ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『きょうどううんこう』とはこれいかに?

2011年03月25日 | アホな小話
あさこがうちで居た時、日本へのフライトを再々度変更しなければならなくなって、うちから日本の旅行会社に電話をかけていた。
その時彼女の口から何回も出た、『きょうどううんこう』という言葉に、旦那がかなり激しく食いついた。
なにしろうちの旦那は、『う』と『ん』と『こ』が聞こえてくると、目が生き生きしてくるのであ~る。
そこに今回は『きょうどう』ときた!
頭の中ではいったいどんな光景が思い浮かんでいるのやら……

あさこに「ちょ、ちょっと、きょうどううんこうってなに?なに?」と、しつっこく聞く旦那。
そんなしょうもない質問に答えているどころではない彼女は、思いっきり無視して、ひたすら向こうからの情報を待っている。
そこで、彼とは20年もの付き合いのあるわたしが、ここはひとつ中に入って説明してやろうではないか、と思った。

「あんな、共同運行っていうのはな、あんたがワクワクするようなもんと違て、複数の航空会社が共同で運航することやねん。うんこと違てうんこうね」

外国の人達にとって、この『う』が最後につくかつかないか、これがなかなか聞き辛いのだそうな。
小さな『っ』が間に入っているかいないか、と同じくらいに、話の中に出てくる単語を正しく聞き取るのは大変らしい。
どんなふうに聞き間違えているかを知るには、旦那が書いたメールを読むとよくわかる。
在日十年、一から学んだにしてはかなりの習得量を誇る旦那でも、彼の書いた日本語の文章を読むとかなり笑える。(ごめん!)

「けどな、わたしは共同うんこの経験者やで」
ちょっとがっかりしている旦那を慰めてあげようと、わたしの小さな秘密を打ち明けてやった。

「え?!なになに、なんのこと?!」と、早くも奴の目の中に、2、3個の星が瞬いている。
「だって、幼稚園のトイレがそうやったもん。一つなぎの長細い溝があって、そこに水が一方通行で流れてて、薄い板で間仕切られてたけど、みんなおんなじ溝の上にしゃがんでおしっこしたりうんこしたりしてたもん。そやし、下流の方に座ってたら、上流から流されてくるブツが、自分のお尻の下をスルスルと流れてって……」

旦那も、そして途中から加わったあさこも、呆然と立ちすくんだまま、昭和三十年代のおもひでを聞いていたのであった。

あ、でも、このへんにしておこう。もっとえげつないエピソードもあるが、お食事中の方がいらっしゃるかもしれない……今さら遅いかもしれないが……。


追記です。

実は今朝(3/27)、旦那から抗議がございました。
「まうみは事実をねつ造している」と。
そして、それは確かにそうなのでございました。

旦那は、『きょうどううんこう』が『共同運行』だということを知りつつ、ふざけていちびってた、というところを割愛し、記事を書いたのであります。
そこんとこが旦那には気に入らなかったようで、まあそりゃそうでしょう、わたしならゲンコツかましてたと思われます。
ということで、旦那の日本語力は、もうちょっと上なのである、ということを付け加えさせていただきます。
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うららには程遠いけれども

2011年03月25日 | ひとりごと
気温5℃ですが、みんながんばっています。

わたしが『芽キャベツくん』と呼んでいるこの葉に、露の玉が集まっていて、それがキラキラときれいでした。


やっと溶けた雪の下から、けなげにすっくと立ち上がる緑の葉。


チューリップもクロッカスも。ほんとに感動します。


おむかいの桜のポンちゃんのごきげんはいかがだろうかと、玄関から眺めてみると、枝の先がずいぶんふっくらしてきたように見えました。
それでうんと近寄ってみると、
わ~!咲いてる咲いてる!


びっくりしたろうなあ……この二日間の雪とあられとみぞれには。
晴れてもまだまだ寒い北風が吹いているので、花びらをフルフルと震わせています。
ポンちゃん、もう少し、あともう少しだからね。
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『君が代』とわたし

2011年03月24日 | 音楽とわたし
第二次世界大戦前にはごく自然な国家平安の歌として親しまれていた『君が代』。
昭和のど真ん中生まれのわたしは、この歌が大好き。
ちっちゃな子供の頃から、この歌を歌う時は、おっきな声で歌った。

昭和天皇のことも大好きで、わたしは勝手に、『天ちゃん』とあだ名をつけて呼んでいた。
理由なんか別に無い。
彼の人となり、仕草が好きだった。
昭和天皇の容態が深刻になり、下血が続いていた頃、わたしはまるで、自分のじいちゃんが死にかけているぐらいに悲しくて、心の底から心配していた。
昭和64年の1月6日の夜、わたしはいよいよその時が来るかもしれないという予感があって、枕元にラジオを置き、つけたまま眠った。
日が明けてまだ暗かった部屋の窓の向こうから、さあっと、鮮やかなオレンジ色の光が差し込んできて、わたしの頭全体が包まれた。
その光とぬくみでハッと起きて時計を見た。6時33分。その直後に、『ただいま昭和天皇が崩御されました』というアナウンサーの声が聞こえてきた。
ものすごくびっくりした。
オレンジ色の光はとっくに消えてしまっていて、辺りは真っ暗だった。
けれども肩のところにまだ温かみが残っていて、それはまるで、「今までよく心配してくれた。ありがとう。もういいからね」と、天ちゃんがあの親しみのある笑顔で、わたしの肩に手をかけ、そう言ってくださっているような気がした。
しんとした真冬の朝の冷たい空気の中、ラジオから流れてくる『君が代』を、初めて、声を出さずに歌った。

息子達が小学生の頃、この歌について、様々な考えを持つ人がいるということを知った。
PTAの執行部の役員をしていた時、「卒業式で『君が代』を流さないで欲しい。もしどうしてもというなら、わたしとわたし自身の子供は、式の出席を見合わせさせてもらう」と、固い表情で訴えてきた母親がいた。
わたしはなんのことだか意味がわからずに、ただただ呆気にとられながら、彼女の横顔を眺めていた。
後で、彼女がどうしてそう思っているのかの理由を聞いた。
そういう考え方もあるのだなあ、と思った。


今度の4月2日の月例コンサートでは、会場のみんなと一緒に黙祷をし、この『君が代』を歌おうと思う。
わたしにとってこの歌は日本なのだから。
日本の平安を祈ってこの歌を歌い、それから『故郷』と『この道はいつか来た道』を歌おう。

東北の、今は困難と哀しみの真っただ中に居て、それでも踏ん張って生きている人達のこと、
突然に、理不尽に、これからの未来を奪われてしまった人達のこと、
救援と復興に向けて、文字通り命を懸けて行動している人達のこと、
目に見えない放射能の行方に胸を悩ませている人達のこと、
実際に暮らしの先行きが全く見えなくなり、途方に暮れている人達のこと、
なにかしたいと思いながら、まだその手段を見つけられないままにじりじりしている人達のこと、
直接の被害は受けていないものの、停電や汚染で、今までにない不便を強いられている人達のこと、
そんな日本の人達に思いを馳せて、心を込めて歌わせてもらおう。


『君が代』

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで

汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
 
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.


『故郷』

兎(うさぎ)追いしかの山
小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます父母
恙(つつが)なしや友がき
雨に風につけても
思い出(い)ずる故郷

志(こころざし)をはたして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

Back in the mountains I knew as a child
Fish filled the rivers and rabbits ran wild
Memories, I carry these wherever I may roam
I hear it calling me, my country home

Mother and Fathers, how I miss you now
How are my friends I lost touch with somehow?
When the rain falls or the wind blows I feel so alone
I hear it calling me, my country home

I've got this dream and it keeps me away
When it comes true I'm going back there someday
Chrystal waters, mighty mountains blue as emerald stone
I hear it calling me, my country home


『この道はいつか来た道』

この道はいつか来た道
ああそうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああそうだよ
ほら白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああそうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああそうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる

I know this old road
I’ve seen this lonesome valley
Ah, sweet is the memory
Acacia in her hair
Gentle and kind, she walked there

I know that old hill
I’ve seen it on this journey
Ah, sweet is the memory
The tower clock turned back time
Or is it all in my mind?

I know this old road
I’ve seen it there before me
Ah, sweet is the memory
A wooden carriage we’d ride
Mother was there at my side

I know that cloud there
I’ve seen the sky before me
Ah, sweet is the memory
May trees in summer hang down
Out of a dream, my hometown
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いつもの場所でできること

2011年03月24日 | 友達とわたし
ユキさんの震災応援ブログです。

ユキさんは仁ちゃんの友人さん。
彼には、勤め先のお店で働きながらでもできる、こんな震災支援がある、ということを教えてもらったような気がします。
特別に、今の生活を変えなくても、小さなことからコツコツコツコツ。
息の長い活動にもつながると思います。

わたし達も、ユキさんに負けない、なにかいいアイディアを考え出しましょう。

がんばろう東日本!一玉、一枚の力。
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日本の構造という分厚い鉄壁に風穴を空けてくれた、数知れない命のために

2011年03月24日 | 世界とわたし
田中優×小林武史 緊急会議「今だからこそできる話がある」をぜひ読んでくださいと、案内だけを載せました。
そこからサイトに行けなかった方、行かなかった方がいらっしゃると思います。
その中の、送電線のお話が、とても具体的で、市民の思いを集めて政府に届けたら、もしかしたら変わるかもしれない制度のような気がしてなりません。
どうかみなさん、今一度、この送電線の話を読んでみてください。
そして、運動を起こしてみませんか?
それは今、この今が、まさにその時じゃないか、と思えてならないのです。



田中 実は、原子力発電は保険に入っているんです。
「原子力損害賠償制度」というものなんだけれど、1200億円までは保険がおりるの。
イギリスのロイズに再保険をかけているから、使うことになってもイギリスの貴族の懐が痛むだけなんだけどさ。

小林 そういう仕組みがあるんですか。

田中 でも、どう考えても今回はその額だけでは足りないわけです。
そういう時は国と電力会社があとは負担します、となっている。
でも、国だって今は財政が厳しい。
一方、東京電力は、ここまでは豊かだった。
この構造がある意味チャンスなんです。
国は一度はお金を払わざるを得なくなるけれど、その分あとで東京電力によこせと言わざるを得なくなるでしょう?
その時に、東京電力が持っている送電線を担保に取ってしまえばいい。
インフラとなる送電線を、道路のように自由利用の原則に戻してしまうわけです。
そうなれば、みんなが原発以外の方法で作ったエネルギーを流すことができるようになり、欲しい人はそこから買えばいいわけだから。
すると、いきなりヨーロッパ型の電力体系にもっていけるわけなんです。

小林 なるほど! 初めて光が差してきた(笑)。
要するに、今までは送電線を電力会社が持っていたから、誰かが他の方法でエネルギーを作ることができてもそれを送ることが難しかったわけですよね。
その問題が解消する道筋になるわけですか。
当然今回の事故は1200億円では足りる感じじゃないですよね。
海水を入れてしまっているし、あれを再開するのはとんでもない費用がかかることでしょ?

田中 あれはもう直せないと思うけれどね。
今までは原発事故の時には、その修復に保険を全て使っていたわけです。
柏崎の原発事故のときも、実はロイズが壊れた部分の修復を全部負担しているわけだから。
一方で、例えば個人が被災して家に帰ることができないから福島からどこかに転居して暮らさなければならないというときに、そういう費用は今までだと自治体が負担するか、結局は賠償されないかどちらかだった。
でも今回は、そういう費用も電力会社に負担をしてもらおうという仕組みを作るべきだと考えていて。

小林 確かに今回はそういう責任が東京電力なり、国にはっきりとあると言えそうですよね。

田中 実は今、大阪で被災者の避難費用の請求を準備してるんです。
このままでは善意の人たちの義援金から払われますね。
でも原因を作った東京電力という加害者がいるのに、その被害を市民が負担するのはおかしいと思うんです。
それを弁護士に頼んで、政府と話し合いをつけてという道筋で。
今回の被害はとても1200 億円では足りないから、どっちにしろ政府が負担することになります。
でもそれなら代わりに政府が送電線をもらいうければいいと思うんです。

小林 なるほどね。それにしても、そもそもなんで国は、送電線を国の管理物にしなかったんですかね?

田中 戦前には、600以上の電力会社があって、各駅ごとにあちこちにあった。
それが戦争が始まるときに、政府が「日本発送電株式会社」といって、勝手に全てひとつの電力会社にしてしまったんだよ。
それを戦後になってみんなに分けなくちゃいけなくなって、九つの地域に分けたから9つの電力会社ができたわけ。
実はそのときに、戦前にその中の多くの発電をしていたのは各自治体だったんですよ。
その県が「ふざけるな、返せ!」という運動を起こして1965年まで戦っていたんだけれど最終的に負けてしまった。
そのときにどうしたかというと、施設を取られてしまった自治体には、株券を返している。
だから、東京電力の第三位の株主は東京都、中国電力の第一位の株主は山口県、というふうになっているわけ。

小林 なるほどね。

田中 そういう仕組になっていたので、9つの電力会社が全ての送電線などを押さえるというかたちは戦時中以降の体制で、それまでは自由にやっていた。
そのころの東京電力は「東京電燈」といって、東京周辺でしかやっていないちっちゃなガス屋みたいなもんだったんだよね。
それが今、世界最大の会社になっちゃったわけだけれど。
大きな仕組みを維持するには大きな仕組みじゃなくちゃいけないでしょう?
だから、巨大な原発を建てて、そこから全部配りますよという巨大なヒエラルキーを作ってしまった。
それを今度は地域分散にしていかなくてはいけない。そのほうがコストも安いしね。
今まで、青森県に作ろうとしてきた東京電力の東通原子力発電所は、東京までの送電線だけで3兆円くらいかかるの。
実は電力会社の最大コストは発電所じゃなくて、発送配電の送電線なんだよね。
その送電線を国に戻してもらうことができればと。

小林 そうした方がいいよね。

田中 既にヨーロッパはみんなそういう仕組みなんです。
発電、送電、配電といって、発電所は自由に誰かが作ればいい。
送電線は道路みたいなものだから、国が持つ。
それで、配電線も民間企業が勝手にやればいい。

小林 配電線というのは、家とかに電力を配っていくものですね。

田中 そう。そうやって3つにわけて、真ん中の送電線だけを公が持って維持していくから後は自由にやっていいですよ、と。

小林 その代わり、大事な部分に関してのジャッジは国ができますよ、という。
国民の総意が生かせますよね。これは、子どもにも分かるすっきりとした話だよね。
今まではだからなんだか変だった。
そうか。送電線を電力会社が全部押さえていたら、つまり風力発電や太陽光発電を作るといっても分配はみんな電力会社に決められてしまうわけだったんですね。

田中 今までは本当に不幸なことに、「規模は小さいけれど水力発電で作った電気を買ってください」といっても、「買いません」と断られちゃうんですよ。
買ってもらえなくて、いくらでも二酸化炭素を出さずに発電しているのに使えないんですよ。

小林 ものすごいすっきりした。
情報を整理すると問題点が明確に見えてきますよね。
今のこんな状況は誰も望んでいなかったけれど、今回の大打撃があって始めて、今まで分厚い鉄壁に守られてきた構造に、改善をするためのスキができたわけですよね。
僕と優さんなんかは、今までもずっとこういう会話を繰り返してきたけれど、今だからこそできる話があるわけです。
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日本の歌を歌おう♪

2011年03月23日 | 音楽とわたし
「まうみ、4月の月例コンサートの出演者がちょっと少ないんだ。なにか演奏できる?」と、アルベルトからメールが送られてきた。

伴奏バイトと、アルベルトと合わすガーシュイン以外の練習を控えて、少し小指を休ませたいと思てる最中やから、今回は歌を歌わせてもらうことにした。

学生の時代に習たイタリア歌曲やドイツ歌曲の楽譜を探し出し、あれこれ歌てみた。そやけど、なんかイマイチ気がのらへん。
う~ん……どないしょ?

ちょっと疲れたし、違うことでもしながら考えよと、掃除機をゴソゴソ取り出した。
掃除をしながらフンフン鼻歌を歌てると、日本歌曲が、いきなり頭の中で次々と流れ出した。
そや、日本の歌や、日本の歌を歌わせてもらお!

さて、どんな曲がええかしらん。





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なんでもかんでも降ってきた!

2011年03月23日 | ひとりごと
雪と雨とあられとみぞれが降りました。


あっという間にこんなになって……、


日本はいかがですか?春はもうそこまで来ていますか?
日本に寒さが移らないよう、ここに網を張って、雲が流れていかないようにしたいなどと、子供のようなことを考えています。
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新しいエネルギーへのドアを開く日本

2011年03月22日 | 世界とわたし
前回の記事で紹介した対談の中に、読めば読むほど胸がわくわくする事柄がありました。

『新しいYES』に向かって、日本が世界の水先案内人となれる気がします。

日本の各地、各大学で、自然エネルギーの研究と開発が、コツコツと続けられています。

『ジャイロ』
神戸大学院の先生方が開発された、波の力で発電する発電機。

『スパイラルマグナス』
秋田県にあるMECAROという小さな会社で開発された、低周波が出ない、そして鳥もぶつからない構造になっている風力発電機。
これを海に浮かべて使用できるようにもなっているようです。

四方を海に囲まれた日本だからこその、波や風を使った発電機。
畳8畳分のソーラーシステムを、各家の屋根に設備できるよう、政府が本気になれば、必ず実現できることだと思います。

日本は、世界中で、自然エネルギーの開発研究やバッテリー、電気自動車やITの分野において、トップに位置する国です。
そして省エネの意識が高いのもトップクラス。

多くの犠牲と痛みを無駄にしないためにも、本当に今こそ、今だからこそ、世界に向けて声を上げて欲しいと思います。
日本は、核廃絶と省エネ、そして自然エネルギーへの転換を実現し、地球の救世主になるべき国だと思います。
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送電線を返してほしい!

2011年03月22日 | 世界とわたし
「今だからこそできる話がある」「新しいエネルギーの未来」を、ぜひぜひ読んでみてください!

ついさっき、あさこのブログで紹介されているのを見て、読んでみました。
あさこのブログからちょいと拝借。


まずは田中優さんの話からの抜粋。

■省エネについて

私達の生活で電気を消費する四天王はエアコン、冷蔵庫、照明、テレビ。
これを買い替えるときに今ある省エネ商品に変えるだけで消費量を半分にする事が出来る。
努力、忍耐無しでこれだけ事が出来る。
努力、忍耐は最後の切り札のためにとっておきましょう。
さらにはこの消費量を現存の太陽光発電に変えたら
タタミ8畳の大きさのもので2キロワット発電出来て、
これで全てがまかなえてしまう。

もうひとつ。

実は家庭の電気料金というのは省エネを進めるために、使うにつれて単価そのものが高くなるようになっているんです。
それに対して、事業系の電気料金は使えば使うほど安くなる。
だから、省エネしても事業者は得にならない。
これを家庭と同じ設定にしてくれれば、企業はたちどころに省エネに取り組みます。
確実に3割は変わってくるでしょう。
日本全体の電力の4分の3は企業が使っているので、それが3割減ったら、発電所も直ちに4分の1は止めることができる。
つまり、全体の22%ほどである原子力発電所はすべて止めても問題はなくなるんです。
 

そしてあさこのブログより彼女の言葉。

私達日本人は原爆被害者。
原子力の恐ろしさを世界に、声を大にして言い続けなければならない国民なのに。

悲しい惨事のためだったけど、
でもこれで今、世界中が日本を注目している。

今こそ日本は、
安全な、地球に優しい、
みんなで分け合えるエネルギーをどんどん作って、世界に示す時なのだと思います。

エネルギーが自然の恵みから、みんなにどんどん与えてもらえるようになったら、
戦争なんて無くなると思いませんか。


被災地の皆様方に、一日も早く、
食べ物、着るもの、暖かいものが充分に届きますように。
笑いがもどりますように。

愛と元気なパワーを送ろう。
そして大げさな事でなくて、なにか自分にも出来る事を、
身近な所でひとつずつ探そう。

とにかく一歩動くこと、だね。

みんなが一歩動けば世界は変わるよ。



田中優さんの紹介。

「未来バンク事業組合」理事長。
地域での脱原発やリサイクルの運動を出発点に、環境、経済、平和などに取り組むさまざまなNGO活動に関わる。
 


田中さんと対談した小林武史からの言葉。

福島原発で復旧作業をされているのは東京電力の人たちだと思うので、
いまこんな時期に損害賠償とか担保だとか、そういった話をするのは少々きついなと思いました。

ですが、今回こんな事態を招いてしまったのは、国家であり国民でもあると思うけれども、
その先に電力会社があるのは間違いないことなので、
公的な領域(つまり国)に送電線を返して欲しいという思いは、対談を終えてより強くなりました。

今後も返せないということならば、
どういう理由なのか探ってみたいです。
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Japan NYC

2011年03月22日 | 音楽とわたし
フィラデルフィアへの遠足の翌日、21日の朝、目が覚めて窓の外を見ると、こんなことになっていました……。


雪印マークのような、どう考えても直径3㎝はある牡丹雪がバサバサと空から下りていました。

先日のオーディションの日、ディレクター仲間のマイケルが、「これ、まうみにあげる。もし都合がついたら行っておいで」と言って、カーネギーホールでのコンサートのチケットを二枚、いきなり手渡してくれました。
見ると、NHK交響楽団のコンサートでした。
え?え?え?なんで?と思ってあたふたしていると、
「ボクは都合が悪くなって行けないんだ。もしまうみも都合が悪かったら、知り合いの日本人の人達にあげて。こういう時だから、ぜひ、日本の人達に聞かせてあげたいと思って」とにっこり。
なんていい人なんだあんたは……

ありがたくいただいて、あさことふたりで聞きに行くことにしました。

仕事が終わってから、あさこにも手伝ってもらって、チャッチャと夕飯を作り、丁度タイミング良く家に戻ってきた旦那と三人で食べ、ひとり残されて寂し気な旦那にちょっぴり後ろ髪を引かれながら、電車の駅目指して急ぎました。

昨日とはうってかわっての、どんよりと曇った空と寒い空気。
それでも会場は満席でした。
我々の席は4階の、天井に限りなく近い席で、舞台がはるか遠くに見えました。
↓あさこに、携帯で内緒で撮ってもらいました。


演奏会のはじめに挨拶があり、そこで今回の日本の震災のこと、交響楽団のメンバーが北アメリカ公演に向けて飛び立ったのが震災の数時間後だったことなどが述べられ、犠牲者の方々への鎮魂、被災者の方々への想いを込め、プログラムに先がけて『G線上のアリア』が静かに演奏されました。
その、始まりの、柔らかであたたかいピッチカートの音色が聞こえてきて、続いてヴァイオリンの、それはそれは繊細で、優しい旋律が流れた頃には、そこかしこの席で、目頭を押さえる人達の姿が。
胸の中に熱いものを感じながら楽団員さんの方を見ると、後列に座っておられるトロンボーン奏者さんのひとりの方が、白いハンカチで何度も何度も涙を拭っていらっしゃるのが見え、いよいよ悲しくなってわたしも泣いてしまいました。



『カーネギーホールより』

この度の東北地方太平洋沖地震で被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

カーネギーホール、及びフェスティバルパートナースタッフ一同、皆様の安全と一刻も早い復旧を心からお祈り申し上げますと共に、JapanNYCフェスティバルを被災者および犠牲者の方々に捧げます。

「音楽や芸術を通して日本の文化の素晴らしさを世界にお伝えし、この困難な時期に少しでも皆様の心の癒しになることで、ささやかな応援が出来ましたらこの上なく光栄に存じます。」
-JapanNYC芸術監督 小沢征爾

カーネギーホールウェブサイトcarnegiehall.org/JapanNYCでは、被災地への金銭的なご支援をご紹介しております。どうぞご活用くださいます様、お願い申し上げます。


という用紙が、プログラムの中に挟まれていました。

その夜のプログラムは、武満徹さん、リヒャルト・シュトラウス、セルゲイ・プロコフィエフ。
指揮者は、世界で最も著名な指揮者の一人に数えられるアンドレ・プレヴィンさん。
そしてゲストプリマドンナに、これまた超有名なソプラノ歌手、キリ・テ・カナワさん。


プレヴィンさんは、杖をつきながら舞台に登場され、指揮台に上がる時に、それはそれは苦労していらした姿が痛々しかったです。
お年が多分、今年で82才を迎えられると思うのですが……けれども指揮が始まるともう、プレヴィン色満載。
とても繊細で色合い豊かな演奏を聞かせてくれました。
カナワさんも、残念ながら声の調子があまり良くなかったのか、オーケストラに埋もれてよく聞こえなかった部分が多く、もしかしたらこれは席の位置のせいかもしれないなどと思ったのですが……。

それにしてもNHK交響楽団のヴァイオリン奏者さん達が、あんなに緻密に、一分の隙も無く、それでいて美しく、表情豊かで、合奏することの醍醐味を見せてくれるとは思っていなかったので、とても驚いてしまいました。

休憩を挟んでいよいよプロコフィエフ、という時に、あさこが「一番前の席、空いてるみたいだね。座れるかどうかちょっと調べてくるよ」と言って偵察に。
「多分、大丈夫だと思うよ。なんか言われたらどければいいじゃん」と電話がかかってきたので、わたしもとっとと一階に降り、一番前のかぶりつきの席に着席。周りの様子を伺いながら、二部の始まりを待ちました。
もうそこはほんとに近くて、一番舞台寄りの奏者の楽譜が読めるぐらいです。
さすがに音のことが心配でしたが、やっぱりカーネギー、4階で聞いていた音と同じなのには驚きました。
そして……すぐそこで演奏している方達の生音も、全く聞こえてこないのです。
すべては完璧に織り込まれた響きとなり、最初から最後の音まで、心から楽しむことができました。

あさこはこのN響の中に数人の友達が居るようで、終わった後に懐かしのご対面。
彼女の、日本での立場が少し垣間見えて、やっぱりすごいんだなあ……などと思いながら眺めていました。

ああでも、本当に素晴らしい演奏でした。
「こんなの、日本のオケだったら普通だよ」とあさこ。
恐るべし日本のオーケストラ。

ロビーに出ると、八重桜が飾られていました。


今年の桜は、特別に美しく、特別に力強く咲いてくれるような気がします。




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