4月8日、大分駅に到着。大友宗麟とフランシスコ・ザビエルの銅像が出迎える。宗麟は当時山口で布教していたザビエルを豊後府内に招き、会見を行ってキリスト教の布教を許可した。ザビエルの府内滞在はわずか2ヶ月ほどだったが、その後もポルトガルからの宣教師が多く府内を訪れ、宗麟自身も禅宗に帰依していたのがキリスト教徒になった。また、南蛮貿易でも賑わったという。
その銅像のある広場にて、100人ほどの人だかりができている。キリスト教の宣教師でも来るのかと思いきや、お揃いのブルゾンでマイクを手にした人が「間もなく、候補者本人がこちらに参ります! 皆様盛大な拍手でお迎えください!」と叫ぶ。そして候補者が姿を現した。この日は統一地方選挙の投票日前日で、いわゆる「最後のお願い」というやつである。この候補者をスマホで検索すると、これまで何度も当選している現職のベテラン議員で、安定した支持票があるのだろう、果たして翌日の投票結果でも上位で当選していた。
先ほどの日田駅前でも選挙カーは回っていたが、やはり県庁所在地であり、定数も多いが候補者も多く、この先さまざまな候補者の名前を耳にした。それはさておき・・。
九州八十八ヶ所百八霊場の第26番・福寿院は府内城跡の近くにある。まずは駅からまっすぐの通りを抜ける。この両側が大分の繁華街のようだ。今回、大分で一献できないのは残念だが・・。
その中にある赤レンガの建物が目を引く。旧二十三銀行(現在の大分銀行)の本店として建てられたもので、東京駅なども手掛けた辰野金吾の設計による。
通りにはさまざまな彫刻も並ぶが、目を引いたのはラグビー選手らしき金色の像。2019年のラグビーW杯日本大会では大分で準々決勝1試合を含む計5試合が行われ、大いに盛り上がったという。それを記念したモニュメントである。横から見ると頭や腕がちぎれたように見え、壊されたのかなと一瞬思ったがそうではなく、複数の人間が連続写真のように連なる群像を表現しているそうだ。
市役所やさまざまな庁舎が集まる一帯に差し掛かる。この辺りもかつての府内城の一部だったところで、目指す福寿院もその一角にある。「松平家祈願所」の札も掲げられている。
古くから豊後を支配していた大友宗麟だが、島津氏の攻撃に敗れて府内の中心部は焼き払われ、宗麟の次の大友義統は豊臣秀吉の配下となったが改易された。その後で転封して府内に入った福原直高が、大友氏の拠点だった大友館が地形的に狭かったため、現在の地に府内城を築いた。その後、関ヶ原の戦いを経て豊後府内藩は何代か藩主が替わった後、江戸時代前期に松平忠昭が藩主となった。その時、福寿院も一緒に移り三の丸に置かれた。
本堂の前でお釈迦様の誕生仏像が出迎える。右手を上に、左手を下に指し「天上天下唯我独尊」と言葉を発した姿を表した像である。甘茶をかける柄杓がある。ああそうか、4月8日はお釈迦様の誕生日、灌仏会(花まつり)の日だったな。
本堂の扉が閉まっており、とりあえず外でお勤めとする。そして朱印だがセルフ用の箱もないし、これはインターフォンで寺の方を呼ぶのかなと思ったところで、ちょうど住職らしき方が建物から顔を出した。「ああ気づきませんで」と言われ、扉を開けていただく。本堂内の電気もつけていただき、中に入って改めてのお勤めとする。
本尊の不動明王のほかに、「おみや弁財天」というのが祀られている。ここ府内城の鎮守とされている。府内城は「荷揚城」という別名があるそうだ。この地は築城当時、大分川の支流に位置する「荷落し(におろし)」と呼ばれる湿地帯で工事が難しかった。そこで「みや」という娘を人柱とすることになり、「みや」は弁財天を抱いて入水したという。そして城の完成後、「荷落し」は不吉なので「荷揚」という名前にしたという。そして「みや」をモデルにした弁財天像が造られ、現在も法要が営まれているそうだ。
お勤めを終えると、先ほど預けた納経帳のほかに、「今日はお釈迦様の誕生日なんで、甘茶をどうぞ」と勧められる。これも何かのご縁である。
せっかくなので府内城を一回りしよう。福寿院がある三の丸は本丸の北側で、堀に沿って時計回りに進む。ちょうど桜が散りつつあるところで、花見もこの週末が最後といった感じである。櫓は江戸時代後期に再建されたものが残されている。
ちょうど花見にもってこいのスペースがあり、家族連れや若者グループで賑わっている。ここでも、こうした賑わいの花見はコロナ禍以降初めてなのだろう。時刻は16時近く、何時からここにいるか知らないが、結構ご機嫌な方もいるようだ。ふざkて、堀に面した柵の向こう側に立つ者もいる。落ちても知らんぞ。
南側に出て、改めて大手門から本丸に入る。天守台の石垣があるので上ってみる。現在の本格的な城郭として整備されたのは関ヶ原の後に入った竹中重利の時で、この時四層の天守閣も築かれた。しかし、江戸中期の大火により天守閣は焼失し、それ以後は再建されることなく現在に至る。
今回の札所めぐりは大分府内城の見物とセットとなったところで、駅に戻る。ふと、今夜は大分に宿泊して、翌日も九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを続けようかとも思ったが、それは次の機会として、予定通り神戸行きのフェリーに乗ることにする。ということで、大分から日豊線の列車で1駅、西大分に向かうことに・・・。