ようやった!!!!!!!
せっかく熊本に来たのだからと、熊本城を見物することにする。前回熊本に来たのが2012年のことで、2016年の熊本地震の前である。ちょうど天守閣の修復が進み、またコロナ禍の緊急事態宣言・まん延防止等重点措置が解除されたことを受けて、この10月からは中の特別公開も再開されている。
その前に昼食ということで、熊本ラーメンの「こむらさき」に入る。前夜の「桂花本店」に続いてのラーメンである。特に店にこだわっていたわけではないが、先ほど乗っていた市電に広告があったので・・まあ観光客向けなのかもしれないが。
堀の横を通り、加藤清正像に出る。甲冑に烏帽子姿で、熊本城をバックに行き交う人やクルマを見守っているように見える。
城内の一角に「桜の馬場 城彩苑」が広がる。これは新しくできたスポットのようだ。江戸時代の城下町をイメージした造りで、飲食店や土産物店が並ぶ。この一角に「わくわく座」というのがあり、天守閣との共通券も売っている。ここをのぞいてから天守閣に行くのがおすすめという。熊本城の歴史を映像やプロジェクションマッピングで紹介しており、中でも熊本地震の時、天守閣の瓦や石垣が崩れ落ちる様子を、模型に映像を流して再現する場面はなかなかリアルである。
さて、天守閣が公開といっても城全体で見ればまだまだ修復作業が続いており、見学ができるのは、特別に設けられた回廊などを通りながら限定された一角だけである。立入禁止のフェンスもあちこちに立っている。これはこれで独特の角度から城を眺めることができる。
天守閣の瓦や石垣が崩れた姿はニュースで大きく取り上げられたし、その復興した姿は地元の人たちに勇気を与えたし、それだけ熊本のシンボルといえるスポットだが、城全体が完全に元の姿を取り戻すのは2037年度という。
戦後に鉄筋コンクリートで建造されたものだし、国宝や重要文化財ではないので天守閣の修復にも特段の制約はなかったが、文化財に指定されている櫓などの建物は、解体して取り出した瓦や柱を可能な限り使用し、元の姿に戻す必要があるため、時間がかかるという。ましてや石垣となると大変だ。地震前のとおりに積み直さなければそれこそまた崩れるし、かといってこればかりはコンクリートで代用するわけにはいかない。
復旧にかなりの時間を要することになるが、それだけ当時の最高技術を投入した、堅固な造りの城だったことの現れである。石垣だけでなく天守閣に至る導線も複雑である。熊本城を築いた清正は鉄壁の守りを目指したわけだが、いざとなれば豊臣秀頼を迎えて徳川家康と一戦を交えようとしていたとか、朝鮮出兵の折に目にしたあちらの築城技術を取り入れたという背景があったようだ。
天守閣に入る。展示コーナーもすっかり変わっていて、こちらについては地震を機に全面リニューアルした・・と言っていいのではないだろうか。
清正の築城、細川氏の治世と展示は進むが、熊本城が実際の戦の場になったのは、徳川の治世が終わった明治になってから、西南戦争である。西郷隆盛率いる薩摩軍が、明治政府の鎮台が置かれていた熊本城を攻めた。鎮台の大将・谷干城は籠城を選択。薩摩軍は圧倒的な戦力で四方から攻撃を仕掛けるも落城させることができず、その間に政府からの援軍が到着して形勢逆転、そのまま薩摩まで押し戻された。西郷隆盛は退却時に「官軍ではなく清正公に負けた」と言ったそうだ。まあ、そう言われた清正としては複雑な気持ちかもしれないが・・。
最上階から四方を眺める。先ほど麓を歩いた金峰山、そして清正の廟所がある本妙寺も見える。
そのまま、通路に従って天守閣を出て、城を後にする。この後は広島に戻るだけだからもう少し熊本城をゆっくり見て回ってもいいのだが、ちょっと時間を気にして天守閣の中も急ぎ足だった。せっかく熊本に来たことと、移動当日に時刻表を見て当初の予定をガラッと変えた時に欲張りの行程を盛り込んだ。そして、熊本城は見学エリアが限られているとはいえ、城そのものが広かった。結果、時計を気にして天守閣を後にして、急いで荷物を取りに桜町バスターミナルに向かうことになった。
辛島町から満員の市電に乗り、熊本駅に到着。九州西国霊場めぐりで久しぶりに熊本に来たが、これまでは駅内の乗り換えばかりで、リニューアルされた駅舎を外から見るのは初めてである。デザイン、色使い、JR九州らしい面構えに見える。
欲張り・・というのは、これから帰りの新幹線までの間、もう一丁列車に乗ってみよう!というものだ。先ほどまで阿蘇、そして金峰山という山の景色に触れてきたが、熊本には海もある。その海を見るのと、ここにもJR九州ならではの列車が走るということで、これも久しぶりのあの線を訪ねることに・・・。