まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第21番「花山院」~西国四十九薬師めぐり・31(清水寺よりきつい勾配を歩く)

2021年02月25日 | 西国四十九薬師

三田にある花山院に向かう。今回、西国四十九薬師めぐりの札所として来たが、西国三十三所の番外札所ということで以前に一度訪ねたことがある。2015年1月のことだから、6年の月日が経っている。

花山院というのは平安時代の花山法皇のこと。西国三十三所の中興の祖とされる人で、現在の33の札所の形を定めたとして今でも尊敬されている。若い時に藤原氏の陰謀のために出家、退位させられ、怒りと失意のどん底にあったが、徳道上人の伝承をもとに西国三十三所の巡礼を行った。その途中で訪ねたのがこの地で、巡礼を終えた後は静かに余生を送ったという。花山法皇の御廟があることから花山院菩提寺という名になった。

花山院がある尼寺という集落にあるのが十二妃の墓。花山法皇が寵愛していた女御と、女御に仕えていた11人の女官の墓である。法皇を訪ねてこの地に来たが、寺が女人禁制ということでこ尼僧としてこの地に留まった。女官たちはせめて都を懐かしんでもらおうと琴を弾いた。法皇にもその思いは届いたことだろう。法皇亡き後も女官たちはここで生涯を送り、一緒に葬られた。

坂を上ると花山院の参道入口である。三田駅からのバス停もある。この先もクルマで上ればいいことだが、あえて麓の駐車場に停める。駐車料金は道の向かいの蕎麦屋に申し出て支払う。「クルマでも上がれますよ」と言われたが、あえて歩くと言って500円を払う。「後でそばを食べてくれたら返しますよ」と送られたが、どうするかな。

この参道である。寺までは1キロほどだが、傾斜何度あるのか?という急坂に挑む。私の軽自動車ならひっくり返ってしまうのではないか、ならば歩いたほうがまし・・という思いもあったが、それよりも花山院としては歩くことを推奨しているのではないか・・と考えるところが大きかった。

道端に丁石がある。それらで一息つき、4丁の地蔵を迎える。この辺りが中間点だが、勾配はよりきつくなったように思う。

それでも20分あまりで8丁の坂を上り、山門の前に着いた。いったんここで息を整えて、境内に向かう。

境内については記事を改めることに・・・。

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