8月14日、午後をすっかり回ったところで気仙沼の市街地に入ってきた。震災発生からこれで3回目の訪問だが、前回から6年経っており、町の様子もすっかり変わっている。津波に遭った南気仙沼駅の姿というのも覚えているのだが、BRTとなってからは県道沿いに移された。これまでは港への最寄り駅だったが、少し離れた形となる。
港に向かう前にいったん気仙沼駅方面に出て、回り込む形で港にやってきた。こちらもすっかり様子が、町の形が変わった。
かつて商店が並ぶ一角、津波の大きな被害があったところに「グラウンドゼロ」というのがあった。2001年に発生したアメリカ同時多発テロの現場になぞらえて、震災を忘れてはならないとのモニュメントとして、被災した漁船の浮き玉や大漁旗などを飾り立てた。地震発生時刻の14時46分を指した時計も置かれた。前回訪ねた時は敷地も広がり、小公園の趣もあった。
大島行きのフェリー乗り場には新たな施設ができているし、その横も新たな商店街の建設が進んでいる。確かグラウンドゼロはこの辺りだったのではと思うが、かさ上げ工事にともなう道路整備のため、2015年には撤去されたという。市ではなく個人の方が自力でやっていたものなので仕方ないか。
漁港に回る。昼食がまだで、おさかなセンターではどうかと中に入るが、この時間にも関わらず食堂は長蛇の列。やはり手前で済ませておけば、と残念がる。他に海産物が販売コーナーに並ぶが、生ものか冷凍加工品がほとんどで、旅で持ち歩くには不適だ。残念だが仕方がない。
仕方がないといえば、本当はこの先の町の中心部の復興の様子も見たかったのだが、時間が押している。この日の宿泊地である大船渡まではまだ40キロ近くある。
押しているという時間だが、今の時刻はこれ。このガソリンスタンドも津波に遭ったが、地震発生の14時46分で止まっている時計を掲げている。その時刻と、今歩いているこの時刻がピタリ合っているのだ。意図したことではなく全くの偶然である。気仙沼はこれでいいかなと思った。先ほどの伝承館や岩井崎といった、元々予定に入っていなかったスポットに接することもできたし。
港の先を見るのはまた次の機会として、市街地を北に抜けて唐桑町に出る。気仙沼線の鹿折唐桑駅近くに巨大な漁船「第18共徳丸」が打ち上げられていて、一種の観光スポットになっていたところだ。気仙沼市は保存を目指し、船を保有していた水産会社も同意していたが、住民の反対により漁船は撤去され、今は復興住宅が建ち並ぶ一帯である。まあ、漁船についてはこれまで多くの人が訪ねるとともに、画像や映像も多く残されている。先ほどの伝承館にもあったはずだ。今はそうした技術は発達しているので、アーカイブとして残すというのも選択肢だと思う。これも地元の人たちが出した答えである。
さて大船渡に向かうのだが、その前に陸前高田を通る。陸前高田といえば・・ということで、あのスポットには立ち寄ろうと思う・・・。