まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第9回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~天ヶ瀬から豊後森の機関庫へ

2023年04月15日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは久留米から日田を経て大分に出て、瀬戸内航路に続く。

第95番・明王寺の参詣と豆田町を回った後、日田から「ゆふいんの森3号」別府行きで豊後森に移動する。久大線の日田~大分間は随分前に1回か2回乗ったことがあり、由布院には立ち寄ったことがあるものの、豊後森は初めてである。たまたま、特急の指定席が1つだけ空いていたので日田の滞在時間を縮めて先行することに。

「ゆふいんの森」は1989年から運行されており、現在九州各地で運行されている観光列車の元祖ともいえる。前面展望席を設けた車体は戦隊ものに出てきそうな面構えだ。扉が開くと客室乗務員がうやうやしく出迎えてくれる。

客室はハイデッカー構造で眺望が利く。もっともそのぶん座席の上の棚のスペースが狭いが、デッキには広く荷物スペースが取られていて、キャリーバッグが無造作に置かれている。そして客室は満席なのだが、どう見ても日本人よりは半島、大陸の方々が目立つ。一瞬、国際列車にでも乗ったような感覚がする。

私が割り当てられたのはもちろん通路側だが、すぐ近くに木目調のサロンスペースがある。これも「水戸岡デザイン」かな。座席よりもこちらのほうが快適なので、豊後森までの大半はこちらで過ごす。インバウンドの客とすればこのスペースも格好の撮影スポットらしく、次々にスマホで撮影をしていた。また売店もあり、飲食物や鉄道グッズの販売もある。

沿線は玖珠川の流れとともに進む。何度も鉄橋を渡り、川面が左右に展開する。久大線でもっとも奥深いところで、中盤の見どころである。

天ヶ瀬に到着。地元の人たちが外から「ゆふいんの森」に向かって手を振る。近辺の渓谷、滝の見物の拠点となる駅で、日帰り入浴ができる温泉もある。

天ヶ瀬を過ぎたところでいったん減速する。光の加減で画像が上手く撮れないのだが、二段落としの「慈恩の滝」である。

周囲が開けると、右手にはお椀を伏せたような独特の形の山が現れる。もっとも、名前は伐株山という。確かに、あるところから上がバッサリ切られたようにも見える。昔々、ここには天まで届く長さの巨大なクスの大木があり、その影で周りでは作物がとれなかった。困った村人たちは木こりの大男に頼み、その大木を切り落としてもらい、その切り株が残ったのが今の伐株山だ・・・という話がある。玖珠の地名もこの大木に由来しているともいう。

30分ほどの乗車を終え、豊後森で下車する。黒を基調としたシックな駅舎である。これも「水戸岡デザイン」。ホームには鳥居があり、伐株山をご神体に見立てているようにも見える。

豊後森は久大線の拠点駅の機能を持っており、1934年に機関区が開設された。また、1984年まで走っていた宮原線の列車も乗り入れていた。その宮原線で思い出したのが、門司港にある九州鉄道記念館の屋外展示場で保存されている気動車のキハ07。いかにも戦前のローカル線といった感じの車両である。

特急で豊後森まで先行したのは、豊後森機関庫、転車台の見物のためである。駅前の道を歩いて踏切を渡る。かつての操車場跡が豊後森機関庫ミュージアムとして保存、公開されている。転車台の手前には9600形蒸気機関車が保存されていて、機関庫と合わせて格好の被写体となっている。青空、高原の風景によく映えている。

津山まなびの鉄道館のように往年の車両が機関庫の中に収まっているわけではなく、1971年に廃止されたそのままの姿で残されている。廃墟といえば廃墟なのだが、それを超越した遺跡といっていいだろう。

機関庫の外側を回る。外壁に凹んだ跡があるのは、太平洋戦争での米軍の機銃掃射によるものとある。駅の助役や職員も犠牲になったとのこと。この山奥で機銃掃射?と思ったが、九州の東西を結ぶ路線の拠点ということで、何らかの標的にされたようである。

かつての詰所を改装した豊後森機関庫ミュージアムに入る。往年の機関庫や、久大線の風景と列車の写真も多く飾られている。当時の賑わいを再現したジオラマを見るのも楽しい。

ちょうど、外では由布院からの特急「ゆふいんの森2号」が豊後森駅に着くところだった。

一通り見たところで、1時間の途中下車は十分満足できるものだった。次の列車までしばらく時間があるので、ホームにてのんびりする。この日は気温は20度を超えるくらいだったが、風が強い。暖かいのか寒いのかよくわからない天候だったが・・。

13時03分発の大分行きが来た。そしてその車内を見ると・・・またもロングシート。思わず、膝がガクッとした。大分までは2時間近くの乗車。さらに、先ほど久留米から日田まで乗った列車もロングシート。これがすべてロングシートなら何も文句は言わないが、途中の駅ですれ違う列車はなぜかすべて転換クロスシート車だった。何だかなあ・・。

車内には先ほど久留米から日田までの車内で見かけた客(青春18きっぷで、日田で2時間観光を楽しんだか、まったりとしたか)の他、外国人観光客も目につく。

旅情という点でロングシートは否定されがちなのだが、車内が空いていれば向かい側の窓越しに景色を広々と楽しむこともできる。先ほどの渓谷とば一転して山岳路線の景色が広がる。

由布岳の姿が見え、13時34分、由布院に到着。しばらく停車するので車外に出る。観光地の玄関駅として多くの人で賑わっている。由布院か・・人気のところだけになかなか宿泊するのは難しいところだ。

この後も淡々と進み、いつしか景色が開けて大分市内に入る。駅ごとに地元の人たちもぽつぽつと乗って来る。

最後は高架となり、14時51分、大分着。日豊線、久大線、豊肥線が合流するターミナルである。ちなみに、西広島を6時ちょうどの始発で出発して、途中の待ち時間が増えても鈍行だけで乗り継ぐと、大分に着くのは14時52分と、ほぼ同じ時刻である。博多までの「バリ得こだま」や「ゆふいんの森」の費用が加わったものの、札所一つと機関庫の見物がプラス要素となった。そこは、いろいろな手段を織り交ぜて・・。

この時間であれば次の札所である第26番・福寿院の参詣は十分間に合う。大分駅から徒歩圏内ということでぼちぼち向かうことに・・・。

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