ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

気功クラスのわたし達から日本へみなさまへ

2011年03月21日 | 世界とわたし
日本のみなさんへ

気功のクラス一同9人より、ささやかながら、気を送ります。
あなた方に突然襲いかかった冷たさ、痛み、哀しみ、怒り、戸惑い、
それらが一日も早く、あなた方の心の中から消え、深い傷となって残りませんように。

失ったものへの愛情、二度と得られないかもしれないものへの執着、得体の知れないものへの恐れ、
それらの辛い感情を抱え、なおも難しい状況に閉じ込められてしまっていることの大変さ。

世界中の、見ず知らずの、私達を含む人々が、あなた方を想い、祈っています。
どうか、どうか、少しでもいいから前を見て、傷をゆっくり癒しながら、あなた自身のことを愛し、大切に抱きとめてあげてください。



気功をしている間、ずっと日本を想っていました。
避難所などで、もう少し落ち着いたら、日本の気功師さんが出向いて行って、簡単な気功を教えるのはどうだろう、などと思いました。
今日習ったことの中に、突然に襲われた恐怖や痛みによって、一番ダメージを受けるのは腎臓だそうで、背中の腰辺りを、親指と人差し指で円を作り、その円でクルクルとマッサージをすると良いというのがありました。
あと、深くて美しい緑色を強くイメージして、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな「シュー」という音を言い続けながら、息を吐く動作をしながら、肝臓にエネルギーを移動させることも、自己治癒にとてもいい、と教えてもらいました。

わたしは昨日、今避難されている方々が皆、とても大きなドームのような建物の中に移り、そこには簡易ベッドとあたたかい布団一式、そして、あたたかいお味噌汁とご飯が用意されている様子を強くイメージしました。
もちろん大人数なので、いろんな大変なことがあるのだけれど、物の搬入はもちろんのこと、気温も暖かで、食べ物自体も放射能の心配がないので、皆、明るい表情をされていました。

ああ、あそこなら気功も受け入れていただけるかもしれないなあ。
そういうことが、日本の西や南で可能なんだろうか。

などと、勝手な夢想にひたっておりました。
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懐かしの学び舎

2011年03月21日 | 家族とわたし
旦那はいつも、ふと思い出したように、「フィラデルフィアに行きたいなあ~」と言います。
ペンシルバニアの田舎で育った彼にとって、フィラデルフィアの街は、とても特別な場所だったのだと思います。

このペンシルバニア大学はフィラデルフィアの街中に建てられているので、キャンパスの様子が他の大学のそれとは少し異なります。
どこからどこまでが大学の敷地なのか、なんとなくわかるようでわからない不思議な感じ。


右側の煉瓦の建物が、旦那が最初に入った学生寮だそうです。


大学のブックストアの前に立ち、懐かしそうに見上げる旦那。


お店の中は本だけではなく、大学を訪れた人達のお土産品なんかもずらりと並べられています。


校内の建物は皆、とても古くてチャーミング。


学生会館。


学校の創設者ベンジャミン・フランクリンさんとともに。


旦那が学んだ校舎。


旦那がよく座っていたベンチ。


この春初めて目にした桜。


お腹がきれいなオレンジ色をした鳥。


知る人ぞ知る、ロースクール。


7年半の間、友達の親、もしくは自分の親と一緒の時だけ来ることができたという、美味しいレストラン。


『ホワイト・ドッグ』というお店です。


食材にこだわり、健康にいいものを作っているのだそうな。


いろんな小部屋があり、それを眺めながら奥に進んでいくと、一番静かな部屋がありました。

 
旦那がふと、「やっと自分の甲斐性でここに来ることができた……20年もかかったけど」とつぶやいていました。
こういう地の恵みをいただける幸せを感謝しつつ、心の片隅でチクリと痛みも感じつつ、一口一口、大切に味わいながらいただきました。

帰り道にあった旦那がかつて住んだ家を見学しながら、フィラデルフィアに別れを告げました。

「いやあ、今日はほんとに懐かしかった、ありがとう!」と何度もくり返す旦那。
一緒に暮らすようになって20年近く経ち、やっとゆっくり訪れることができたね。よかったね!
行き帰りの運転を全部してもらい、いろんな所を案内してもらった我々こそありがとう!

帰りの車中でしみじみ思いました。
今日は一日、旦那が二十年前に暮らした世界にひたったのだけど、
アメリカにはこうやって、何十年も、いや、何百年も、同じ佇まいを残す町があるのです。
日本は、人の思いによって、あるいは戦争によって、あるいは、今回のような災害によって、跡形も無く消されてしまった町並みがあります。
その失われたものへの思いを感じながら、まん丸いお月さまを眺めながら、家に戻りました。
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古い歴史とロッキーと

2011年03月21日 | 友達とわたし
教会から車に戻るまでの間に、ガイドの旦那が「見せたい通りがある」と言うのでそこを散歩することにしました。

1736年に建てられたというこの界隈。煉瓦もとても古くて、うちの100才煉瓦よりもさらに渋みが。


各家がそれぞれに思考を凝らしたとても可愛らしい顔を見せています。


窓際にはやっぱりこの方。


通りの奥に入っていくと、


こんな集合井戸も、


まさかこれも200年以上の歴史があるとは思えないけれど……、



そしていよいよ、思いっきり閉館しているのを承知で、フィラデルフィア美術館へ!
美術品はあきらめて、ロッキーに会いに行こう!

立て直された憲法会館。


ここにもやはりチャイナタウン。


無料の巨大図書館。


真正面に美術館が見えてきました。15年ほど前に、ひとりでテクテク歩き回っていた自分を思い出して懐かしかったのでした。


入り口が思いっきり封鎖されていた美術館の駐車場に、出口からこっそり入り……美術館に向かいました。


この方の下で同じポーズをとって記念写真を撮ろうと、えらい行列になっていました。「タタァ~ンタァ~、タタァ~ンタァ~ン♪」


ここに立った人は皆、この階段でトレーニングに励んだロッキーの不屈の魂を思うのでした。ハハハ。
旦那はすでに、あのテーマを口ずさみ始めておりました。


パルテノン神殿風の建物が見えてきました。


閉館して時間が経っていますが、いいお天気なので、まだピクニックしている人達がいました。


いよいよ近づいていくと、柱の大きさにジンとします。


天井がこんなにきれいだとは知らなかった……。


屋根もこんなにいろんな方々が。


美術館前の広場から街を眺めると、


市庁舎の塔のてっぺんにすっくと立つ、ウィリアム・ペンさんの勇ましいお姿が。


ほんの少し前まで、彼の背より高いビルを建てるのを禁止されていたそうです。
旦那が、「彼の像をある角度から見ると、ナニが勃起しているように見えるので有名」などとヌカすので、なにをアホなことを言うとるか!と相手にしなかったのだけど、なんとなんと、わたしが撮ったこの角度こそ……ウィリアムさん、すんません……。

などと阿呆なことも言いながら、次はいよいよ旦那の懐かしの学び舎に向かいます。

わたしと息子達、そして旦那が家族になって初めて、日本からアメリカに訪れた時、凍結した道路を滑りながら、鼻血を出して泣く恭平の手をとりながら、頑張って歩く小さな拓人の背中を見ながら、この駅までの道を歩きました。
フィラデルフィアの電車の駅です。


旦那はもうすでに思い出にドド~ンとヒタヒタモード。
懐かしの建物を目にしては、「あ、あれは◯◯!」などとガイドしてくれるのはいいのだけれど、運転していることも忘れないでおくれ!
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自由の鐘(リバティ・ベル)に会いに

2011年03月21日 | 友達とわたし
東京に戻るのを延期したあさこと旦那と三人で、フィラデルフィア観光に行ってきました。
朝、ゆっくりと起きてくると、早起きした旦那が三人分のペーストリーを買ってきてくれていて、さらに高菜入りのオムレツとコーヒーを作ってくれてみんなでブランチ。
なんか天気もめっちゃいいし、やっぱり昨日はちょっと悔しくて眠れなかったし、ここは一発楽しいことをしよう!ということで、
全く突然ですが、旦那が大学生活と風来坊生活を送った懐かしい街、フィラデルフィアにドライブすることにしました。

ベンジャミン・フランクリン橋を渡ります。この下を滔々と流れているデラウェア河が、ニュージャージーとペンシルバニアの境になります。


橋の左側に、街の中心部にある高層ビルが見えてきました。


石畳の道が素敵。歩きにくいし、雨が降るとツルツル滑りますが……。


ビルの壁がアートでした。


有名なマーケット・ストリート。


旦那は7年半もこの街で暮らしていましたが、観光というものをしたことがなく、近くは何度も通ったけれど、一度も見たことがない『自由の鐘』。
わたしもフィラデルフィアには何度も来ているけれど、やっぱり観光はたった一度、15年ほど前に、ひとりでブラブラ歩いたことだけで、その時も『自由の鐘』は見られませんでした。
なので、今日の三人は揃って初対面です。

まずは独立記念館へ。


階段の壁には、同時テロの際に、救助に向かって亡くなった消防士や警察官の方々の顔写真が掲示されていました。

独立記念国立歴史公園内を、本日のガイド役の旦那がテクテクと歩いて行きます。

この鐘を訪れたダライ・ラマ14世やマンデラ大統領の写真もありました。


日本語も見っけ!


とうとう会えました!『自由の鐘』さんです!想像していたのよりちっちゃい!


後ろ側からも。


割れ目をアップ。


ガラス越しに見える、修復中の独立記念館。


入館は無料なので、寄付をしたい人はここに入れます。


庭には黄色いラッパ水仙が咲き誇っていました。ニュージャージーより一足早く春が来ているようです。


馬糞のカホリがプンプン漂う道を歩き……、


ベンジャミン・フランクリンのお墓に1セント玉を置き、


米国造幣局を通り過ぎ、


鍵がいっぱいくっついたファンキーな服を着てご機嫌なベンジャミンの横を通り過ぎ、


めちゃくちゃ美味しいコーヒーが飲めるので有名な、オールド・シティー・コーヒー・カフェに到着。


お店はちっちゃくて、けれどもとてもいい香り。


評判通りの、美味しいコーヒーをいただきました。


慣れた感じでチョンチョンと寄ってくる雀ちゃん達。その中でもこの仔は一番、食いもんくれっ!光線の強さが際立っていました。


なんかわたしの部屋がありそうな感じ。


ワンちゃんも一緒に。


コーヒー屋さんの近所にある、1695年に建てられた『Christ Church』を訪れました。



これはその当時に使われた聖書。


もう閉館間際でしたが、中に入り、教会の歴史ならなんでも聞いてくれというおじさんに、いろいろ話を聞かせてもらいました。


建物は二回の火災に遭い、そのたびに改装されてきたそうです。


写真を撮っていて、この教会のどの窓にも、ステンドグラスがはめられていないことに気がつきました。
二回目の改装の時に、更に民衆に開かれた教会にしようと、どの窓も透明のガラスに変えたのだそうです。
とても温かみのある教会の中で、日本のことを祈りました。
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きれいなお月さま

2011年03月20日 | 音楽とわたし
オーディションを受けてきました。
ボロボロの演奏をしてしまい、とてもショックを受けています。
いつものように緊張はしていたけれど、それにしてもあれはないだろう、と自分でも思います。
仕上げが足りなかったのか、それとも気持ちがしっかりしてなかったのか、
今朝も新聞を読んでは悲しくなって泣いたり怒ったり、
ああ、本番の朝にわたしは何をしているんだろうと、ふと焦ったり……。

でも、やってしまったことをくよくよ思い出しても仕方がありません。
今年は去年よりも増して、とても実力者ぞろいでした。
いいコンサートになると思います。
結果は2週間後。
また来年、がんばります!


オーディションの後、合流したあさこと一緒に、ムール貝とフライドポテトがとっても美味しいベルギーバーに行って、ピンクエレファントという名のベルギー産ビールで乾杯をしました。
お腹の中はもう貝だらけ!というぐらい、お腹いっぱい食べて店を出た途端、ああ、東北の人達に申し訳ないなあ、と思ったり。

イーストリバー川のすぐ近くにある駐車場までの道を歩いていた時、あさこが急に「ああ!きれぃ~!」と叫び声をあげました。
梅蔵ちゃんが「空を見上げてみてください。とてもきれいですよ」と言ってくれていたのを思い出しました。
今日のお月さまは、スーパームーンと言うのですってね。
地球に一番近いのだそうです。
ほんとにおっきなお月さまでした。



川の畔まで行って、しばらくうっとりと眺めていました。



スーパームーンの柔らかな光が、避難所のみなさんの心を優しく包んでくれますように。


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放射線から身を守るには

2011年03月20日 | 友達とわたし
朝日新聞のWeb新書に、比較的詳しい情報があったので紹介します。
緑色の部分をクリックすると、全文が現れます。
↓下記は、その中の一部を掲載しました。


福島第一原子力発電所2号機で爆発があり、周辺地域ではかなり高いレベルの放射線量が測定された。
被曝(ひばく)から逃れ、身を守るにはどうしたらいいのか。


◇放射線から身を守るには
◇窓閉め換気停止/ぬれマスクを
◇服をポリ袋へ/体を湯で「除染」
◇放射線量や風向き、ネットで公開
◇チェルノブイリ事故では…40万人が疎開/半減期30年/被曝死推計4000人
◇被曝、どう防ぐ
◇福島原発、何が起きてる?/炉の熱、下げられず
◇30キロ圏内、どうすれば?/外出避けて、窓閉めて
◇離れた場所の住人は?/雨に注意、水道は安全
◇長期的影響も考えにくい
◇放射能、体への影響は
◇放射線、なぜ怖い?/細胞の遺伝子壊す
◇がんなどのリスクは?/一度に浴びると高まる
◇高い測定値、大丈夫?/健康への影響出ない値


*放射線から身を守るには

福島第一原子力発電所2号機で爆発があり、周辺地域ではかなり高いレベルの放射線量が測定された。被曝(ひばく)から逃れ、身を守るにはどうしたらいいのか。専門家に聞いた。


*窓閉め換気停止/ぬれマスクを

Q 放射線が放出されると、何が怖いの?
A 高いレベルの放射線を浴びることだ。高いレベルの放射線を浴びると、体内の細胞のDNAが傷つけられ、細胞分裂ができなくなる。
血液の成分をつくる骨髄が最もダメージを受けやすく、白血球など、免疫にかかわる細胞が作れなくなってしまう。
 
Q 今回放出された放射線の量は、どのぐらい?
A 原発の2~3号機付近で1時間あたり400ミリシーベルトの放射線が検出された。私たちは普通に生活しているだけでも、年間2・4ミリシーベルトの放射線を浴びている。
今回の線量は、その場に22秒いるだけで、1年間で浴びる量に相当する。
ただし、近くで被曝しない限り、治療が必要なほどの健康被害をうけるリスクは高くない。
政府は付近の住民20~30キロ圏内の人にも屋内待避するよう求めた。今後、放射線量がどう変化するのか、注意する必要がある。
 
Q 放射線から身をまもるには、どうすればいいの?
A (1)放射線に近づかない(2)放射線から遮蔽(しゃへい)された場所にいる(3)時間の経過を待つ――の三つが大原則だ。

人間の体が放射線を大量に浴びることを「外部被曝」という。
放射性物質が口や傷口などを通じて体内に入り、体の内部から放射線を浴びることを「内部被曝」という。
放射性物質が身体に付着したり、吸い込んだりしないようにするため、まず屋内にとどまり外にでないことが肝心だ。
屋内にいる場合はドアや窓を閉め、換気扇やエアコンをとめて、外気を遮断する。
 
Q 避難などでどうしても外に出なくてはならない場合は?
A 帽子をかぶるなど、肌を露出させない服装をした上で、鼻や口を湿らせたマスクやハンカチで覆う。
ハンカチがなくても、トイレットペーパーを折りたたんで口にあてるといった方法もある。
雨が降った場合は、空気中に浮遊している放射性物質が雨と共に落下するので、雨にぬれないようにすることが重要だ。


*服をポリ袋へ/体を湯で「除染」

Q 体に付着したら、どうすればいいの?
A まず、服に放射性物質が付着した場合は、衣服を脱いで、ポリ袋に入れて口を縛っておく。
体に付着した場合は、ぬるま湯などで体をふいたり、シャワーで洗い流したりして「除染」を行うことが必要だ。
除染できれば、放射性物質は身体から取り除かれる。そばにいる人に影響を与えるおそれはなく、避難所などで生活しても問題ない。
 
Q 作業員らが、近くで高レベルの外部被曝をした場合は?
A かなり高いレベルの放射線を浴びた場合、白血球など免疫にかかわる血液細胞が作れなくなってしまうので、専門の医療機関で骨髄移植や臍帯(さいたい)血移植といった治療が必要となる。
ただ、よほど近距離でなければ、治療が必要なほどの被曝をする危険性は低い。
チェルノブイリ原発事故でも、強制避難は原発から30キロ圏内だった。
 
Q 内部被曝に対しては、どうすればいいの?
A 放射性物質の種類に合った薬を飲んだり、点滴したり治療が必要だ。
例えば、ヨウ素の場合は安定ヨウ素剤、セシウムならプルシアンブルー、プルトニウムなどはキレート剤を飲むか点滴する。
安定ヨウ素剤は一般に市販されておらず、自治体などが備蓄している。
むやみに飲むと副作用の恐れもあるため、避難所や救護所などで、専門家の指示に従って服用する。
そのほかの治療薬は、被曝医療が専門の放射線医学総合研究所などに備蓄されている。
 
Q うがい薬にもヨウ素が含まれているけど?
A うがい薬やのどスプレー、消毒用せっけんなど、ヨウ素が含まれている薬はたくさんある。
しかし、これらの市販品は飲んではいけない。ヨウ素以外の成分も多く含まれ、体に有害な作用を及ぼす可能性もある。
そもそも、ヨウ素が含まれる量が少なく、予防効果はない。
 
Q 放射性物質は風にのって、飛んでこないの?
A 放射性物質は、遠くなればなるほど、放射能は薄まる。ヨウ素131は空気より重いので、風が弱ければあまり遠くまで拡散しない。
現段階では、例えば200キロ以上離れた東京の人が、むやみに心配する必要はない。
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長期に及ぶ危険を警告

2011年03月19日 | 世界とわたし
反核グループ『社会的責任を果たすための医師団』より出された記事です。

記事より抜粋。

『一定量の放射線は自然界に常に存在するが、マーヴィン・レスニコフ(Marvin Resnikoff)博士は、福島の原発事故により、通常レベルに比べてどれほど高い放射線放出レベルになっているかが問題だと述べた。
同博士は1時間当たりの放射線量が、1年間に人が自然に浴びる放射線量と比べられる必要があると指摘した。

放射線量はミリシーベルトという単位で測定される。国連科学委員会の報告などによると、人が宇宙や食物などから自然に受ける放射線量は年間でおよそ2.4ミリシーベルトとなる。
またCTスキャンに使われる放射線は1回当たり平均6.9ミリシーベルトだ。
原子力発電所では、目標値が年間0.05ミリシーベルト以下で、東京電力によると、通常はこの数値を大幅に下回っているという。

今回事故が起こった福島第1原子力発電所では、3月15日午前10時頃の測定で、3号機の建屋内で1時間当たり400ミリシーベルト、4号機建屋内で同100ミリシーベルトが確認されたという。
これは通常の数値を著しく超えており、全身被ばくの場合には白血球の一時的な減少がみられる500ミリシーベルトに近い値だった。

レスニコフ博士によると、放射線の放出が広島や長崎を襲った原爆のように1回の爆発によるものではないことが大きな問題だという。
少量の放射線が徐々に放出され、風に乗って流され、被害が拡大する恐れがある。
西からの風が吹いていれば、汚染物質の多くは海洋に流されるが、そうでなければ広域な土地が汚染される可能性がある』


政府および東電からの、放射線量の発表が、上記の赤い文字で書かれた指摘をふまえたものに変わるのはいつでしょうか?
どなたか、そのことを指摘し、発表内容を正しくすることができる方はいらっしゃらないのでしょうか?
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MIT原子力理工学部からの報告

2011年03月19日 | 世界とわたし
MIT原子力理工学部による最悪のシナリオ

というものが掲載されていました。
翻訳した記事を見つけましたので、興味のある方は読んでください。

記事の最後に、冷静な観察を呼びかける文章がありましたので、抜粋して載せておきます。


『前段で説明した実験は原子炉内もしくは使用済み核燃料プール内で燃料溶融が発生した際に何が起こるかの検証、もしくは結果の確認、試算のために使われます。
また、この試算は一定時間内に原子炉からどれくらいの放射性物質が拡散していくかを見るために利用されます。

この試算には、次のような条件の複雑な相互作用が関係しています。

* 放出条件: 爆発的なのか、ゆっくりだが継続的なのか?風によって運ばれるのか、煤煙によるのか、水に流れていくのか?地上からどれくらいの高さから放出されるのか?
* 天候: 原子炉近くおよび他の地帯の天候
* 地形: 原子炉近くおよび他の地帯の地形

燃料溶融の分析モデルと同様に、これらの分析手法はチェルノブィリ事故の分析データや小規模の実験結果などを含む可能な限りのデータおよび実験の結果を元に検証されます。

試算拡散量はそれらを試算した機関によって使われ、国および地方自治体は、原子炉からの距離に応じて、いつ避難を指示するか、屋内待機を指示するかを決定します。
再々申し上げますが、原子炉近くにお住まいの読者のみなさんは政府の発表に注意を払ってください。

放射性物質拡散予測に対する注意: 最近、米国西側に高濃度の放射性物質が飛来するという予測マップがインターネットを中心に出まわっています。
この地図にはオーストラリア原子力サービス発行との記述がありますが、そのようなものは発行されていません。
この地は、米国原子力規制委員会によって否定されており、現在明らかになっている状況とは全く違う核兵器使用後の予測に近いとの識者の意見が出されました』


インターネットという手段を使うと、情報が嵐のように押し寄せてきます。
けれども、その中には、不正確なものや、まったく間違っているものもあります。
便利ではあるけれど危険。
それをしっかり念頭において調べなくてはなりません。


文字通りの決死の放水作業が行われ、それがある程度効果があったこと。本当にありがたいです。
危険極まりない作業を請け負ってくださっている方々、その方々の家族の皆さんに、どれだけお礼を言っても足りません。
今だに、未曾有の災害によってこんな事故を起こしてしまって無念、などと言ってはばからない東電の社長は今、いったいどこでなにをしているのか。
災害によって破損されたことは事実だけど、即刻廃炉を決心できなくて、再使用にこだわったばかりに、こんな恐ろしい事故を巻き起こしてしまったという自覚も反省も無く、ただただ津波のせいにしている愚か者。
どうしてあのコメントが出た時に、罵倒する者がいなかったのか……それが悔しくてなりません。
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KIZUNA311

2011年03月19日 | 世界とわたし
渡辺謙「雨ニモマケズ」朗読


佐藤浩市「生きる」朗読



シズルちゃん、この『KIZUNA』の存在を教えてくれてありがとう。
ひとりでも多くの避難所の方々に、また、避難されていなくても、どこかで心細い思いをされている方々に、このメッセージが届きますように。
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日本のみなさんへ

2011年03月18日 | 音楽とわたし
ロンドン在住のKYOちゃんの音楽ブログの記事の中にあったベルリンフィルからのメッセージを、勝手に転載させてもらいました。
ロンドンでも、様々な場所で、いろんな方々によるチャリティコンサートや催しが行われているようです。

こちらでも、ほんとうに市井の人達が、いろんな場所で、いろんな形で募金を集めています。
これしかできないけれど……。皆が申し訳なさそうにそう言いながら。
わたしも、遠く離れた所で、別になんの不便も無く、いつも通りの生活を続けていて、
そのことに罪悪感のようなものを感じたり、なにもできない自分の不甲斐なさを情けなく思ったり。


このメッセージを、少しでもたくさんの方に見てもらいたいです。
英国人指揮者であるサイモン・ラトルとベルリン交響楽団からのメッセージです。

 Message from the Berliner Philharmoniker to the Japanese people


KYOちゃんはそして、こういうメッセージを残してくれています。

『ベルリン交響楽団は、明日3月18日のコンサートを日本に捧ぐ、ということで、ウェブキャストすることに決定したそうです。
ドイツで8時から、ということなので、日本との時差は8時間でしょうか。
ご確認のうえ、ぜひこちらのサイトで彼らの音楽を楽しんでください』

もし可能な方は、ぜひぜひ彼らの演奏を楽しんでください。

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