まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第58番「白華寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(倉橋島!)

2023年04月11日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりはしばらく間隔が空いていたが、前回から約2ヶ月ぶりにようやく第58番・白華寺に向かう。4月2日、当初の予定がぽっかり空き、ちょうど天気も良いのでここで出かけることにした。

白華寺があるのは倉橋島である。当初はクルマで出かけようかと思っていたが、調べると呉駅から1時間に1本の割合で桂浜温泉館行きのバスが出ている。呉駅からは1時間ほどかかるが、逆に同じ県内でちょっとした日帰り旅の気分が味わえそうだ。倉橋島には以前の広島勤務時代、音戸の瀬戸から渡ったことはあるが、確かその時は江田島に向かう際に通過しただけで、倉橋島を目的地とするのは初めてである。

広島から呉行きに乗り換え、呉線を走る。帰りは呉港からフェリーで宇品に出るのも面白いかな・・・。

呉駅から10時20分発の桂浜温泉館行きに乗る。座席がほぼ埋まるくらいの乗車率である。

海上自衛隊の呉地方総監部から歴史の見える丘を過ぎる。戦艦大和を建造したドックも健在である。広島新四国ではちょうどここから見上げた場所にある萬願寺にも参詣した。さらに、今年に閉鎖を迎える日本製鉄の呉製鉄所も見る。バスの車窓にて呉の街並み観光もできる。

そして警固屋から音戸の瀬戸へ。現在橋は2本架かってるが、路線バスが走るのは古いほうの音戸大橋。ループ線を上り下りする。ぢょうど松山行きのスーパージェットも音戸の瀬戸に近づいてきた。高速艇とはいえここではどうしても速度を落としての運航となる。

このまま、まずは島の東岸を走る。橋でつながっていることもあって街並みも広がっているが、海にはカキの養殖いかだもずらり並ぶ。さすがに4月となると、スーパーの店頭にカキが並ぶこともなくなったなあ。

道が細いうえ、ガードレールもないところも走る。海水も澄んでいる。

途中からは島を横断し、西側にしばらく海が広がった後にもう一度横断する。宇和木バイパスを抜けて島の南岸に出る。倉橋本浦で下車する。ここまで1時間ほど乗って来たが、呉駅から倉橋島まで乗り通した客も結構いたし、島内での乗り降りもそこそこ見られた。

さて目指す白華寺だが、海とは逆の山の方向に戻る形になる。この地区の集落の細道を抜けていく。

途中、立派な構えの門の両側に桜が咲き誇っているスポットに出会う。ここが白華寺かと思ったが、浄土真宗の西蓮寺というところである。

桜にひかれて少し境内におじゃまする。室町時代に開かれた寺で、領主の多賀谷氏の菩提寺でもあった。

白華寺はもう少し細道を上るようだ。道幅も狭く、これでは私の軽自動車でもアクセスが厳しそうだ。

見上げると、独特の形をした岩がむき出しになっている山を見る。ここで連想したのが宮島の弥山である。確か頂上付近に奇岩が並んでおり、昔からの修行の場としての姿を今に伝えているところ。この火山も、例えば弘法大師が修行したことがあるとか、そういう言い伝えがあってもおかしくないように思う。

火山を紹介したネット記事によると、周囲の海を見渡せることから水軍が火をたいて見張りの場、あるいは灯台のような役割をしていたことからその名がついたという。登山道も整備されており、1時間もあれば登れるそうだ。

白華寺が近づき、振り返ると先ほど着いた本浦地区が見える。そして行き止まりとなった先に石段が続く。

白華寺が開かれたのは平安時代中期。倉橋島の地頭だった塩竃勝信という人物が夢のお告げを受け、島の沖合いで十一面観音像を発見し、小舟で持ち帰り、火山の麓の少し開けた地で祀ったのが始まりという。この十一面観音は行基の作と伝えられるが、近年の調査では鎌倉時代の作とされている。

本尊は秘仏だが、本堂の前には本尊をモデルにして造った十一面観音像が立つ。本堂の奥に庫裏があるが、住んでいる気配はなさそうだ。お堂の前でお勤めとする。

朱印は本堂の前に箱が置かれていて、セルフで書き置きをいただく。

ここで折り返しとして、もう少し近場を楽しむことにする。バスの行き先でもあった桂浜に向かう。桂浜といえば高知のイメージだが・・。

砂浜が広がり、目の前には穏やかな海。そして、何組かの家族がテントを広げてバーベキューなど楽しんでいる。外国人の家族もいる。大声での会話はラテン系の言葉に聞こえる。

「萬葉集史蹟 長門島之碑」の文字が見える。「長門の島に船泊まりして作る歌」、「長門の浦から船出する夜に月の光を仰いで作る歌」として、計8首が収められている。長門島とは倉橋島の当時の呼び名で、風待ちの場として古くから活用されていたようだ。

ここから見えるのは山口県にかけての島々で、奥に広がるのは周防大島だろうか。さすがに四国本島までは見えないか・・。

桂浜神社というのがある。現在の社殿は室町時代には建っていたそうで、宗像三女神、宇佐八幡三神を祀る。海上交通の盛んな地にあって多くの信仰を集めたことだろう。

砂浜の奥に、「長門の造船歴史館」がある。来る前、地図で「長門の造船」に関する歴史館があるのを見て、広島なのに長門とはどういうことかと思った。ひょっとしたら、太平洋戦争当時の戦艦「長門」に関するスポットなのかとすら思っていた。

しかし、中に入ると目に飛び込むのは遣唐使船。倉橋島は風待ちの港だけでなく、船の建造も行われた歴史があり、遣唐使船や後の豊臣秀吉の軍船もここで建造されたともいわれている。こうしたこともあり、1989年に当時の絵巻物などを参考にして復元されたのがこの船である。これまでにも地元の祭り等で実際に海に漕ぎ出したこともあるそうだ。

長門は長門でも、戦艦と木造船ではえらい違いである。

こうして実物大とされる遣唐使船を見ると、よくこの大きさで東シナ海を渡って大陸に向かうことができたものだと感心する。事実、途中での嵐、風雨により難破した船も多く、阿倍仲麻呂のように唐には渡ったものの日本に戻ることができなかった人たちもいた。

館内は撮影禁止のため画像はないが、他にも数々の木造船の模型が並ぶ。

さて、一通り見たところで最後に取って置いた桂浜温泉館に入る。中の主浴槽(銀泉)と露天風呂(金泉)がメインである。全体に広く、地元の人や、海・山を楽しんだであろう人たちで賑わっている。欲をいえば、湯上り後にゆったりできる広間でもあればよかったところ。

初めて訪ねた倉橋島の海岸だが、広島県の新たな見どころに出会えてよかったことである。

温泉館を13時54分発のバスで出発する。

来た時と同じくカキの養殖いかだが並ぶ海岸沿いの区間に入るが、帰りはちょうど干潮の時間帯で、ほとんど干潟のようなところにいかだがむき出しになっている。大丈夫か?と一瞬思ったが、これはあえてそうした位置にいかだを組んでいるそうである。倉橋島の周りは潮の干満が大きく、カキが海中に出たり入ったりするのだが、そのぶん身が通よくなり、味わいもよくなるのだという。そして、こうした光景は何も倉橋島に限ったことではなく、全国各地で「干潟養殖」として行われている手法なのだという。

途中のバス停から、東南アジアの人たちが何人か乗ってくる。カキの養殖業者の技能実習生だろうか。この札所めぐりから戻った後、NHK広島の番組で、そうした技能実習生を取り上げていた番組を観た。10年前、江田島の水産加工会社で外国からの技能実習生が社長や従業員を殺傷した事件があった。その時、実習生は待遇面での不満や孤立から犯行に及んだとされたが、それから年月を経て、カキの養殖業者の労働力はより一層外国人の技能実習生頼りになったという。

技能実習生・・・結局は安い労働力。マスゴミがいくら弁護しようとも、何の説得力もない。

私がこの冬にスーパーで購入したカキも、おそらくこうした外国人実習生のカキ打ちによるものだろう。まあ、スーパーだろうが広島市内の高級店だろうが、同じようなものだろう。受け入れ側もいろいろあるが、中には悪質なところもあるのではないかな。そうした労働の上に成り立っているカキ・・・何だか申し訳ない。

こうした番組やネット記事を見ると、単純にカキが美味い旨いといって喜んでばかりでいいのかなと思う。私個人としては外国人実習生制度には反対で、先の参議院選挙ではそれを施策の一つに掲げた党に投票した。

もっとも、ここ最近の為替状況その他のため、技能実習生は日本なんか相手にしていないようだが・・・。

・・・自分でも何を書いているのかわからないが、何だか日本の産業構造はこれでええんか?という複雑な気持ちは持っている。カキ美味しいね!・・だけでええの?

 

再び音戸の瀬戸を渡り、本土に戻る。呉駅に戻り、結局そのまま呉線に乗って広島に戻る・・。

広島新四国は次の第59番・薬師禅寺(海田町)、第60番・法念寺(熊野町)と回ると、東のエリアが終了となる。こちらはこちらで少しずつ進めることに・・・。

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