まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第8回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第23番「光明院」(杵築の城下町、酢屋の坂)

2023年04月05日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

3月30日、ハーモニーランドに向かう若い女性たちとは対照的におっさん一人を乗せた大分交通のバスは杵築駅を出発し、杵築の城下町を目指す。杵築の中心部は八坂川の河口に近くにあるのだが、日豊線となるとさすがに遠回りとなる。以前は大分交通の国東線という鉄道が杵築の町とを結んでいたそうだ。

バスターミナル行きは杵築市役所前を通り、両側の高台である北台・南台に武家屋敷があり、谷間に商家が並ぶ城下町に着く。観光スポットである酢屋の坂のバス停で下車する。

目指す第23番・光明院は高台を回り込み、八坂川沿いにあるので少し歩く。九州西国霊場めぐりで国東半島を回った時、杵築にも立ち寄ったのだが、光明院の前も通っている。その時は、九州三十三観音の札所の一つで、九州八十八ヶ所百八霊場の札所とまでは思わなかった。

一応山門はあるが、その横のスペースから境内に入ることができる。すぐ裏が、武家屋敷があった高台の崖になっていて、その崖をくり抜いた形のお堂がある。こちらが本堂だろうか。それにしても、この画像だけ見ると一瞬、光明院は山岳寺院なのかなと思わせる。

手前に大師堂がある。こちらの案内板によると、江戸前期に杵築藩主となった松平英親が杵築藩の裏鬼門除けのために不動明王を祀ったのが始まりという。その後、松平氏の保護を受けて本堂や護摩堂などのお堂が建てられたが、明治の廃仏毀釈により衰え、後に復興した。真言宗醍醐派の寺院である。

奥の本堂らしきお堂に向かう。九州八十八ヶ所、九州三十三観音それぞれのご詠歌の額が掲げられている。崖の下の洞窟に本堂があるとは雰囲気があり、これも杵築の観光スポットとしてもよいのではないかと思う。こちらでお勤めとする。

さて朱印だが、この本堂、そして大師堂に印鑑はない。これは手前の建物を訪ねて寺の方に押してもらうのかなと向かうが、平日の昼前、寺にも人の気配はない。門を開けさせてもらう。

すると、玄関前に「本堂はこちらです」の貼り紙が何枚もあった。あれ?先ほどの崖の下のお堂が本堂ではなかったのか。

留守の時はこちらから入って朱印を受けるようにとの紙もあるので、中に入る。すると、散らかっているのはさておき、左手に不動明王の護摩壇、右手に千手観音像が祀られている。うん、確かに本堂だ。ちなみに、先ほど本堂だと思った崖の下のお堂は護摩堂だという。ならばと、改めて本堂にてお勤めとする。

朱印はセルフでいただいた。

杵築では大分方面へのバスの時間を見込んでもう少し時間があるので、城下町めぐりとする。今は崖の下だが、もう少し八坂川沿いに回り、細道の階段を上がって南台に出る。看板にはあくまで避難通路用で日常的な使用はしないようにと書かれていたが・・・。

かつては武家屋敷や寺院が広がっていたが、現在は住宅地が広がっている。その中で城下町資料館、展望台に出る。展望台からは町並みを挟んで杵築城の模擬天守を眺めることができる。八坂川の河口にあり、海に面した要塞のような造りである。

展望台がある資料館の中に入るまでの時間がなかったため、そのまま進んで塩屋の坂に出る。この向かいに見えるのが酢屋の坂である。この二つの坂が杵築の城下町で名高いスポットである。

酢屋の坂を和服姿の人たちが下りてくる。ただ顔つきを見ると中国か、あるいは東南アジアかといったところ。杵築では街歩きを楽しんでもらおうと着物のレンタルを行っているそうで、町の景色によく溶け込んでいる。

それにしても、ここに城下町を作ろうとよく目を付けたものだと思う。北台、南台に武家屋敷を構え、商人はその谷間に住まわせるとは、武士からすれば商人を支配しているように見えるし、商人は商人で街道沿いで商売がしやすいというところがあるだろう。

酢屋の坂から北台に上がり、今も残る武家屋敷群を見る。こちらでも、和服姿で記念撮影する外国人観光客が目立つ。日本人が少ないのはおそらく平日のためで、土日となると賑わうことだろう。

勘定場の坂を下り、バスターミナル方面に向かう。

この次は第24番・蓮華寺に行くのだが、地図を見ると日豊線の日出駅と暘谷駅の中間にあるようだ。再び杵築駅に戻って日豊線で向かうところだが、午前中を中心に杵築バスターミナルから別府、大分方面行きのバスも出ており、途中の日出近辺も経由する。ちょうど11時55分発の大分駅行きバスがあり、日出まで20分あまりで着くこともあって、変化球で乗ってみることにする。

先ほど参詣した光明院の前を過ぎ、八坂川を渡る。河口に杵築城の模擬天守が見える。

この先の国道は九州西国霊場めぐりでも通ったところである。途中のバス停から乗って来た客は大神駅前で日豊線に乗り換えるようだ。列車の時刻にもよるが、別府や大分方面に行くならそのほうが早そうだ。

国道10号線に合流したところで日出の街中に入る。地図で見当をつけた日出本町で下車する・・・。

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第8回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~急遽出かけることにして日豊線で杵築へ

2023年04月04日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの第7回は、2月からの仕切り直しで3月26日に出かけ、中津、宇佐地区の4ヶ所を回った。ちょうど桜も見頃を迎えていた。その次は4月以降、あるいは5月の連休を利用して大分県の続き、豊後の国を回るつもりでいた。

そんな中、3月30日に平日ながら1日有給休暇を取ることになった。

3月の労働時間が法定外時間をかなり上回っていたため、半ば無理くり休暇取得となった。そこで30日を選んだのだが、予報を見ても天気もよさそうだし、家にこもっていても仕方ないので、急遽、日帰りにて九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの続きを行うことにした。何かのためにと買っておいた青春18きっぷの端切れも残っている。

前回宇佐まで進んだ九州一巡ルートの続きは、杵築にある第23番・光明院に始まり、日出の第24番・蓮華寺、そして別府の第25番・金剛頂寺に至る。その先は大分市街に入るが、とりあえず別府を目指すのはどうだろうか。いずれも鉄道またはバスでアクセスできるところで、レンタカーなしの公共交通機関で行けそうだ。広島~小倉間を新幹線で往復すれば、九州内の日豊線は青春18きっぷでの往復も可能であるし、別府で公衆浴場に浸かるくらいの時間は取れそうだ。

広島から「こだま」で西に行くときは6時53分発の「こだま781号」に乗ることが多いが、今回は少しでも早く九州に入ろうと、6時05分発の「こだま775号」に乗る。自宅からこの「こだま775号」に間に合うためには、最寄りの広電がまだ動いていないので、山陽線の西広島まで30分ほど歩く必要がある(クルマで行って西広島駅の駐車場に停めれば歩かなくてすむが、帰りが間違いなく飲酒運転になってしまうので・・・)。

朝の時間ということで各車両とも乗客はまばら。途中、徳山のコンビナート群も通過する。

うとうとするうちに新関門トンネルを抜け、7時15分、小倉にて下車する。入れ違いに、ここから博多へ通勤客が大勢乗って来る。この日は平日、普段の通勤の様子を見られるのも出かけてよかったところである。

この日はホームの「かしわうどん」は見送り、小倉7時40分発の日豊線中津行きに乗る。時刻表では小倉始発となっていたが、実際には門司港からやって来た小倉行き列車がそのまま列車番号を変えて中津行きとなった。小倉でほとんどの客が降りたので着席できたが、ちょうど通勤の時間帯とあってこの後多くの客が乗って来る。東京や大阪のラッシュに比べれば余裕があるのだが、立ち客も多く出る中で出発。次の西小倉では鹿児島線からの乗り換え客も多く、この後行橋まで混雑が続いた。

その後は車内もゆったりして、前回駅前に立った築城も通過。山国川を渡って大分県に入る。

8時45分、中津着。次の9時13分発の大分行きまで時間があるので、いったん外に出る。先日来た時には黒田官兵衛や奥平氏関連ということで中津城にも足を運んだが、やはり駅周辺で目につくのは福沢諭吉である。

改札内の展示スペースにある丸いオブジェ、先日来た時は説明をよく読まなかったのだが、これはマンホールの蓋のデザインだという。ただ実際には「福沢先生の顔は踏めない」ということで設置は見送りになったそうだ。まあ、福沢本人の気持ちはいざ知らず、中津の人たちの諭吉への思いはあちらこちらに表れている。

次の大分行きは2両編成のロングシート。平日だからか席もいい間隔で空いている。青春18きっぷでの旅行者らしい人、就職の面接に行くのかリクルートスーツ姿の女性、部活動の高校生、さらには別府か大分に遊びに行くのかちょっとおしゃれした高校生くらいの女性もちらほら見える。のんびりした車内である。

まずは平野部を走り、前回のゴールとなった宇佐に到着。ここから、九州一周のコマが進むことになる。

この先は豊前と豊後の境目となる山越えである。日豊線は時期をおいて複線になったためか、区間によっては上り下りの線路が離れているところもある。ちょうど鈍行の本数も少なくなる区間である。

中山香で特急の通過待ちでしばらく停車する。駅からの桜も見頃である。

中山香の次の杵築で下車する。今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは杵築駅からバスで杵築の城下町に移動して、第23番の光明院に向かう。駅は城下町への玄関口をPRしているが、先ほど同じ車内にいた高校生くらいの女性も含めて、若い人が多く下車する。

杵築ってそんなところだったかな?と一瞬思うが、改札へと続く階段の入口を見て納得した。杵築は、ハローキティなどのキャラクターで人気のハーモニーランドへの玄関駅なのだ。

駅舎の外に出てさらに驚いた。駅舎はあくまで武家屋敷風なのだが、その前には若い女性たちの行列ができている。ハーモニーランドへのバスを待っているのである。私がその中に入ればそれこそハーレム、もといハーモニーな状態なのだが、ええおっさんがそんなことをすれば間違いなく行列整理に当たっていた杵築市職員の手でつまみ出されるだろう。ここで誤解を解くために「いやいや私はキティちゃんが目的でハーモニーランドに行くんです!」と主張したら、それこそええおっさんが少女趣味で・・・と気色悪く思われることだろう。

あくまで城下町が目的地だとばかりに集団からちょっと離れたところに立つ。

女性たちの行列はやって来たハーモニーランド経由暘谷駅行きのバスに吸い込まれた。その後で人の姿がほとんどなくなったところで、杵築バスターミナル行きのバスに乗り込む。城下町までは10分あまりで着くとのこと・・・。

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第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~復路もグリーン車にて・・豊前の国終了

2023年04月02日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは大楽寺から宇佐神宮の参拝を終えて、その後どうするかというところ。宇佐駅前のトヨタレンタカーへの返却時間は17時30分とまだまだ余裕があるのだが、それまでどこかに行くにしても、着いたらすぐに閉館時間を迎えるとか、見物の時間がほとんどないとか、中途半端である。結局、今回で豊前の国の札所はきりがついたところで宇佐神宮で終了として、予定を早めて帰宅することにする。

宇佐17時49分発の「ソニック48号」のグリーン車を押さえていたのだが、いったん宇佐駅に向かい、1時間早い16時49分発の「ソニック44号」のグリーン車に変更する。そのまま近くのスタンドでの給油と、セブンイレブンでの買い物を済ませてトヨタレンタカーに向かう。

しばらく駅で小休止。待合室には木製のベンチとテーブルが備え付けられていて、テーブルの上に物を広げることもできる。宇佐駅も国東半島の観光の玄関駅とはいえ、ちょうど駅員の不在の時間帯のようで、きっぷを買いたいがみどりの券売機での購入の仕方がわからんといった感じの会話も聞こえる。

ホームに出る。宇佐のローマ字表記は「USA」。駅名標にはその駅のイメージや近くの名所などをあしらった図柄があるのだが、宇佐のそれは宇佐神宮の社殿も使いつつ、アメリカの国旗に似せたデザインである。

また、ホームから見える丘の上にも「USA」の文字が見える。ハリウッドのあのデザインである。千数百年の歴史を有する宇佐神宮とは全く対照的なノリであるが、古来より神仏習合、さまざまな文化を受け入れてきた宇佐らしい景色ともいえる。

さて、「ソニック44号」は「白いかもめ」編成。行きに「黒いつばめ」のグリーン車に乗ったこともあり、乗り比べである。こちらのほうが車歴が浅いぶん、革張りのシート、コンセント装備で1段階上に感じる。また座ったのが最前列(といっても半室なので車両の真ん中)のため、テーブルも壁に備え付けである。

この日の午前に降り立った中津でも乗客があり、日豊線を北上する。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりもこの先東九州を回ることになるが、特急「ソニック」、あるいは「にちりん」の世話になる機会も多いことだろう。山陽線のように気軽に鈍行乗り継ぎとはいかないようなので・・。

17時37分、小倉到着。新幹線乗り継ぎのためにいったんコンコースに出る。朝方はシートで覆われていたが、この時間行われていたのが「小倉駅ナカ本の市」。ふらりと入ってみたが、たまたま文庫コーナーにて目にとまった1冊があったので買い求める。

18時02分発の「さくら568号」に乗車。次の停車駅が新下関で、その後は広島まで停まらないダイヤ。新山口も通過するので、改めて外の様子も気にかけて乗り過ごさないように・・。

これで九州八十八ヶ所百八霊場めぐりもようやく大分県に入り、とりあえず豊後の国の札所は回った。ここから豊後、そして日向にかけて少しずつ移動距離が長くなる。かなり以前に日豊線で通過したものの、知らないスポットも多いエリアで、限られたスケジュールの中でそうしたことも楽しみたいものである・・・。

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第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第22番「大楽寺」(宇佐神宮とともに・・)

2023年04月01日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、八面山に近い田口インターから中津日田道路に乗る。現在は中津港からここ田口までの区間と、途中の耶馬渓近辺の区間が開通しているが、全線開通となると大分県内陸部と沿岸部がぐっと近くなる。また、東九州道、九州横断道と合わせてのネットワークも強化される。各地の鉄道ローカル線の厳しい経営のニュースが続く中、道路のほうはいかようにも拡張できる。

これで国道10号線バイパスまで出て、宇佐を目指す。どこかで昼食をと思う中、通りがかったバイパス沿いの新しい建物のラーメン店「嬉屋」に入る。別のところから移転して来たようだ。シンプルにラーメンとギョーザをいただく。「中津の宝来軒本店で修行し独自のアレンジを加えた一杯」とある。普通に美味しくいただいた。

思ったより早く行程が進んでおり、この後の第22番・大楽寺、そして宇佐神宮を参詣した後はどうするか。手前にある、以前九州西国霊場めぐりでも訪ねた大分県立歴史博物館に行くか(大分県といっても宇佐、国東半島に関する紹介が中心である)、逆に訪ねなかった「昭和の町」豊後高田まで足を延ばすか。参詣後に決めるとしよう。

バイパスから旧道に入った四日市辺りでは多少渋滞していたが、そのまま順調に走り宇佐神宮に到着。この後神宮にも参詣するのでこちらの駐車場にレンタカーを停め、道路を渡って大楽寺に向かう。この大楽寺も九州西国霊場の第4番として訪ねたことがある。

山門から境内に入るとちょうど寺の方がいて、「御朱印?」と声をかけられる。そのまま持仏堂に案内され、納経帳を預けて外陣からのお勤めとする。

大楽寺が開かれたのは元弘3年というから鎌倉幕府が滅亡しようという年で、宇佐八幡大宮司の到津(いとうづ)公連が、奈良西大寺の道密上人を迎え、鎌倉幕府が滅亡して建武と改元された後に後醍醐天皇の勅願寺となった。それ以後も宇佐八幡宮の別当寺としての歴史を持っている。現在は厄除け祈願の寺として信仰を集めている。

実質的な本堂である持仏堂には九州西国霊場の本尊である如意輪観音が祀られているが、九州八十八ヶ所百八霊場としての本尊は弥勒菩薩で、隣の本堂に祀られている。本堂は弥勒菩薩や脇侍、四天王像などとともに文化財保護のために建てられたもので、有料で拝観できるとはあるが、扉は閉められている。

境内の五大力明王や、本堂の外に並ぶ十三仏の石像などを見て寺を後にする。

さて、ここまで来たならと宇佐神宮の参拝である。大楽寺ともども九州西国霊場めぐりで訪ねたのが2021年6月で、およそ2年ぶりである。参道には九州西国霊場を有名なものにした種田山頭火の歌や日記を元にした石碑や、神仏習合の表れとしての「法華八講」の記念碑、そして大分交通宇佐参宮線で使われていた蒸気機関車などが並ぶ。宇佐参宮線は豊後高田から宇佐駅を経て宇佐神宮まで走っていた鉄道である。

参道の手水舎には柄杓が置かれていた。以前に来た時にはコロナ対策として柄杓は撤去され、竹筒から出る水を直接手で受ける方式だった。こうしたところにもかつての日常が戻りつつあるのを感じる。

参拝順路に沿ってまずは上宮を目指す。すると途中の西大門に覆いがかけられ、正面には西大門の実物大サイズの幕がかけられている。西大門は江戸中期の建立で、現在の宇佐神宮にあって古くからの建物である。建物全般の損傷が進んでいることから、2021年から4年計画での解体修理中である。

工事中の門をくぐり、上宮に入る。一之御殿(八幡大神)、二之御殿(比売大神)、三之御殿(神功皇后)それぞれで、二礼「四拍手」一礼にて手を合わせる。この「四拍手」、他には出雲大社が有名だが、なぜ4回なのだろうか。現在日本の神道の正統とされる伊勢神宮に対抗する何かがあるのかな・・。

上宮には、奥宮とされる大元神社がある御許山の遥拝所がある。

上宮の後は下宮にも参拝。宇佐神宮としては「片参り」にならないように下宮への参拝もすすめているが、全員が全員下宮も参拝しているようではないようだ。

最後に、これまで入ったことがなかった宝物殿に行ってみよう。エントランスでは宇佐神宮の紹介映像が流れ、和気清麻呂の像がある。和気清麻呂とは奈良時代の後期、弓削道鏡が天皇の位を得ようとした宇佐八幡宮神託事件に登場する人物。宇佐八幡の神託を確かに大和に持ち帰り、清麻呂は道鏡や称徳天皇の怒りを買って流罪となるのだが、宇佐八幡の権威を守ったとして後世に忠義の人物として顕彰される。

展示室でまず目にするのは金剛力士像。かつての神宮寺である弥勒寺の山門に祀られていたもの。他にも、宇佐神宮の神仏習合に関する文物が並ぶ。もう少し展示物があるのかなと思ったが、2室のみで終わりである。

さてこれで宇佐神宮まで来たわけで、後はレンタカーの返却の時間までどこに立ち寄ろうかというところだったが、宝物殿の見学を終えた時点で残り時間はどこかに往復、見学するのは少なくなった。ならば、これで豊前の国シリーズを終えたこともあるし、ここで旅程をおしまいにして早めに帰宅としようか・・・。

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