今日は息子Tの誕生日です。22才になりました。
息子は今日で試験が終わり、わたしも今日でコンサートが終わりました。
エンジニアの試験はかなり大変だそうで(ガールフレンドのJ子ちゃんが力説していました)、きっと彼もわたし同様、今日はヘトヘトのよれよれでしょう。
遠く離れているので、電話ぐらいでしかおめでとうを言えません。
試験中に電話なんてできないので、試験の終わる頃を見計らって、ハッピーバースデーの歌でお祝いしようと旦那とかけてみましたが、留守電でした。
親子ともども命を落としかけたあの日から22年。
子供の誕生日は、子供が無事に年を重ねていく姿を見守らさせてもらえる幸せを、改めてしみじみと感じることができる日です。
彼はツルツルのきれいな肌の赤ちゃんでした。
3才半のある夏の日に、プール遊びから上がってきた彼が、睾丸袋の後ろが痒いと言いました。
その日から実に丸々10年、徐々に悪化するアトピーとの闘いが始まりました。
顔と首以外の全身に症状が広がってしまった小学校中学年には、起きている時どころか眠っている間も、ものすごい痒さに見舞われていました。
桃の葉、枇杷の葉、食事療法、手袋、海水、埃の徹底的な除去、もう忘れましたが、図書館に通ってはいろんな療法を知り、取っ替え引っ替え試しました。
けれども完全に良くなることはなく、眠りながら掻こうとする彼の手を掴み、こんな小さな子供が気持ち良く眠ることもできないなんてと、彼の寝床の横に立ちながら泣いた晩も数えきれません。
もう為す術が無いと諦めかけていた頃、ある健康雑誌の中の記事が目に入りました。
『誰も治せなかったアトピーを僕なら治せる』
丹羽先生という方の言葉でした。
藁をもつかむ心境で調べてみると、まず患者、または家族の者が講習を受けることが条件ということで、指定された会場に出向きました。
少し新興宗教っぽい感じがしないでもなかったけれど、彼の話や治療方法、それから信念など、共感できることが多かったので、治療を受けさせてみようと思いました。
診療所にTを連れて行くと、そこには様々な病状のアトピー患者であふれていました。
わたしは、彼らに比べるとTはまだまだマシかもなどと思っていましたが、
Tの背中を診察した医者が開口一番、「どうしてこんなになるまで放っといたんですか」と言い、
驚いて言葉も出ないわたしに、「土佐清水の本院に入院させなさい」と怒ったような口調で言いました。
えらいことになった。そんな入院費用、いったいどこから捻出できるだろう。それに学校だって……。
本院に入院しなければならないほどTの症状が酷いことが分かり、親として申し訳が無い気持ちでいっぱいになりました。
けれどもやっぱり先立つ物がありません。本院で治療するのと同じことを、自分がやってみるので、塗り薬だけ分けてもらいたいとお願いしました。
先生が開発したSOD様食品EOAという粉末を食べ、処方された4種類の塗り薬を塗る毎日が始まりました。
4種類のうち、1番重症な部分に塗る薬はそれはそれは強烈な臭いがして、お風呂上がりに塗ったその薬の臭いを取るのが大変でした。
けれども、本当に何年かぶりに、スウスウと寝息をたてて眠るTの寝顔が、臭いなんかなにさ、という気持ちにさせてくれました。
自分が年を取って、肌が乾燥しがちになり、足やお腹の周りが痒くなる回数が多くなりました。
ああ痒いとガリガリ掻いている時、決まってあの頃のTのことを思い出します。
彼は、こんな痒みが全身にあって、起きている時も寝ている時も、思いっきり引っ掻きたいのをじっと我慢し、
たまらなくなって掻いてしまって傷を作り、そこがかさぶたになってまた痒くなる、そんな日々を4千日以上続けていたんだなあと。
我慢強さと、いつかきっとやって来る良き日、良き事を待てる気長さ、これらは彼が、彼自身の暮らしから得た長所だと思います。
Tよ、誕生日おめでとう!
息子は今日で試験が終わり、わたしも今日でコンサートが終わりました。
エンジニアの試験はかなり大変だそうで(ガールフレンドのJ子ちゃんが力説していました)、きっと彼もわたし同様、今日はヘトヘトのよれよれでしょう。
遠く離れているので、電話ぐらいでしかおめでとうを言えません。
試験中に電話なんてできないので、試験の終わる頃を見計らって、ハッピーバースデーの歌でお祝いしようと旦那とかけてみましたが、留守電でした。
親子ともども命を落としかけたあの日から22年。
子供の誕生日は、子供が無事に年を重ねていく姿を見守らさせてもらえる幸せを、改めてしみじみと感じることができる日です。
彼はツルツルのきれいな肌の赤ちゃんでした。
3才半のある夏の日に、プール遊びから上がってきた彼が、睾丸袋の後ろが痒いと言いました。
その日から実に丸々10年、徐々に悪化するアトピーとの闘いが始まりました。
顔と首以外の全身に症状が広がってしまった小学校中学年には、起きている時どころか眠っている間も、ものすごい痒さに見舞われていました。
桃の葉、枇杷の葉、食事療法、手袋、海水、埃の徹底的な除去、もう忘れましたが、図書館に通ってはいろんな療法を知り、取っ替え引っ替え試しました。
けれども完全に良くなることはなく、眠りながら掻こうとする彼の手を掴み、こんな小さな子供が気持ち良く眠ることもできないなんてと、彼の寝床の横に立ちながら泣いた晩も数えきれません。
もう為す術が無いと諦めかけていた頃、ある健康雑誌の中の記事が目に入りました。
『誰も治せなかったアトピーを僕なら治せる』
丹羽先生という方の言葉でした。
藁をもつかむ心境で調べてみると、まず患者、または家族の者が講習を受けることが条件ということで、指定された会場に出向きました。
少し新興宗教っぽい感じがしないでもなかったけれど、彼の話や治療方法、それから信念など、共感できることが多かったので、治療を受けさせてみようと思いました。
診療所にTを連れて行くと、そこには様々な病状のアトピー患者であふれていました。
わたしは、彼らに比べるとTはまだまだマシかもなどと思っていましたが、
Tの背中を診察した医者が開口一番、「どうしてこんなになるまで放っといたんですか」と言い、
驚いて言葉も出ないわたしに、「土佐清水の本院に入院させなさい」と怒ったような口調で言いました。
えらいことになった。そんな入院費用、いったいどこから捻出できるだろう。それに学校だって……。
本院に入院しなければならないほどTの症状が酷いことが分かり、親として申し訳が無い気持ちでいっぱいになりました。
けれどもやっぱり先立つ物がありません。本院で治療するのと同じことを、自分がやってみるので、塗り薬だけ分けてもらいたいとお願いしました。
先生が開発したSOD様食品EOAという粉末を食べ、処方された4種類の塗り薬を塗る毎日が始まりました。
4種類のうち、1番重症な部分に塗る薬はそれはそれは強烈な臭いがして、お風呂上がりに塗ったその薬の臭いを取るのが大変でした。
けれども、本当に何年かぶりに、スウスウと寝息をたてて眠るTの寝顔が、臭いなんかなにさ、という気持ちにさせてくれました。
自分が年を取って、肌が乾燥しがちになり、足やお腹の周りが痒くなる回数が多くなりました。
ああ痒いとガリガリ掻いている時、決まってあの頃のTのことを思い出します。
彼は、こんな痒みが全身にあって、起きている時も寝ている時も、思いっきり引っ掻きたいのをじっと我慢し、
たまらなくなって掻いてしまって傷を作り、そこがかさぶたになってまた痒くなる、そんな日々を4千日以上続けていたんだなあと。
我慢強さと、いつかきっとやって来る良き日、良き事を待てる気長さ、これらは彼が、彼自身の暮らしから得た長所だと思います。
Tよ、誕生日おめでとう!