面に向かう産業道路が合流するところで、ここからだとバスの本数も少し増える。
突き当りには瀬戸内なのに椰子の木が植えられ、それを抜けると海岸に出る。燧灘に面した東村海岸公園である。四国めぐりも燧灘までやって来たかという実感がする。これは自然の砂浜なのか、東の方向に長い海岸線が伸びる。はるか向こうに煙突やドックが見えるのは東予港、伊予西条の辺りだろうか。こういう海岸が整備されているとは知らなかったが、夏場などは地元の人たちが海水浴でも楽しむのだろう。
前にも黒潮に面した土佐入野でもやったが、砂浜に金剛杖を立ててみる。瀬戸内海に来たのだなと改めて実感する。
さて、公園の西側に松林があり、その向こうに緑色の屋根を構える一風変わった建物がある。砂浜を伝ってそちらの方に向かう。この建物が、今回の札所めぐりの中で時間があれば行ってみることを勧められた建物である。当初は時間も読めなかったのと、アクセスが悪そうなのでどうかなと思ったのだが、時間もできたし、喜田村のバス停から少し歩けば着く距離だったので来てみることにした。
それは日本食研の本社である。「焼肉焼いても家焼くな~」のCMで知られる焼肉のたれをはじめとした調味料のあのメーカーである。今治が本社ということだが、その工場がヨーロッパの宮殿を模した外観というのが、これも珍スポットとして知られている。工場には世界食文化博物館というのも併設しており、工場と合わせて個人、団体での見学を受け付けている。
ただ、こうした施設というのは工場が稼働している平日のみ公開というところが多い。日本食研のホームページによれば、やはり土日祝日は工場見学は休みとある。それでは行っても仕方ないかなと思っていたが、ネットで検索すると、ある人の旅行記で土日祝日でも「KO宮殿工場」の外観は見ることができるとある。工場の中は仕方ないとして、もし見られるものなら見ようということで、金剛杖を突いてやって来た。
正門の守衛所で訊ねると、もちろん宮殿工場は休みなので中は見られないが、中庭だけなら15分限定で無料で入ることができるという。ただし安全管理のためということで免許証などの身分証明書の提示を求められ、申込書に住所氏名電話番号と、今治に来た目的を記載する。白衣に金剛杖とは、見る人が見れば四国巡拝の者とわかるだろうが、企業の敷地に入るとはかえって怪しいかなと思いつつ記載する。別に金剛杖を取り上げられることもなく、庭園見学のストラップを渡されて「どうぞ」となる。この時の見学者は私だけだった。
そして現れたのがこの建物。話には聞いていたが「ここまでやるか」という造りである。モデルとなったのはウィーンのベルヴェデーレ宮殿(現在はオーストリア絵画館となっている)。日本食研の主力の焼肉のタレが「晩餐館」というブランドで、そうなるとヨーロッパ宮殿の晩餐会のイメージということだ。それならまだしも、工場を宮殿風に造ってしまうところが、シャレが効きすぎている。
建物の近くまで行って改めて見ると、壁にもさまざまな彫刻が施されている。単に外観をそれっぽく造るのではなく、細部までのこだわりというのを感じる。中庭全体を撮ると日本食研のキャラクター「バンコちゃん」も写真に収まるが、建物の一部だけを切り取って撮ると、本当にウィーンに行ったかのような気持ちになる(これまでウィーンどころか、ヨーロッパにすら行ったことがないので余計に)。つい先ほどまで、昔ながらの四国札所でローソクや線香をあげて般若心経を唱えていたのが、気が付けばウィーンにいるとは妙なものだ。
内装にもさまざまなこだわりがあるそうである。また、世界食文化博物館という名のとおり世界各国の調理道具や食器なども多数展示されているとのこと。今回は残念ながらそれらを見ることはできなかったが、ともかく珍しいものを見せていただいた。
本社ビルの前には、日本食研の創業者で現会長の大沢一彦氏とバンコちゃんの像が立つ。一代で会社をここまでにするには相当なご苦労やいろんなことがあったかとは思うが、像の横に書かれた略歴を見ると、なぜかゴルフのハンデがシングルになったことなども触れられている。やっぱり、シャレの強い方なのかと勝手に想像する。
そろそろ15分の時間となり、守衛所に戻る。「記念にどうぞ」と差し出されたのが焼肉のたれ「宮殿」の試供品。思わぬ土産も手に入って工場を後にする。海岸公園にてようやく白衣を脱ぐ。この宮殿工場はいわゆる遍路道からは外れており、クルマならともかく歩きや公共交通機関ならなかなか訪ねることもないと思うが、これも今治の町の顔の一つということで寄り道するのも面白いと思った。今治に行くのなら・・と宮殿工場を勧めていただいた方に感謝する。
再び喜田村に戻り、今治駅方面へのバスまで時間があるので讃岐うどんで遅めの昼食とする。その後は隣接する明屋(はるや)書店をのぞく。愛媛を中心に店舗を展開するこの大型書店は、57番栄福寺の白川密成師も僧侶になる前に店員として勤めていた。中は四国らしく遍路本のコーナーもあり、遍路ガイドや写経用紙に混じって、『ボクは坊さん。』の単行本も「今治にある第57番栄福寺の住職さんの本です」のキャッチコピーとともに置かれている。
バスの時間となり、今治駅まで移動する。時刻は15時近くで、これで朝から一巡と言うことになった。コインロッカーに預けていたバッグを取り出し、市の中心部に向けて歩き出す・・・。
一方、国分寺は寺のすぐ近くにバス停がある。せとうちバスの路線で、今治駅との桜井団地循環線である。1日6往復しかないのだが、この後12時45分発の便がある。あらかじめこの便を当てにしていたわけではなかったのだが、いいタイミングである。この便は今治駅方面に向かうのでそのまま乗ることにする。先ほど一瞬、次のシリーズでと考えていたさらに東の伊予西条の手前を目指そうとも考えていたのだが、今日のところはいいかなと思う。
バスは国分寺の北の高台にある唐子台の住宅団地を回り、県道38号線に出る。朝方、東予港から今治駅へのフェリー連絡バスで通った道である。先ほどは夜明け前で周りの様子はよくわからなかったが、昼間ともなるとロードサイドの大型店もいろいろ並び、クルマの交通量も多いところである。
このままバスに乗れば今治駅に戻れるのだが、途中の喜田村というバス停で下車。県道沿いの今治ワールドプラザの横の道を数分歩く。なおこの喜田村は、県道38号線と、今治桟橋方面に向かう産業道路が合流するところで、ここからだとバスの本数も少し増える。
突き当りには瀬戸内なのに椰子の木が植えられ、それを抜けると海岸に出る。燧灘に面した東村海岸公園である。四国めぐりも燧灘までやって来たかという実感がする。これは自然の砂浜なのか、東の方向に長い海岸線が伸びる。はるか向こうに煙突やドックが見えるのは東予港、伊予西条の辺りだろうか。こういう海岸が整備されているとは知らなかったが、夏場などは地元の人たちが海水浴でも楽しむのだろう。
前にも黒潮に面した土佐入野でもやったが、砂浜に金剛杖を立ててみる。瀬戸内海に来たのだなと改めて実感する。
さて、公園の西側に松林があり、その向こうに緑色の屋根を構える一風変わった建物がある。砂浜を伝ってそちらの方に向かう。この建物が、今回の札所めぐりの中で時間があれば行ってみることを勧められた建物である。当初は時間も読めなかったのと、アクセスが悪そうなのでどうかなと思ったのだが、時間もできたし、喜田村のバス停から少し歩けば着く距離だったので来てみることにした。
それは日本食研の本社である。「焼肉焼いても家焼くな~」のCMで知られる焼肉のたれをはじめとした調味料のあのメーカーである。今治が本社ということだが、その工場がヨーロッパの宮殿を模した外観というのが、これも珍スポットとして知られている。工場には世界食文化博物館というのも併設しており、工場と合わせて個人、団体での見学を受け付けている。
ただ、こうした施設というのは工場が稼働している平日のみ公開というところが多い。日本食研のホームページによれば、やはり土日祝日は工場見学は休みとある。それでは行っても仕方ないかなと思っていたが、ネットで検索すると、ある人の旅行記で土日祝日でも「KO宮殿工場」の外観は見ることができるとある。工場の中は仕方ないとして、もし見られるものなら見ようということで、金剛杖を突いてやって来た。
正門の守衛所で訊ねると、もちろん宮殿工場は休みなので中は見られないが、中庭だけなら15分限定で無料で入ることができるという。ただし安全管理のためということで免許証などの身分証明書の提示を求められ、申込書に住所氏名電話番号と、今治に来た目的を記載する。白衣に金剛杖とは、見る人が見れば四国巡拝の者とわかるだろうが、企業の敷地に入るとはかえって怪しいかなと思いつつ記載する。別に金剛杖を取り上げられることもなく、庭園見学のストラップを渡されて「どうぞ」となる。この時の見学者は私だけだった。
そして現れたのがこの建物。話には聞いていたが「ここまでやるか」という造りである。モデルとなったのはウィーンのベルヴェデーレ宮殿(現在はオーストリア絵画館となっている)。日本食研の主力の焼肉のタレが「晩餐館」というブランドで、そうなるとヨーロッパ宮殿の晩餐会のイメージということだ。それならまだしも、工場を宮殿風に造ってしまうところが、シャレが効きすぎている。
建物の近くまで行って改めて見ると、壁にもさまざまな彫刻が施されている。単に外観をそれっぽく造るのではなく、細部までのこだわりというのを感じる。中庭全体を撮ると日本食研のキャラクター「バンコちゃん」も写真に収まるが、建物の一部だけを切り取って撮ると、本当にウィーンに行ったかのような気持ちになる(これまでウィーンどころか、ヨーロッパにすら行ったことがないので余計に)。つい先ほどまで、昔ながらの四国札所でローソクや線香をあげて般若心経を唱えていたのが、気が付けばウィーンにいるとは妙なものだ。
内装にもさまざまなこだわりがあるそうである。また、世界食文化博物館という名のとおり世界各国の調理道具や食器なども多数展示されているとのこと。今回は残念ながらそれらを見ることはできなかったが、ともかく珍しいものを見せていただいた。
本社ビルの前には、日本食研の創業者で現会長の大沢一彦氏とバンコちゃんの像が立つ。一代で会社をここまでにするには相当なご苦労やいろんなことがあったかとは思うが、像の横に書かれた略歴を見ると、なぜかゴルフのハンデがシングルになったことなども触れられている。やっぱり、シャレの強い方なのかと勝手に想像する。
そろそろ15分の時間となり、守衛所に戻る。「記念にどうぞ」と差し出されたのが焼肉のたれ「宮殿」の試供品。思わぬ土産も手に入って工場を後にする。海岸公園にてようやく白衣を脱ぐ。この宮殿工場はいわゆる遍路道からは外れており、クルマならともかく歩きや公共交通機関ならなかなか訪ねることもないと思うが、これも今治の町の顔の一つということで寄り道するのも面白いと思った。今治に行くのなら・・と宮殿工場を勧めていただいた方に感謝する。
再び喜田村に戻り、今治駅方面へのバスまで時間があるので讃岐うどんで遅めの昼食とする。その後は隣接する明屋(はるや)書店をのぞく。愛媛を中心に店舗を展開するこの大型書店は、57番栄福寺の白川密成師も僧侶になる前に店員として勤めていた。中は四国らしく遍路本のコーナーもあり、遍路ガイドや写経用紙に混じって、『ボクは坊さん。』の単行本も「今治にある第57番栄福寺の住職さんの本です」のキャッチコピーとともに置かれている。
バスの時間となり、今治駅まで移動する。時刻は15時近くで、これで朝から一巡と言うことになった。コインロッカーに預けていたバッグを取り出し、市の中心部に向けて歩き出す・・・。