2月12日の広島新四国めぐりも3ヶ所目。第25番の不動院に着く。アストラムラインの不動院前駅もあるし、広島から大阪に向かう高速バスも停車するので名前は知っていたが、寺を訪ねるのは初めてである。
不動院は正式には安国寺という。開かれたのは平安時代とされるが、南北朝時代に足利尊氏が全国に設立した安国寺の一つである。安芸国の安国寺として、また守護の武田氏の菩提寺として栄えたが、戦国時代の兵火で焼失した。
これを復興させたのが、毛利氏の外交僧だった安国寺恵瓊。後に豊臣秀吉ともつながり、関ヶ原の戦いでは石田三成と組んで毛利輝元を西軍の総大将に担ぎ上げたが、敗戦。恵瓊も斬首となった。
安国寺は広島に入った福島正則の時に禅宗から真言宗に変わり、不動明王を祀ったことから不動院と呼ばれるようになった。以後、浅野氏の保護を受ける。
正面の金堂には薬師如来が祀られている。中国四十九薬師の札所でもあり、またいつかそのシリーズで訪ねることになる。金堂は元々大内義隆により山口に建てられたものを安国寺恵瓊が移築したもので、国宝に指定されている。国宝建物としては広島市内唯一である。やはり原爆のため、市内にあった由緒ある建物がことごとく失われたこともある。原爆であの形で残った建物は国宝を通り越して世界遺産になったが・・。
広島新四国の本尊は不動明王で、不動堂に祀られている。
原爆の時、爆心地から4キロほど離れた不動院は、地形のためもあってか金堂の一部が破損した程度で倒壊を免れた。その一方で、市街地から多くの人たちが避難して、不動院はその受け入れ先になった。ただ、救護の甲斐もなくここで亡くなった方もいたことだろう。先の持明院に続き、ここでも安らかにと手を合わせる。
納経所に向かう。広島新四国、中国四十九薬師それぞれのケースがあり、それをいただく方式だが、広島新四国の用紙が切れていて空になっている。チャイムを鳴らすと寺の方が出てきて、新たに用紙に書いていただく。かえってありがたい。左下の寺名には安国寺とある。
この日は3ヶ所で終わりとして、アストラムラインで本通まで出る。広島新四国はこの先は東区から府中町、安芸区、海田町と、以前の広島勤務時でもそれほど訪ねる機会がなかった東部エリアに入ることに・・・。