台風の間接的な影響で雨が強く降る中、島越駅から北に進む。走るのは県道44号線で、「陸中海岸シーサイドライン」という旅情をそそる愛称がついている。この辺りは海の近くを通る。これがもし青空が出ていればドライブとしては気持ちの良いところだろう。またこうした海を見ていると、震災があったことが嘘のように思えてくる。普段は穏やかな海なのだろうが、地震が発生し、津波が起こると人々に牙をむいて襲い掛かってくる。
田野畑駅を過ぎてしばらく走り、海べりの民宿が建つところに入江がある。明戸海岸というところだが、ここにも震災遺構がある。雨の中だが駐車場にクルマを停めて外に出る。
明戸海岸、明戸浜は江戸時代に盛岡藩による製塩も行われたところで、震災前は広い砂浜とクロマツの防潮林があったそうだ。また周囲にはキャンプ場やマレットゴルフ場、海産物販売所などがあるレジャースポットで、1969年に防潮堤が築かれた。しかし震災ではここも約17メートルの高さの津波が押し寄せ、防潮堤を破壊してしまった。
その破壊された防潮堤をそのまま震災遺構として残している。全長378メートル、高さ9メートルあった。現在駐車場がある防潮堤からまっすぐ延びたところにコンクリートの塊が見える。
ちょうどコンクリートの塊の周囲に見学用通路があり一回りする。海中に埋められている消波ブロックも打ち上げられている。ブロックの重量は1基8トンもあるそうだが、軽々と運ばれてきたものだという。そして引き波が防潮堤のブロックを破壊し、東日本大震災の前に防潮堤の無力さをさらした形になる。
新しい防潮堤は県道44号線の路盤も兼ねて新たに建造されたものだが、これで絶対大丈夫というわけではないことは地元の人たちも承知だろう。ただ外から来た者には実感しにくい。こうしたシーサイドラインからも見える場所にかつての防潮堤の遺構を残すというのは、被害の大きさを視覚的にとらえることができる。
県道44号線を走る。再び山の中に入り、案内に従って到着したのは北山崎。先ほどの鵜の巣断崖に続いての名勝地である。これまでずっと走って震災遺構や現在の町の様子を見てきた「被災地復興を見る」もここで終わり、この先は名勝地を見るドライブモードに切り替わる。
北山崎も三陸を代表する名勝地の一つである。先ほどの鵜の巣断崖とほぼ同じ高さ200メートルのところに展望台があり、田野畑村のホームページでの紹介文によれば、北山崎は日本交通公社(JTB)の「全国観光資源評価」の「自然資源」の部で「特A級」の評価を得ているとある。特A級とは、JTBの資料によれば「わが国を代表する資源であり、世界に誇示しうるもの。日本人の誇り、日本のアイデンティティを強く示すもの。人生のうちで一度は訪れたいもの」で、他には大雪山、奥入瀬渓流、十和田湖、尾瀬、日光杉並木、富士山、黒部、立山、穂高岳、吉野山、瀬戸内海の多島群、阿蘇山、屋久島、慶良間諸島といった限られた場所しかない(世界自然遺産に認定されている知床や白神山地が入っていないというのとはどういう関連があるかは知らないが)。今挙げたところでは訪ねたことがない場所のほうが多いのだが、今回こうして北山崎に来ることができた。
駐車場にクルマを停めて遊歩道を歩く。鵜の巣断崖とは異なり土産物店や食堂、民宿もある。ちょうど同じタイミングで観光バスの団体さんと一緒に歩くが、雨がますます強くなってきた。
そしてウッドデッキの第1展望台に着く。霧と雨でかすんでいる向こうに「海のアルプス」と評される断崖が広がる。ただ海べりに来ると今度は風も強くなってきた。折りたたみ傘が役に立たない。これは台風のせいだろうか。他の観光客も立っていられないとばかりにすぐに展望台を後にした。私も早々に引き返す。本当はこの先に迫力ある第2展望台、さらに先には第3展望台があり、海べりに下りることもできる。ただこの時はとてもではないが先に行く気になれなかった。北山崎滞在はごくわずかでクルマに引き返す。
続いては黒崎海岸に向かう。当初、この夜はここにある国民宿舎を予約していたが、旅の途中で気が変わって岩泉に変更した。
せめてどんなところか訪ねてみるのだが、先ほどからの大雨と強風が続いている。もし当初のままだと、翌日の天気がどうなるかはともかくとしてチェックイン後の時間が心細かっただろう。また周りには商店も何もない。
この黒崎には灯台がある。ちょうど北緯40度線上にあり、東北では日本海側にある男鹿半島の入道埼灯台と対をなしている。この北緯40度線上を西にたどると、北京、アンカラ、マドリード、ニューヨークという主要都市がある。ヨーロッパだとギリシャ~イタリア~スペインをたどるところで、ヨーロッパというのが全体的にイメージよりも北にあるのだなということも改めてわかる。
灯台は階段を下った岸壁にあるのだが、雨のためにあとわずか行くのをためらってしまう。まあ、黒崎宿泊を途中でキャンセルしたからこうなったのかなと思う。手前の「恋人の聖地」の写真だけ撮って、そのまま後にする。
県道44号線はまた高さを下げて普代村の中心にさしかかる。そのまま走り抜け、国道45号線に合流して普代駅に着く。
ここまで来て雨はピタリと止んだのは、やはり上記の理由だろう。 この日のドライブでは朝の時点ではこの先の十府ヶ浦海岸や陸中野田を経て久慈まで行けるかなとも思ったが、それは見通しが甘かった(ここまででもだいぶ無茶をして、途中の観光スポット、震災遺構もかなり割愛することになった)。岩泉に行く時間を考えれば普代で方向転換するのが限度のようだ・・・。