「David's Birthday」
精神科医のマッテオとその妻フランセスカは、友人のディエゴ夫妻と共に海辺の別荘で夏を過ごすことに。そこにディエゴ夫妻の18歳の息子デヴィッドが海外から帰国し加わる。マッテオは美しいデヴィッドに心を奪われ…
イタリア版おっさんずラブ?といっても、こちらはシリアスで破滅的な大人のBLです。日本のおっさんずラブは正直、もう観るのがキツくなってきてるんですよね~。同性の恋愛や結婚、性生活に、何の障害も苦悩もないなんてファンタジーすぎる。もう男女の話と同じだし。春たんを女にしても成り立つ話になってるような。男も女も関係ないという内容は、確かにLGBTの理想形だとは思うのだけど、男と男ならではの試練や葛藤の欠如はやはり不自然だし、それらに傷ついたり乗り越えたりする姿を描けば、もっとLGBTに寄り添った感動的なドラマになったはず。
BLはやはり、禁断と苦しみが似合います。そのほうが現実的、かつ映画的でもあります。このイタリア映画、社会的ステイタスと美しい妻がありながら、若いイケメンに夢中になってしまうという設定は、おっさんずラブと同じ。さしずめマッテオが黒澤部長でデヴィッドが春たん、といったところ。違うのは、マッテオが少年に恋する自分に独り戸惑い煩悶し、必死になって自分を抑え想いを隠そうとするところと、デヴィッドの態度が誘惑的なところ。デヴィッドの一挙手一投足が気になって仕方がない様子、デヴィッドを追う目、ギャルと仲良くしてるデヴィッドに嫉妬しイライラ、デヴィッドの着替えをこっそりのぞいてる時の表情…大人の思慮分別を失い、どんどん危険領域へと踏み込んでいくマッテオが狂おしすぎて、何か笑えてしまいました。
デヴィッドの誘惑も、わかりやすくセクシーすぎて笑えてしまった。マッテオの前では、だいたい裸。着替えだけでなく、エロすぎる自慰行為まで。それをのぞき見てしまったマッテオも、バスルームで狂おしく自慰。男同士の恋にあるはずの濃密な肉欲の臭いが、この映画ではちゃんと漂っていました。ラスト近くにあるマッテオとデヴィッドのセックスシーンも、ライトな腐にはちょっと刺激的かもしれない濃厚さでした。まずは性的な欲望や衝動、なのはいかにも男同士だとは思うけど、マッテオとデヴィッドの間にもうちょっと心が惹かれ合うエピソードもあってよかったのでは、とも思った。デヴィッドがただの気まぐれなイケメンっぽかったのが残念。心に闇や傷を抱えたミステリアスな美青年にしてほしかったかも。
映画は悲劇的な結末を迎えるのですが。フランセスカが可哀想すぎる。彼女がなぜあんなことになったかを、マッテオとデヴィッドはディエゴ夫妻に告白したのかどうか、もしそうしたら夫妻は息子とマッテオに対してどう出るのか、それは観客の想像に委ねられてます。まあ、おっさんずラブみたいなライトでハッピーな展開には、絶対ならないでしょうね。それにしても。セックスする場所とタイミングが悪すぎ。何で今?そこで?と呆れてしまった。冷静になれない、切羽詰まった愚かさもまた恋の怖さではあります。
マッテオ役のマッシモ・ポッジョが、いい男!ポール・ウォーカーを濃ゆくした感じの顔?まだ若々しくて、おっさんって感じではないのもBLをジューシーにしていました。優しい夫&パパの時も、悶々と恋する男の時も、大人だけど少年っぽい繊細さがあって素敵でした。シャワー自慰やデヴィッドとのセックスシーン、フランセスカを素っ裸で追っかけるシーンなど、日本の俳優だとありえない脱ぎっぷりのよさでした。
デヴィッド役の俳優は、美しい肉体のイケメンなんだけど、顔がちょっとジョン・トラボルタ似で私の好みではありませんでした。フランセスカ役は、タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」に出てたポルトガル女優のマリア・デ・メデイロス。独特の可愛らしい顔。けなげな奥さんを好演してました。
モンテ・チルチェーオのふもとにあるビーチハウスや海辺の、シンプルだけど優雅なリゾート感、小さな海沿いの町のイタリアンな風情など、私もあんなところで静かに楽しくヴァカンスしたいと思いました。
精神科医のマッテオとその妻フランセスカは、友人のディエゴ夫妻と共に海辺の別荘で夏を過ごすことに。そこにディエゴ夫妻の18歳の息子デヴィッドが海外から帰国し加わる。マッテオは美しいデヴィッドに心を奪われ…
イタリア版おっさんずラブ?といっても、こちらはシリアスで破滅的な大人のBLです。日本のおっさんずラブは正直、もう観るのがキツくなってきてるんですよね~。同性の恋愛や結婚、性生活に、何の障害も苦悩もないなんてファンタジーすぎる。もう男女の話と同じだし。春たんを女にしても成り立つ話になってるような。男も女も関係ないという内容は、確かにLGBTの理想形だとは思うのだけど、男と男ならではの試練や葛藤の欠如はやはり不自然だし、それらに傷ついたり乗り越えたりする姿を描けば、もっとLGBTに寄り添った感動的なドラマになったはず。
BLはやはり、禁断と苦しみが似合います。そのほうが現実的、かつ映画的でもあります。このイタリア映画、社会的ステイタスと美しい妻がありながら、若いイケメンに夢中になってしまうという設定は、おっさんずラブと同じ。さしずめマッテオが黒澤部長でデヴィッドが春たん、といったところ。違うのは、マッテオが少年に恋する自分に独り戸惑い煩悶し、必死になって自分を抑え想いを隠そうとするところと、デヴィッドの態度が誘惑的なところ。デヴィッドの一挙手一投足が気になって仕方がない様子、デヴィッドを追う目、ギャルと仲良くしてるデヴィッドに嫉妬しイライラ、デヴィッドの着替えをこっそりのぞいてる時の表情…大人の思慮分別を失い、どんどん危険領域へと踏み込んでいくマッテオが狂おしすぎて、何か笑えてしまいました。
デヴィッドの誘惑も、わかりやすくセクシーすぎて笑えてしまった。マッテオの前では、だいたい裸。着替えだけでなく、エロすぎる自慰行為まで。それをのぞき見てしまったマッテオも、バスルームで狂おしく自慰。男同士の恋にあるはずの濃密な肉欲の臭いが、この映画ではちゃんと漂っていました。ラスト近くにあるマッテオとデヴィッドのセックスシーンも、ライトな腐にはちょっと刺激的かもしれない濃厚さでした。まずは性的な欲望や衝動、なのはいかにも男同士だとは思うけど、マッテオとデヴィッドの間にもうちょっと心が惹かれ合うエピソードもあってよかったのでは、とも思った。デヴィッドがただの気まぐれなイケメンっぽかったのが残念。心に闇や傷を抱えたミステリアスな美青年にしてほしかったかも。
映画は悲劇的な結末を迎えるのですが。フランセスカが可哀想すぎる。彼女がなぜあんなことになったかを、マッテオとデヴィッドはディエゴ夫妻に告白したのかどうか、もしそうしたら夫妻は息子とマッテオに対してどう出るのか、それは観客の想像に委ねられてます。まあ、おっさんずラブみたいなライトでハッピーな展開には、絶対ならないでしょうね。それにしても。セックスする場所とタイミングが悪すぎ。何で今?そこで?と呆れてしまった。冷静になれない、切羽詰まった愚かさもまた恋の怖さではあります。
マッテオ役のマッシモ・ポッジョが、いい男!ポール・ウォーカーを濃ゆくした感じの顔?まだ若々しくて、おっさんって感じではないのもBLをジューシーにしていました。優しい夫&パパの時も、悶々と恋する男の時も、大人だけど少年っぽい繊細さがあって素敵でした。シャワー自慰やデヴィッドとのセックスシーン、フランセスカを素っ裸で追っかけるシーンなど、日本の俳優だとありえない脱ぎっぷりのよさでした。
デヴィッド役の俳優は、美しい肉体のイケメンなんだけど、顔がちょっとジョン・トラボルタ似で私の好みではありませんでした。フランセスカ役は、タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」に出てたポルトガル女優のマリア・デ・メデイロス。独特の可愛らしい顔。けなげな奥さんを好演してました。
モンテ・チルチェーオのふもとにあるビーチハウスや海辺の、シンプルだけど優雅なリゾート感、小さな海沿いの町のイタリアンな風情など、私もあんなところで静かに楽しくヴァカンスしたいと思いました。