まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

被災地復興を見る~三陸町越喜来

2019年09月12日 | 旅行記B・東北

8月16日、この日は日本海を北上する台風10号の影響で、岩手県沿岸も午後から雨の時間帯があるという。まあ、直接東北を通過するわけではないのでマシである。

さて、大船渡プラザホテルを朝の6時半に出発する。前からの記事で、この夜の宿泊地を普代村の黒崎から別の地に変更したと触れているが、その場所とは内陸部に入った岩泉である。たまたま、温泉ホテルの和室2食つきが空いていたのを13日に見つけて予約した。岩泉に泊まる気になったのは、今は廃線となった岩泉線の終着駅があったところで、当時、東北のJR全線の乗りつぶしを達成したのがこの駅だった思い出がある。一方で、その北にある日本三大鍾乳洞のひとつである龍泉洞には行っていないのと、並走する道路をたどって岩泉線の廃線跡を見てみようということもある。これらは最終日の17日に取っておいて、そのまま宮古まで出て三陸自動車道で一気に仙台に戻ることにする。

その前に16日だ。岩泉には明るい時間に着くとなると移動も結構ハードである。被災地めぐりもあるが、三陸のリアス式海岸の名勝も見たい。国道45号線で行けるところまで行くことにする。大船渡から盛にかけての市街地を抜ける。朝からどんよりした天気だ。市街地を抜けると山深い景色になる。

視界が開けて、大船渡市三陸町に入る。越喜来(おきらい)という集落があり、国道からいったん離れたところに前日通った三陸鉄道の三陸駅がある。この辺り全体を指す地名を町や駅の名前にするとはスケールが大きい。

駅からも見えるのだが、ここで訪ねたのは「ど根性ポプラ」。津波に耐えて生き残った1本の木といえば陸前高田の「奇跡の一本松」が有名だが、今回来るまで、こうしたポプラがあるとは知らなかった。まあ、高田松原という景勝地の松が全滅する中で1本だけ残ったというのは奇跡と言っていいだろう。

このポプラは、昭和のはじめにここに店舗兼自宅を構えていた人が家の庭に植えたものである。その後、1933年の昭和三陸地震の津波、1960年のチリ地震の津波、そして2011年の東日本大震災の津波・・と三度の津波に遭った。それぞれの津波で越喜来の集落は大きな被害を受けたが、このポプラは残った。特に東日本大震災の津波では10数メートルの高さまで来て、ポプラの3分の2が水に浸かったが、それでも耐え抜いた。その姿が「ど根性」となり、周辺を整備することになった。

ポプラじたいがそうした災害に強いのか、あるいはこの木だけが特別なのかはさておき、三度の大津波を耐え抜いたというのはど根性ものである。もう少し注目されてもよいのではないかと思う。

国道45号線に戻り、大船渡市から釜石市に入る。山道から海沿いに下りた国道沿いにあるのが三陸鉄道の唐丹(とうに)駅。ホームがあるだけの小さい駅だが、国道から駅前に入るところに石柱がある。「伝えつなぐ大津波」とある。駅、国道は集落を見下ろす高い位置にあるように見えるが、駅の高さ(ホームも完全に浸かったそうだ)まで津波が来たそうだ。

国道45号線はそのまま釜石の市街地に入る。前日三陸鉄道に乗った時は釜石駅の改札口を出ることもなかった。釜石といえば釜石大観音もあるし、鉄の歴史館、世界遺産の橋野高炉跡もある。本来であればこうしたスポットを訪ねて釜石らしさを楽しむところだが、開館時間前を理由に素通りする。一つ一つ回っていたのでは岩泉に着くのが何時になるのやらということもあった。いや、今回の旅では「震災遺構>観光スポット」という縛りを自分で作っているのもある。

そのまま釜石の中心部を抜けて、来たのは釜石市の鵜住居地区。ここではまた国道45号線を離れて集落の中に向かう・・・。

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