まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第59番「薬師禅寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(海田の町の祈りスポット)

2023年04月20日 | 広島新四国八十八ヶ所

本格的な春になり、関西、中国、九州と多重債務状態の札所めぐりもどんどん進めていこう。

4月16日は広島新四国八十八ヶ所めぐり。4月の初めに倉橋島を訪ねた続きで、今回は第59番・薬師禅寺、そして第60番・法念寺の2ヶ所である。それぞれ海田町、熊野町にあり、ここまで時間がかかったがようやく60番に到達するとともに、安芸郡の札所もコンプリートする。今回も鉄道またはバスでのアクセスが容易なので、それらに身を委ねることにする。

まずは山陽線で海田市を目指す。時刻は9時台、この日はマツダスタジアムでカープ対スワローズ戦のデーゲームが行われるが、さすがにこの時間だとスタジアム周辺の客はまばらである。

ちょうどこの日の夜は広島~海田市間で一部列車の運転取り止め、バス代行輸送が行われるとある。広島市東部地区連続立体交差事業にともなう線路切換工事のためである。カープはデーゲームなのでさすがに工事のため客が帰れないということはないだろうが・・。

海田市に到着。広島新四国では第35番・大師寺に参詣した時以来である。昨年の3月末のことだったから1年以上経過している。時間が経つのが早く感じられる。

安芸山陽道に出る。西国街道のこの辺りでの呼び名で、海田市には宿場町が置かれていた。

小さいながら存在感ある祠を見つける。海田恵比須神社である。海田は古くは包浦と呼び、後に開田という名になったが、瀬野川の河口で海に面していたため海田と呼ばれるようになった。そして、四日市(西条)や廿日市と並んで市が立ち、安芸の国の経済の拠点の一つとして賑わいを見せた。海と商売が結びついての恵比須信仰の名残である。

恵比須神社の先から太鼓の音が聞こえてくる。安芸山陽道を少し東に行くと熊野神社があり、その社殿からのようだ。鳥居をくぐると狭い敷地ながら屋台が出ているし、道の向かいのスペースはキッチンカーが開店準備中である。熊野神社でお祭りでもあるのかな。せっかくなのでお参りしよう。

石段の途中に、「海田町戦没者原爆死没者慰霊塔」がある。1975年8月15日建立とあるから、ちょうど終戦から30年後のことである。資料によると日清戦争から太平洋戦争までの戦没者405名、建立までの原爆死没者151名という。

こちらの熊野神社は平安時代に紀伊の熊野大社を勧請したもので、江戸時代には海田市の総氏神として、広島藩主浅野氏からも信仰を集めていたという。

中ではどこかの団体か、20人ほどが拝殿の中に入ってちょうど祈祷が行われていた。先ほどの太鼓の音はこの祈祷によるものである。

さまざまな祈願札や絵馬も掲げられているが、正面で目に留まったのが「祈 広島東洋カープ優勝 海田町」という年季の入った札。行政が神社にこうした札を奉納していいのかという議論は野暮というものだろう。そして、後から気づいたのだが、海田町の札の反対側に同じく扁額と写真が掲げられていたが、よく見るとカープの黄金時代を築いた大下剛史、三村敏之両選手による必勝祈願のもの。いずれも頴田町の出身ということで、地元の神社への奉納である。

カープの場合、地方球団ゆえに「広島市または広島県出身者か否か」で結構カラーが異なり、派閥もあり、引退後の処遇にも差が大きいなという印象がある。ともすれば前者が王道、後者が異端という扱いも見受けられる。その伝だと、大下(東映からの移籍だが)、三村は濃厚、どっぷりと広島ということで・・・。

熊野神社まで来れば薬師禅寺も近い。薬師といいつつも、金色の観音像が目につく。寺の敷地はちょうど斜面になっており、これを切り開いた形である。境内の横がこの奥の日浦山の登山ルートにもなっている。

薬師禅寺が開かれたのは江戸時代中期。この地に疫病が流行したため薬師如来を勧請したところ、そのおかげで疫病が退散したため、薬師堂が建てられた。現在地には明治時代に移されたという。

本堂である薬師堂の扉に手を掛けるが鍵がかかっており、その前でお勤めとする。

先ほどの観音像に行ってみる。「いつもやさしい ひまわり観音さま」とある。ちょうど、海田の町を見下ろす角度にあり、町と人とをやさしく見守っているかのようだ。ひまわりは、海田町の花とのこと。

ひまわり観音像のたもとには「むすびの碑」もある。先ほどの熊野神社と合わせて、海田の人たちの憩い、癒しの場になっているようである。あ、以前に訪ねた大師寺もそうだろう・・。

これで一通り回り、本堂の外に書き置き朱印の箱もないのでインターフォンを鳴らす。ややあって、腰の曲がった住職らしき方が出て来られた。

さて、次は熊野町に移動である。熊野町へは呉線の矢野駅、または呉駅からのアクセスが便利だが、広電バスの路線図を見ると、広島バスセンターから熊野萩原車庫前行きの系統があり、海田市駅入口も通ることがわかった。この路線は1時間に1本だが、それほど待つほどもなく来るようなのでバス停に向かう。

バスセンターからここまでの間は混雑する区間(ちょうどマツダスタジアムの横も通るし・・)とあって、10分ほどの遅れでやって来た。

国道2号線と国道31号線の分岐となる大正交差点を過ぎ、矢野駅に到着。「このバスは矢野ニュータウンを経由しません」との案内がある。あちらは、かつて有料道路だった広島熊野道路を経由するルートだが、こちらは古くからの道である矢野通りを走り、途中カーブの多い山道も経由する。

そして着いたのは「ゼロバランス サッカーフィールド広島」。県内有数のサッカーフィールドで、ここまで乗って来たサッカー少年たちも下車する。

そのまま熊野団地に入り、熊野西防災交流センター前に到着する。目指す第60番・法念寺は・・・。

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