まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第24番「持明院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(平和への願いを込めて、永遠に安らかに)

2022年02月24日 | 広島新四国八十八ヶ所

中深川の駅から路線バスで高陽ニュータウンを抜け、東区に入る。太田川沿いに出て、その名も「広島ゴルフ場前」というバス停に到着する。河川敷の両岸にショートコースのゴルフ場がある。

これから目指す広島新四国第24番の持明院は、バス停からすぐのところにあった。建物自体新しい感じである。

持明院が開かれたのは安土桃山時代。秀栄和尚が毛利氏から領地をもらい、木挽町に寺を開いた。この木挽町というのはかつて木材問屋や材木屋が多かったところで、周辺の山間部や瀬戸内海との物流の拠点でもあった。そのため持明院は航海安全や商売繁盛を願う人たちで賑わったという。

しかし、広島への原爆投下の際、爆心地から数百メートルの場所だったためにすべて焼失してしまった。この木挽町は現在の中島町、平和公園辺りである。戦後間もなく同じ場所で再興されたが、1967年、都市開発が進むのに合わせてより静かな場所を求めて現在の戸坂に移転した。現在の建物はそれからさらに改築されたように見える。

境内の一角に原爆の慰霊碑がある。戦時中、市内に学徒動員されていた広島市立高等女学校の教師・生徒ら679名が原爆の犠牲となった。生徒たちが被爆した場所が持明院の近くで、当時の住職が再興時に遺骨を発見し、持明院で供養したことから慰霊碑が建てられたとある。現在の寺の本尊も、女学校の遺族の人たちから奉納された聖観音菩薩である。

他にも永代供養の「もやいの碑」や弘法大師像、身代わり地蔵像などが並ぶ。

さて、本堂入口は階段を上がったところだが、扉を開けると広い玄関があり、ここで靴を脱ぐようになっている。本尊その他は奥に祀られているが、戸が閉まっており、中から読経の声が聞こえてくる。他に靴がなかったので檀信徒がいての法要というよりは住職のお勤めだろうが、さすがにその中に入る勇気はない。玄関の扉を閉めて、そこから簡単にお勤めだけする。

そして朱印だが、階下に供養の受付やお守りの授与をするところがあるので、ここでベルを鳴らすと寺の方が出てきて、中から出してくれた。

これまでにも、原爆のために大きな被害を受け、後に復興したが都市開発の中で移転した札所に出会った。広島の歴史にあって原爆というのはどうしても避けて通れない。今回、持明院の本尊である聖観音菩薩を直接拝むことはできなかったが、「永遠に安らかに」の願いが込められた思いを胸に、改めて平和を願いたいものである。

さて、次の第25番は不動院だが、太田川に沿って歩いてもそれほど遠くない。バス停は広島ゴルフ場前だったが、太田川ゴルフ場という名のコースを見下ろす土手の歩道を歩く。季節的に芝も枯れた感じで、またプレーする人の姿も少なかったが、こうしたところは比較的安価に、気軽に楽しめそうだ。かくいう私、この数年クラブは全く握っていないのだが・・・。

ショートコースの数ホール分を歩いたところで祇園新橋まで出る。ここから不動院はすぐそこにある・・・。

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