まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第8回中国四十九薬師めぐり~第11番「東福院」(西国街道とともに)

2022年02月18日 | 中国四十九薬師

広島県に入った中国四十九薬師めぐり。今回は福山市神辺町シリーズということで、先に備後国分寺を訪ねた後、国道313号線を歩いて次の東福院に向かう。東福院の最寄り駅は井原鉄道の湯野だが、駅間も比較的短いのでそのまま歩くことにした。

国道から少し離れた丘に建つ。山門の前には「東」「福」「院」「卍」の文字をあしらった錫杖が据えられている。

山門をくぐって左手に本堂がある。手水舎の前から境内を回り本堂までタイルが敷かれている。四国八十八ヶ所のお砂踏みである。またその途中に「るりこうずい」というのがある。漢字で書けば「瑠璃光水」だろう。湯呑に注いでちょっといただく。

お砂踏みを通ったところで本堂に到着し、お勤めである。本尊は薬師如来だが、別に信貴山から勧請した毘沙門天も祀られているという。

東福院が開かれたのは奈良時代、行基によるとされる。当初は現在地から西にある虎睡山に建立され、松岡寺と呼ばれていたが、鎌倉時代に現在地に再建された。室町時代になると近くに神辺城が築かれたが、大内、尼子、毛利の勢力争いの中で東福院も兵火に巻き込まれる。江戸時代になり、新たに福山城が築かれて神辺城は廃城となったが、東福院は中期にようやく再興し、現在にいたる。

納経所に向かう。「この寒い中・・」ということでお茶を勧められ、お接待として飴やみかんをいただく。

東福院を後にして、神辺駅まで歩くことにする。距離にして2キロほどだろうか。

その途中にあるのが神辺本陣。江戸時代の参勤交代で大名が宿泊した施設で、当時は西本陣、東本陣の2ヶ所があったそうだ。東本陣は明治時代に解体されたものの、西本陣は270年前に建造された当時の姿をとどめていて、歴史的にも貴重だという。公開は限定とのことで外観から眺めるにとどめる。

この他、神辺駅に向かうまで商店が並ぶが、ところどころに古い建物が残る。さすがに江戸時代のものということはないだろうが、かつての宿場町の風情を伝えてくれる。

神辺から11時39分発の福山行きに乗車。井原鉄道のホームには、朝乗った「夢やすらぎ号」が総社から折り返して到着した。今度は105系に揺られ、福山に到着。

福山で軽く昼食とした後、糸崎乗り継ぎで広島まで戻った。早めに帰宅してゆっくり休むことにしよう・・。

中国四十九薬師めぐりはこの後は、東城、三次と県北をたどり、第15番の薬師寺でふたたび福山の松永に戻る。以後、尾道、因島などたどり、広島市内の不動院、そして最後は宮島の大願寺(広島新四国八十八ヶ所の第1番でもある)まで続く。県内でも初めて訪ねるスポットも多く、広島のまた違った一面を見るのが楽しみである・・・。

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