秋の夜長の国際BL映画祭④ ニュージーランド
「Punch」
ニュージーランドの田舎町で父スタンと暮らす高校生のジムは、元ボクサーであるスタンの厳しい指導を受けながら、ボクシングのプロテストに向けトレーニングを重ねていた。そんな中、学校で変わり者扱いされているゲイのウェトゥと親しくなるジムだったが…
ニュージーランド映画も普段あまり観る機会がありません。同じ田舎の風景でもニュージーランドは、イギリスやアメリカといった馴染みのある国と違い、どこか原始的な趣きが感じられました。お隣のオーストラリアは明るく開放的なイメージですが、ニュージーランドはどこか寂寥とした閉塞感が。ニュージーランドにはカンガルーもコアラもいないんですね。
BLが特殊な恋愛じゃないのはフィクションの中だけで、今も現実では人間として異常な誤った“逆さまの世界”と見なされているのではないでしょうか。私の周囲でも、おじさんとかおばさんは平然と当たり前のように、女性っぽい人を“おかま”呼ばわりしたり、ホモとか気持ち悪いなんて言ってますし。この映画でも、同性愛、というか、自分たちとは相容れない、自分たちの理解を超えた価値観を持った人に対する無知な凡人たちの差別偏見と迫害が、あまりにも低能かつ暴力的で戦慄。心が貧しいと、人間が狭くて卑しくなってしまう怖さ。そうならないためには、もっと視野を広げて勉強しなきゃいけないと、あらためて痛感しました。
異性愛者、もしくは白人なので自分たちは正しい、同性愛者、もしくは有色人種は異常かつ汚いので自分たちより下、なので虐げたり排除してもいいという、もうおなじみかつウンザリするような低能すぎる差別主義者が大手を振るってる国に生まれなくてほんとよかったと、この映画を観ても思いました。ニュージーランドも差別偏見がかなりキツくて野蛮。驚いたのは、女の子まで積極的にウェトゥをいじめてたこと。女の子があんな風にゲイに対して悪意ある言動をするシーンってあんまり見たことがないので、ちょっと衝撃的でした。
いじめに屈せず、堂々と自分らしさを貫くウェトゥの誇り高さと勇気は称賛に価しますが、ちょっと自分らしさを貫きすぎというか、意地になって開き直ってる言動は挑発的で露悪的でもあって、不快感や反感を買うのも仕方がない部分が。自分に正直に生きることは大切、私も見習いたいけど、遠慮とか慎ましさといったものも失いたくないと思いました。学校ではヒエラルキーの上層部にいて、男女の取り巻きに囲まれ、将来はプロボクサー、という勝ち組DKなジムが、ウェトゥとの関りを通して本当の自分、本当に望んでいる生き方に気づかされるのですが、イジイジコソコソ独りで悩んで葛藤してるだけで、愛のために闘う姿勢はあまり見せなかったのが、ちょっと物足りなかったです。あんな田舎ですべてを失う覚悟でカミングアウトは、まあ確かにリングの上で戦う以上の不安と苦痛でしょうけど…
最後の最後になって、ついに結ばれるジムとウェトゥですが。それまでフツーの友だちレベルな感じだったので、いきなりセックスとか唐突感が。そこに至るまで、互いに性的な欲望を抱いてしまう戸惑いや焦りなどの描写が、もっときめ細やかにあればよかったのですが。セックスシーンは、大胆だけど全然イヤらしくありません。あんな真昼間のビーチで全裸で絡み合うとか、羞恥心も人目を気にすることもないアオカン、私には無理ジム役のジョーダン・オオスターホフは、マット・デーモン+日本ハムの清宮、みたいな顔?小柄なゴリマッチョ。脱ぎっぷりがよく、すっぽんぽんになってビーチを走るシーンとかもありました。ウェトゥ役のコナン・ヘイズは、なかなかの美人さんでした。ジムのパパ役は、懐かしのティム・ロスでした。うらぶれたアル中の負け犬おやじっぷりが痛ましかったです。
「Punch」
ニュージーランドの田舎町で父スタンと暮らす高校生のジムは、元ボクサーであるスタンの厳しい指導を受けながら、ボクシングのプロテストに向けトレーニングを重ねていた。そんな中、学校で変わり者扱いされているゲイのウェトゥと親しくなるジムだったが…
ニュージーランド映画も普段あまり観る機会がありません。同じ田舎の風景でもニュージーランドは、イギリスやアメリカといった馴染みのある国と違い、どこか原始的な趣きが感じられました。お隣のオーストラリアは明るく開放的なイメージですが、ニュージーランドはどこか寂寥とした閉塞感が。ニュージーランドにはカンガルーもコアラもいないんですね。
BLが特殊な恋愛じゃないのはフィクションの中だけで、今も現実では人間として異常な誤った“逆さまの世界”と見なされているのではないでしょうか。私の周囲でも、おじさんとかおばさんは平然と当たり前のように、女性っぽい人を“おかま”呼ばわりしたり、ホモとか気持ち悪いなんて言ってますし。この映画でも、同性愛、というか、自分たちとは相容れない、自分たちの理解を超えた価値観を持った人に対する無知な凡人たちの差別偏見と迫害が、あまりにも低能かつ暴力的で戦慄。心が貧しいと、人間が狭くて卑しくなってしまう怖さ。そうならないためには、もっと視野を広げて勉強しなきゃいけないと、あらためて痛感しました。
異性愛者、もしくは白人なので自分たちは正しい、同性愛者、もしくは有色人種は異常かつ汚いので自分たちより下、なので虐げたり排除してもいいという、もうおなじみかつウンザリするような低能すぎる差別主義者が大手を振るってる国に生まれなくてほんとよかったと、この映画を観ても思いました。ニュージーランドも差別偏見がかなりキツくて野蛮。驚いたのは、女の子まで積極的にウェトゥをいじめてたこと。女の子があんな風にゲイに対して悪意ある言動をするシーンってあんまり見たことがないので、ちょっと衝撃的でした。
いじめに屈せず、堂々と自分らしさを貫くウェトゥの誇り高さと勇気は称賛に価しますが、ちょっと自分らしさを貫きすぎというか、意地になって開き直ってる言動は挑発的で露悪的でもあって、不快感や反感を買うのも仕方がない部分が。自分に正直に生きることは大切、私も見習いたいけど、遠慮とか慎ましさといったものも失いたくないと思いました。学校ではヒエラルキーの上層部にいて、男女の取り巻きに囲まれ、将来はプロボクサー、という勝ち組DKなジムが、ウェトゥとの関りを通して本当の自分、本当に望んでいる生き方に気づかされるのですが、イジイジコソコソ独りで悩んで葛藤してるだけで、愛のために闘う姿勢はあまり見せなかったのが、ちょっと物足りなかったです。あんな田舎ですべてを失う覚悟でカミングアウトは、まあ確かにリングの上で戦う以上の不安と苦痛でしょうけど…
最後の最後になって、ついに結ばれるジムとウェトゥですが。それまでフツーの友だちレベルな感じだったので、いきなりセックスとか唐突感が。そこに至るまで、互いに性的な欲望を抱いてしまう戸惑いや焦りなどの描写が、もっときめ細やかにあればよかったのですが。セックスシーンは、大胆だけど全然イヤらしくありません。あんな真昼間のビーチで全裸で絡み合うとか、羞恥心も人目を気にすることもないアオカン、私には無理ジム役のジョーダン・オオスターホフは、マット・デーモン+日本ハムの清宮、みたいな顔?小柄なゴリマッチョ。脱ぎっぷりがよく、すっぽんぽんになってビーチを走るシーンとかもありました。ウェトゥ役のコナン・ヘイズは、なかなかの美人さんでした。ジムのパパ役は、懐かしのティム・ロスでした。うらぶれたアル中の負け犬おやじっぷりが痛ましかったです。