ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

油断大敵

2010年01月16日 | ひとりごと
昨日行くはずだった『H Mart』の名前でこの地域では有名な、コリアンマーケットのチェーン店に行ってきました。
1ヶ月に2回ぐらいの割合で行く、アメリカに住む日本人のメッカ『ミツワ』の近くにまた新しく開店したというので、嬉しがって行ってみたのでした。
いつも行く、別の場所にある『H Mart』から、わずか10分ぐらいしか離れていない所にあること、新しいけれど、品揃えと量は馴染みの店の方が良いことがわかり、ちょっとがっかりしましたが、中のパン屋さんがとてもいい味(試食しまくり)だったので良しとしましょう。

今日はジェーンが久しぶりに遊びに来るし、明日は日本人妻(しかも全員関西系人)とアメリカン夫カップルの集いがコネチカットであるということで、
集いのホストをしてくれるK子ちゃんから、「まうみは筑前煮!」とのご希望をいただいたこともあり、こうなりゃついでだ、今日と明日の分、一緒に作ってしまお~と思い、大人15人分の筑前煮を作るべく、材料の仕入れに行ってきたのでした。

おっきな鍋をふたつ用意して、ごま油(また出た!)で鶏のもも肉を炒り、そこに牛蒡、蓮根、筍、人参をドバッと入れて炒め、戻した干し椎茸(これもK子ちゃんからのご依頼通り、生を使いませんでした)、湯煎して千切った蒟蒻を足してひと回し。
椎茸の戻し汁と醤油と味醂と酒で味を整え、あとはただ煮えるのを待つのみ。
……のはずでした……。

ところが、野菜を切りながらジェーンとしゃべりまくり、材料が鍋に全部おさまったところで、ジェーンとわたしはピアノ遊びに。
連弾やら2台ピアノ曲を、初見できゃあきゃあ言いながら弾いているうちに……台所のガスコンロの上では、とんでもないことが起こっていたのでした。
火が強過ぎたのでした……
しかも、早くピアノを弾きたいばかりに、味付けをひじょ~に中途半端にしてしまっていたのでした

とりあえず応急手当てをして、なんとか今夜の食事には間に合わせたものの、明日、こんなのを持って行くわけにはいかん!と落ち込むわたし……。
主婦歴合計30年を誇る、しかもおばあちゃんのお惣菜にはそれなりの自信もあるこのわたしが、なんたること!!凹みました。
でも、材料はもうすっかり使ってしまったし、今さらまた一からなんて気力もありません。
仕方がないので、野菜の旨味がしみ込んだ汁をほとんど捨て(もも肉からの油でギトギト?!)、ダシを取って味を付け直した汁に野菜を移し替えました。
人参はほとんど溶けてしまい、他の野菜にくっついています。見た目も全然良くなぁ~い!
明日のみんなぁ~、今からごめんって謝っときまぁ~す!ごめんなさぁ~い

焦りまくっていたからか、味見をしようと、コンロのゴトクのすぐ隣に置いてあったスプーンの柄を握ったら、そりゃもうチンチンに熱くなっていて、



がぁ~~~ん久々のちょいとキツい目のやけどです。
急いでアロエ救急隊に助けを求め、ただ今治療していただいている最中です。
でも、幸いなことに、どちらの指もピアノの鍵盤に当たらない所がやられたので、練習には差し支えなさそうです。

やれやれ……何年料理を作ってるのやら……。


P.S.
明日の集いの、アメリカン夫グループの中に、お一方日本人の男性がいらっしゃいます。
けれども彼も、こちらでの生活が長い人で、感覚的にはアメリカンに近いかもしれません。まだほんの2回しかお会いしたことがないのですが……。
明日はマサチューセッツ州、コネチカット州、ニューヨーク州、ニュージャージー州の5家族が一同に集まります。
アメリカン夫達は、それぞれに日本での暮らしを経験した人達ばかり。6人の赤ちゃんから6才までの女の子達は、うちとは違って両方の文化の遺伝子を持って生まれてきた子達です。
明日は久々に(多分1年以上ぶりに)、声も枯れんばかりに、関西弁でしゃべりまくりたいと思っています。楽しみやな~!
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誰も助けに来てくれない

2010年01月15日 | ひとりごと
ひと月前の、Tの大学の卒業式と誕生日の日に、雪嵐に遭った。
山の中をぐねぐねと走る高速道路で車止めを食らった。



ガソリンスタンドで散々思案して、とにかく進める所まで進もうと決心し、高速に入ってほんの2分も経っていなかった。

事情がわからないまま1時間が過ぎた。
わたし達家族4人が乗った車には、それでも幸運なことに、ついさっきスタンドで入れた満タンのガソリンが入っていた。
躊躇することなく、エンジンはつけたままにしていた。
前後の車ももちろん、エンジンをつけたままだったので、排気ガスのことが多少不安になったけれど、吹雪いているだだっ広い山の上なので、とりあえず凍え死ぬよりはマシだ、という結論が出た。
誰も外に出て来ない。
誰も外に出て、いったいどうなってるんだ!と怒り出さない。
誰も外に出て、前の様子を見に行こうともしない。
ただ、ただ、静かに、車の中に閉じこもっていた。

2時間が過ぎた。3時間が過ぎた。
息子Tの誕生日が終わり、日付が変わった。

とうとうひとりの男性が外に出て、近くに止まっているトラックの運転手と話をし出した。
トラックの運転手は、彼ら専用の携帯ラジオがあって、それで少しは詳しい情報を仕入れていた。

「安心しな。あと2時間もすりゃ、助けが来るよ。さっきヴァージニアの知事が非常事態宣言を出して、ナショナルガードに出動の要請をしたんだ。3時頃には、ナショナルガードがここに来て、我々を避難場所まで誘導してくれるよ」

それを伝え聞いた時の安堵と喜びは、それまでに鬱積していた怒りを瞬く間に溶かした。
助けに来てくれる!誰かが助けに来てくれる!ありがとう!ありがとう!

その3時になった。辺りは真っ暗で静かなまま。すべてを包み込んでしまう雪が憎くなった。



きっと遅れてるんだ。だって、事故はここだけじゃないはずやもん。彼らだって大変なんだ。無理を言うのは大人気ない。
4時になった。
5時になった。
もう待つのはこりごりだと思いながら、それでも待ちたい気持ちは消せなかった。
6時になった。
とうとうあきらめた。少しだけウトウトとした。
7時になった。薄らと辺りの様子が見え始めた。



怪我をしている者がいたわけでもない。
地震のような恐ろしい災害に遭った後でもない。
命に関わるような持病がある者がいたわけでもない。
水も少しならあった。スナックも数袋残っていた。
飲み食いを一切しなかったのは、ただただトイレに行きたくなるのを防ぐためだけのことだった。
小さな子供もいない。赤ちゃんもいない。お年寄りもいない。健康な4人の大人が、とりあえずそれぞれに平気を取り繕いながら時間を過ごした。

それでも、誰ひとり助けに来てくれないことへの怒りは強かった。
繰り返し流されるその地域のラジオニュースにさえ、わたし達のエリアだけアナウンスしてもらえなかったことへの怒り。
世界中から無視されているような気がした。
誰もなにもしようが無くて、ただただ待つしかなくて、それでもいつか、誰かひとりでも、「大丈夫だ、もうすぐ道が通じるよ」と、伝えにだけにでも来てくれるのを、祈るような気持ちで待った。

ハイチの、あの時のわたしなんか比べられないほどの辛い目に遭って、それでもなお、誰にも助けに来てもらえないままでいる人々。
映像はこうして、毎日毎時間、事細かに、世界中のあらゆる町に流されているというのに、
彼らのもとに、瓦礫を取り除く機材も、水も、食料も、薬も、遺体を包む専用の袋も、なんにも届いていない。

誰か助けて!お願い助けて!

心の中でそう叫び続け、やがて時間が信じられないほど過ぎて、本当に誰も助けに来てくれなくて、そうしてそのために命を失うようなことになってしまったその人や、その人を愛おしく思う人々は、どれほどに傷つくだろう。

今夜のアンダーソン・クーパー(現地入りしているニュースアンカー)は、自身の報道番組の中で、「Stupid Death」と何度も何度も口にした。
およそ、死ぬ理由が見つからない馬鹿げた死を、何度も何度も目撃したと言っていた。
「Stupid Death」のような死に方をしなければならなかった、誰にも助けに来てもらえなかった9才の女の子は、最後まで笑っていた。
彼女は、ひとりぼっちで、暗闇の中で、死を迎えなかった。最後の最後まで、誰かが手を握り、声をかけ、励ましていた。
だからどうやっちゅうねん?
そんなふうに、暖かい部屋の中で、ソファに座って、人の命の終わりをただ眺めて、その死に理屈をつけている自分が、心底いやになった。




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米国美猫と野獣事情

2010年01月15日 | 米国○○事情
「まうみ!新しい遊び発見!こっち来て見て!見て見て!」

嬉しそうな旦那の声が聞こえてきました。
そそっと見に行くと……。



階段と手すりの間に細かく入っている支柱の間から、ちょこちょこっと指を突っ込んでいます。
旦那と家猫はこの遊びがだ~い好き。

おっ!かなり興奮してまいりました!完全に戦闘モードのお転婆さんです。人間の年で換算すると、もう70才を超えてる熟年さんなんですが……。



でも、わたしもできたら、こんな感じのおばあちゃんになりたいです。
ちょっと刺激されるとすぐに戦闘モードに切り替わる、スーパー元気な瞬間湯沸かし器ばあちゃん。なれるっかな~?





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米国1億円寄付事情

2010年01月14日 | 米国○○事情
じっくりと報道を観ました。
ハイチにゆかりの深い人が家族に居る生徒がいます。
息子達の友達、それから我々夫婦の友達にもいます。
どうしようもない自然の猛威。立ち尽くすしかない人間。目を覆いたくなるような惨状。悲鳴さえもが枯れてしまう深い悲しみ。

旦那が、もしかしたらボク、鍼で役に立てるかもしれん。とポツリと言いました。
電気も器具もいらん。手術が必要な怪我には、麻酔の代わりぐらいしか役に立てへんけど、痛みやらストレスの軽減には自信がある。

自分のできる範囲での寄付ぐらいしか頭に思い浮かばなかったわたしは、それを聞いてちょっと恥ずかしくなりました。

世界中の災害時に、ものすごく迅速に、高額な寄付をすることで有名な役者夫婦がまた、100万ドルをポンとハイチに送りました。
決めたのではなく、集めている途中でもなく、もう既に送られているそうです。
大リーグ機構も、米国内の大きな企業も、それぞれに100万ドルの寄付を発表しました。
もちろん、もともと持ち合わせているお金が、わたし達などには想像もつかないほどの量なんでしょうけれど、
それでも1億円近くの寄付をする、ということは、とても大きな決心だと思います。

これからハイチには、どんどんとお金や救援が送り込まれていくことになるでしょう。
どうか、そのお金と人材を、一銭たりとも、一人たりとも無駄にすることのないよう、それらの物や人が、ハイチの復活への純然たる力になれるよう、それを心の底から祈ります。

人類は荒れ狂う自然には勝てません。ペシャンと押しつぶされたりザァーッと流されたり吹き飛ばされたり、ひとたまりもなく命を奪われてしまいます。
けれどもそこに、奇跡的に難を逃れた人がほんの数人でも残っていたら、そこからまた、助け合い、励まし合って、自分達の暮らしを作り上げていくことができます。
人はひとりでは生きていけません。互いを支え、寄り添い、そうして初めて人は人となります。国語の先生がそう教えてくれました。

ハイチの人々が、人としての心を辛うじて保てるよう、どうか1時間でも早く、しっかりとした食べ物と治療を手渡してあげてください!
既に送られているお金を、どうか有効に、迅速に、送り主の気持ちが叶うよう、ハイチのために使ってもらえますように!
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ウィキペディア流Kのオムライス

2010年01月14日 | 家族とわたし
さて本日は息子Kが料理人。三日ほど前から、「友人のリンジーと一緒に餃子を作る!」と繰り返し言っておりましたが……予定変更……
旦那とわたしは、すでに他の料理を考えて取りかかっているKの横で、「ぎょ~ざ!ぎょ~ざ!ぎょ~ざ!」と意地悪言いながら大騒ぎ
だって……楽しみにしてたんやもぉ~ん!
旦那なんか、ビール買ってきてしっかり準備してたし……。

かなり急な変更だったようで、Kはウィキペディアで作り方を調べたオムライスを作ろうと奮闘中。



オムレツとオムライスは、TとKがまだ小さかった頃、わたしがよく作ったおかずです。
わたしも子供の頃は、レストランに連れてってもらうと必ず「オムライス!」と言って注文してもらいました。
なぜだかあの、ふかふかの卵に包まれたケチャップ味のチキンライスがたまらなく好きでした。
黄色い卵の上には真っ赤なケチャップ。それで顔を書いたり名前を書いたり、熟練してくると漫画のキャラクターを書いたり、いろいろと遊びました。
でも、東京に初めて行った時、駅近くの小さな洋食屋さんに入ってオムライスを頼んだら、茶色のソースがどろっとかけられていて、思わず「腐ってるんちゃうか?!」とびっくりして、クンクン匂いを嗅いだのを覚えています。
味は別に、それはそれで良かったけれど、やっぱりオムライスにはケチャップやで~!とブツブツ文句言いながら食べました。
だいぶ後になって、そのケチャップが腐ったような色のソースは、デミグラスソースという、ちゃんとした名前がついていると知りました。

「かかあ~、ちょっと来て!」

ピーマンをサイコロ切りってど~ゆ~こと
マッシュルームの量はこれでええかな
えっとさ、卵で包む時って、かかあはどうやってたっけ

まあ、初めてにしては少ない質問の量でございました。
途中、野菜を炒め始めた時に、元ガールフレンドから電話がかかってきて、いきなりバトンタッチされてしまった数分間だけ手伝いました。

旦那には『B』、わたしのには『M』、それぞれのケチャップイニシャル入り。まずは旦那とわたしが仲良く先にいただきました

久しぶりで、懐かしくて、美味しいオムライスでした
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米国 Can I do No.2? 事情

2010年01月13日 | 米国○○事情
今日の最初のレッスンの子、ライアン君。彼はとってもユニークな子です。
とにかくおしゃべりが大好きで、はじめの頃は、そのおしゃべりをどこでストップできるかが、わたしの最初の仕事になったぐらい。
「まうみ、知ってる?ボクは日本人だったんだよ!」(マジっすか?)
「まうみ、今日のボクの1番嬉しかったことはな~んだ?」(そんなこと知らんって

彼は4人兄弟妹の1番上のお兄ちゃんで、お洒落なおばあちゃんが付き添いをしてくださっていたのですが、最近はいつも、これまたお洒落なおじいちゃん(なんと産婦人科の先生)が、彼を送り迎えしてくださってます。
おじいちゃんは滅多に家の中に入ってこられません。季節のいい時はずっと車の外で、今は車の中で、ずうっと電話をかけて待っておられます。

今日はライアン、ちょっとイライラしていたようで、わたしがダメ出しをするたびに、「ボクのどこが悪いって~の?」と食ってかかってきました。
「ライアン、今日はちょっとライアンじゃなくてライオンだね」と言うと、いきなり、「まうみ、トイレ使ってもいい?」とのこと。
そ~かそ~か、お腹の調子がおかしかったのか。

しばらくしてまた、今度はトイレの中から、「ねえまうみ、Can I do No.2?」と聞いてきたのでした。
ふむ……No.2……なんのこっちゃ……。「ライアン、No.2ってなんのこと?」

するとライアン君、下ろしたパンツを律儀に元に戻し、ドアを開け、真剣な顔して説明してくれたのでした。
「あんね、No.1はほら、こうやって立ってするやつ。んでもってNo.2は、シートを下ろして座ってする……」
「あぁ~それか!ごめんごめん、もちろんオッケー、早よ、間に合わんかったら大変やん、どうぞどうぞ!」
「じゃ」と言ってにっこりするライアン君。ごめんよぉ~!そんなこと知らんかって!
シートを下ろす音がして、その後彼の、「はぁ~」という、なんとも気持ちの良さそうな声が聞こえてきました。間に合ってよかったよかった。

さっき旦那にこの話をすると、「ええ~っ?そんなこと知らんかったん?」と思いっきり呆れられてしまいました。
「まあ、No.1ってのは滅多に言わんけど、No.2って言うたらそりゃもう、アレに決まってるやん」……だそうです。
これから以降、心して気をつけますです
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米国うちのごま油事情

2010年01月13日 | 米国○○事情
昨日のトンカツ記事に登場したごま油。ごま油でトンカツ揚げるとはなにごとじゃ!とお思いになった方が大勢いらっしゃったようなので、
我が家の、大盤振る舞い的使用に日頃耐えてくれているごま油を、ちょいとご紹介したいと思います。

じゃ~ん!



と、ここでわたしもびっくり
めちゃくちゃ思いっきり日本製やん……KADOYA(角屋)って書いてあるやん

この缶、同じデザインで、二倍、三倍、ほんでもってもっとデカい缶の物もございます。
この缶が一番ちびなんですが、これでも普通の家庭用にしたらデカいので、ちびちび使っていたりすると古くなってしまうのです。
なので、使う時は勢いよくドボドボと、そして、どんな料理にも使う!それをモットーに料理しております。

よく考えるとえらい贅沢ですね。
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美味しんぼ流Tのとんかつ

2010年01月12日 | 家族とわたし
今夜はTの夕飯当番。美味しんぼ流ごま油で揚げるトンカツを作るでぇ~!とかなり前から予告がありました。

今朝はマンハッタンまで面接を受けに行き、社長直々の面接中、ほんの簡単な質問にも答えられなかった……と少々落ち込み気味だったT。
「まあ、専門外のデスクワーク分野やってんからしゃ~ないやん」、と慰めると、
「でも、君はすごくいいものを持ってるね、どこでもきっとバリバリやっていけるよ」と言われたと……それってここではいらんってことちゃう?(内緒の話)
「オレ、面接めっちゃうまいかも!って今日は自分で確信した!」
ま、それだけでも良かった良かった……。
彼は、とにかく一日でも早く職に就きたいと焦っています。旦那は、その気持ちはすごくわかると言います。
わたしももちろんわかるけど、だからって、焦って藁をも掴むように仕事を決めて欲しくないのです。
幸いにして彼は、家賃も食費も光熱費も、今のところは払わなくてもいい所で居るのだから(もちろんこれが長~く続くのは困るけれど)、
とりあえずは彼に向いている、彼が学んできたスキルを生かせる、規模が小さくてもなんでもいいから、働き甲斐のある会社を見つけるために、使える時間をフルに使って、じっくりと腰を据えて探して欲しいと思っています。

さてトンカツ
まずは近くのスーパーで豚肉とキャベツを購入。
たまたま風邪をひいた生徒がキャンセルしたので早めに家に戻ったわたし。呑気にピアノの練習をしていると、
「おか~さ~ん!小麦粉どこぉ~!」
「おか~さ~ん!油の温度計る温度計どこぉ~!」
うっさくてろくに弾いてられへんやんか
キッチンに行くと、肉の下準備にかかり始めたT。筋切り、包丁の背で叩くなど、一応の知識はあるようです。多分漫画から仕入れたのでしょう。
ところが、まな板の肉を移すお皿、溶き卵、小麦粉、パン粉を入れる容器も、にゃ~んも準備できていません。やれやれ……



T作、トンカツを揚げる鍋です。油跳ねを防ぐのと、温度計の固定が可能。ちょっと自慢げなT
揚げる温度は160℃。え?!なんか低くない?いや、160℃っちゅうたら160℃!
ふ~ん……。
で、とうとう160℃にまで達しました!パンパカパ~ン!
でも……なんか揚げ時には全く見えない鍋の中を覗いて不安になってきたわたし……Tの手から衣付きのお肉が離れ、お鍋の油の中にポチョン……し~ん
あかん……これはあかんと焦りまくるT。
そこでやっと我々は気がついたのでした!温度計の160は華氏の160℉。摂氏に直すと70℃?!摂氏の160℃は華氏の320℉だった……
トンカツさん、あ~ええ湯(油)やわ~って気持ちよさそう~
またひとつ賢くなったやんT……って……そんなこと最初っから気ぃついてぇ~なおかん!と言いた気なT。ガッハッハッ誰にでもうっかりはある!
っていうか、揚げ物は頃合いを見計らって、衣をチョビッと油の中に落とし、中頃まで沈んだかと思うとサッと浮き上がってくる、これが揚げ時!
それを何回言っても信じない青二才。ま、こうやって失敗を重ねて学んでいただきましょう。

いろいろ山アリ谷アリ、それでもとっても美味しい、ごま油風味の、からりと揚がったトンカツとキャベツの千切り(百切り?)でございました。
ごっちそぉ~さ~ん


P.S.仁さんへ

Tが今朝、玄関から「行ってきマンモス~」って言うて出ていきました。弟子にしたってもらえるやろか?
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帰ってきたタイソンマン

2010年01月12日 | 音楽とわたし
『Hi まうみ!
2月にフランクのソナタ、やりたいって言ってたよね!』
1行メールが突然送られてきました。え?タイソン?ゲゲッ

『Hi タイソン!(←とりあえずカラ元気を絞り出し……)
確かに、そんなこと言ったような記憶が……けど、あんた今どこよ?仕事は見つかったん(←話を違う方向に持っていく姑息なおばはん)?』

「昨日、マンハッタンに戻ったよ。仕事は探してるけどまだ見つかってない」
「わたし、あの曲の練習サボりまくってるから、ちょっと元に戻すのに頑張らにゃいけん。タイソンもやりたいんやったらね(←本音と違い過ぎ?!)」
「もちろん!やろうやろう!」ひゃあ~!!

ひょう~ひょう~タイソンマン復活……プラス、元気満々アルベルトマン……わたくしのこの、柔な脳みそと指、もつやろか
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米国Tの就活事情

2010年01月11日 | 米国○○事情
昨年の夏、東京で6週間の就職活動を経験した息子T。
複数のご家族に大変親切にしていただき、部屋を丸ごと貸してくれた人もいて、Tは日々感謝を胸に、一張羅の冬物のスーツを着て会社回りをしました。

もともと日本とアメリカの教育システムが半年ずれていること、加えてTが卒業を半年延ばしたことが原因で、新人の就活としてはまるで的外れな期間でしたが、
とりあえず経験しておくことが大事だという思いもあって、単身東京に乗り込み、会社とコンタクトを取り、筆記試験を受け、面接にまでこぎつけられるよう彼なりに必死で頑張ったのでした。
内定をくださったのは東京と名古屋と大阪に支社を持つ、新しく始まったばかりの派遣会社。Tはひとまずそこで社会人としての一歩を踏み出すつもりでいました。
ところが……、
大学を卒業し、雪嵐に遭い、まだ住んだことが無かった新しい家の三階でホッと一息ついた頃から、急にアメリカでの就職もアリか?と思い始めたようです。

こちらで数人のリクルーターさん達からのインタビューを受け、なんと明日のお昼前に、いきなりの面接と相成りました。
マンハッタンとはいえ、日本企業なので、スーツ着用のこと!とはっきりと言われたT。社長直々に面接をしてくださるということで、今朝から緊張しまくり!
その電話から後、次々に面接のお知らせの電話をいただき、中には医療器具のデザイン開発などという新しい分野の仕事などもあって、Tはさらにドキドキ!

まずは足を運ぶ。そして自分を見てもらう。
卑下することなかれ!安売りすることなかれ!けれども誇張することなかれ!
正直に、ありのままの自分を見てもらって、それでだめならあら残念!よかったらラッキー!
しかもラッキーは、あきらめないで歩き続けてたら、いつかかならずやってきてくれるのだから、それまでテクテク歩いてったらええやん。

うちの家族は、悩み出すとよくしゃべる傾向があります。
Tはわたしをつかまえてはペラペラ、旦那をつかまえてはペラペラ、心の中にフツフツとわいてくる不安や疑問をしゃべってきます。
わたしは普通に大学に通ったり、就職活動したりした経験が無いので、まるで役立たず。
ふ~ん、そうなんか~、それでええんちゃう?みたいな、腑抜けの相づちしか打てないのだけど、旦那はやっぱりこちらの人なだけに、しかもほんの10年前にこちらに戻って来て社会人として生き始めただけに、情報や知識が新鮮?!
こちらの常識やインタビューの受け方などに大切なコツや気構えを細かく教えようとしているみたいです。
それをTも、とても真剣に、うんうんと頷きながら聞いています。
ふたりの会話は英語です。
今夜、仕事から戻ってきて、玄関のドアを開けると、旦那とTの話し声がキッチンから聞こえてきました。
あのふたり、とうとう親父と息子になった……胸がふわりと熱くなって、涙がじわっと滲んでしまいました。

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