ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『君が代』とわたし

2011年03月24日 | 音楽とわたし
第二次世界大戦前にはごく自然な国家平安の歌として親しまれていた『君が代』。
昭和のど真ん中生まれのわたしは、この歌が大好き。
ちっちゃな子供の頃から、この歌を歌う時は、おっきな声で歌った。

昭和天皇のことも大好きで、わたしは勝手に、『天ちゃん』とあだ名をつけて呼んでいた。
理由なんか別に無い。
彼の人となり、仕草が好きだった。
昭和天皇の容態が深刻になり、下血が続いていた頃、わたしはまるで、自分のじいちゃんが死にかけているぐらいに悲しくて、心の底から心配していた。
昭和64年の1月6日の夜、わたしはいよいよその時が来るかもしれないという予感があって、枕元にラジオを置き、つけたまま眠った。
日が明けてまだ暗かった部屋の窓の向こうから、さあっと、鮮やかなオレンジ色の光が差し込んできて、わたしの頭全体が包まれた。
その光とぬくみでハッと起きて時計を見た。6時33分。その直後に、『ただいま昭和天皇が崩御されました』というアナウンサーの声が聞こえてきた。
ものすごくびっくりした。
オレンジ色の光はとっくに消えてしまっていて、辺りは真っ暗だった。
けれども肩のところにまだ温かみが残っていて、それはまるで、「今までよく心配してくれた。ありがとう。もういいからね」と、天ちゃんがあの親しみのある笑顔で、わたしの肩に手をかけ、そう言ってくださっているような気がした。
しんとした真冬の朝の冷たい空気の中、ラジオから流れてくる『君が代』を、初めて、声を出さずに歌った。

息子達が小学生の頃、この歌について、様々な考えを持つ人がいるということを知った。
PTAの執行部の役員をしていた時、「卒業式で『君が代』を流さないで欲しい。もしどうしてもというなら、わたしとわたし自身の子供は、式の出席を見合わせさせてもらう」と、固い表情で訴えてきた母親がいた。
わたしはなんのことだか意味がわからずに、ただただ呆気にとられながら、彼女の横顔を眺めていた。
後で、彼女がどうしてそう思っているのかの理由を聞いた。
そういう考え方もあるのだなあ、と思った。


今度の4月2日の月例コンサートでは、会場のみんなと一緒に黙祷をし、この『君が代』を歌おうと思う。
わたしにとってこの歌は日本なのだから。
日本の平安を祈ってこの歌を歌い、それから『故郷』と『この道はいつか来た道』を歌おう。

東北の、今は困難と哀しみの真っただ中に居て、それでも踏ん張って生きている人達のこと、
突然に、理不尽に、これからの未来を奪われてしまった人達のこと、
救援と復興に向けて、文字通り命を懸けて行動している人達のこと、
目に見えない放射能の行方に胸を悩ませている人達のこと、
実際に暮らしの先行きが全く見えなくなり、途方に暮れている人達のこと、
なにかしたいと思いながら、まだその手段を見つけられないままにじりじりしている人達のこと、
直接の被害は受けていないものの、停電や汚染で、今までにない不便を強いられている人達のこと、
そんな日本の人達に思いを馳せて、心を込めて歌わせてもらおう。


『君が代』

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで

汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
 
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.


『故郷』

兎(うさぎ)追いしかの山
小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます父母
恙(つつが)なしや友がき
雨に風につけても
思い出(い)ずる故郷

志(こころざし)をはたして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

Back in the mountains I knew as a child
Fish filled the rivers and rabbits ran wild
Memories, I carry these wherever I may roam
I hear it calling me, my country home

Mother and Fathers, how I miss you now
How are my friends I lost touch with somehow?
When the rain falls or the wind blows I feel so alone
I hear it calling me, my country home

I've got this dream and it keeps me away
When it comes true I'm going back there someday
Chrystal waters, mighty mountains blue as emerald stone
I hear it calling me, my country home


『この道はいつか来た道』

この道はいつか来た道
ああそうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああそうだよ
ほら白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああそうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああそうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる

I know this old road
I’ve seen this lonesome valley
Ah, sweet is the memory
Acacia in her hair
Gentle and kind, she walked there

I know that old hill
I’ve seen it on this journey
Ah, sweet is the memory
The tower clock turned back time
Or is it all in my mind?

I know this old road
I’ve seen it there before me
Ah, sweet is the memory
A wooden carriage we’d ride
Mother was there at my side

I know that cloud there
I’ve seen the sky before me
Ah, sweet is the memory
May trees in summer hang down
Out of a dream, my hometown
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いつもの場所でできること

2011年03月24日 | 友達とわたし
ユキさんの震災応援ブログです。

ユキさんは仁ちゃんの友人さん。
彼には、勤め先のお店で働きながらでもできる、こんな震災支援がある、ということを教えてもらったような気がします。
特別に、今の生活を変えなくても、小さなことからコツコツコツコツ。
息の長い活動にもつながると思います。

わたし達も、ユキさんに負けない、なにかいいアイディアを考え出しましょう。

がんばろう東日本!一玉、一枚の力。
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日本の構造という分厚い鉄壁に風穴を空けてくれた、数知れない命のために

2011年03月24日 | 世界とわたし
田中優×小林武史 緊急会議「今だからこそできる話がある」をぜひ読んでくださいと、案内だけを載せました。
そこからサイトに行けなかった方、行かなかった方がいらっしゃると思います。
その中の、送電線のお話が、とても具体的で、市民の思いを集めて政府に届けたら、もしかしたら変わるかもしれない制度のような気がしてなりません。
どうかみなさん、今一度、この送電線の話を読んでみてください。
そして、運動を起こしてみませんか?
それは今、この今が、まさにその時じゃないか、と思えてならないのです。



田中 実は、原子力発電は保険に入っているんです。
「原子力損害賠償制度」というものなんだけれど、1200億円までは保険がおりるの。
イギリスのロイズに再保険をかけているから、使うことになってもイギリスの貴族の懐が痛むだけなんだけどさ。

小林 そういう仕組みがあるんですか。

田中 でも、どう考えても今回はその額だけでは足りないわけです。
そういう時は国と電力会社があとは負担します、となっている。
でも、国だって今は財政が厳しい。
一方、東京電力は、ここまでは豊かだった。
この構造がある意味チャンスなんです。
国は一度はお金を払わざるを得なくなるけれど、その分あとで東京電力によこせと言わざるを得なくなるでしょう?
その時に、東京電力が持っている送電線を担保に取ってしまえばいい。
インフラとなる送電線を、道路のように自由利用の原則に戻してしまうわけです。
そうなれば、みんなが原発以外の方法で作ったエネルギーを流すことができるようになり、欲しい人はそこから買えばいいわけだから。
すると、いきなりヨーロッパ型の電力体系にもっていけるわけなんです。

小林 なるほど! 初めて光が差してきた(笑)。
要するに、今までは送電線を電力会社が持っていたから、誰かが他の方法でエネルギーを作ることができてもそれを送ることが難しかったわけですよね。
その問題が解消する道筋になるわけですか。
当然今回の事故は1200億円では足りる感じじゃないですよね。
海水を入れてしまっているし、あれを再開するのはとんでもない費用がかかることでしょ?

田中 あれはもう直せないと思うけれどね。
今までは原発事故の時には、その修復に保険を全て使っていたわけです。
柏崎の原発事故のときも、実はロイズが壊れた部分の修復を全部負担しているわけだから。
一方で、例えば個人が被災して家に帰ることができないから福島からどこかに転居して暮らさなければならないというときに、そういう費用は今までだと自治体が負担するか、結局は賠償されないかどちらかだった。
でも今回は、そういう費用も電力会社に負担をしてもらおうという仕組みを作るべきだと考えていて。

小林 確かに今回はそういう責任が東京電力なり、国にはっきりとあると言えそうですよね。

田中 実は今、大阪で被災者の避難費用の請求を準備してるんです。
このままでは善意の人たちの義援金から払われますね。
でも原因を作った東京電力という加害者がいるのに、その被害を市民が負担するのはおかしいと思うんです。
それを弁護士に頼んで、政府と話し合いをつけてという道筋で。
今回の被害はとても1200 億円では足りないから、どっちにしろ政府が負担することになります。
でもそれなら代わりに政府が送電線をもらいうければいいと思うんです。

小林 なるほどね。それにしても、そもそもなんで国は、送電線を国の管理物にしなかったんですかね?

田中 戦前には、600以上の電力会社があって、各駅ごとにあちこちにあった。
それが戦争が始まるときに、政府が「日本発送電株式会社」といって、勝手に全てひとつの電力会社にしてしまったんだよ。
それを戦後になってみんなに分けなくちゃいけなくなって、九つの地域に分けたから9つの電力会社ができたわけ。
実はそのときに、戦前にその中の多くの発電をしていたのは各自治体だったんですよ。
その県が「ふざけるな、返せ!」という運動を起こして1965年まで戦っていたんだけれど最終的に負けてしまった。
そのときにどうしたかというと、施設を取られてしまった自治体には、株券を返している。
だから、東京電力の第三位の株主は東京都、中国電力の第一位の株主は山口県、というふうになっているわけ。

小林 なるほどね。

田中 そういう仕組になっていたので、9つの電力会社が全ての送電線などを押さえるというかたちは戦時中以降の体制で、それまでは自由にやっていた。
そのころの東京電力は「東京電燈」といって、東京周辺でしかやっていないちっちゃなガス屋みたいなもんだったんだよね。
それが今、世界最大の会社になっちゃったわけだけれど。
大きな仕組みを維持するには大きな仕組みじゃなくちゃいけないでしょう?
だから、巨大な原発を建てて、そこから全部配りますよという巨大なヒエラルキーを作ってしまった。
それを今度は地域分散にしていかなくてはいけない。そのほうがコストも安いしね。
今まで、青森県に作ろうとしてきた東京電力の東通原子力発電所は、東京までの送電線だけで3兆円くらいかかるの。
実は電力会社の最大コストは発電所じゃなくて、発送配電の送電線なんだよね。
その送電線を国に戻してもらうことができればと。

小林 そうした方がいいよね。

田中 既にヨーロッパはみんなそういう仕組みなんです。
発電、送電、配電といって、発電所は自由に誰かが作ればいい。
送電線は道路みたいなものだから、国が持つ。
それで、配電線も民間企業が勝手にやればいい。

小林 配電線というのは、家とかに電力を配っていくものですね。

田中 そう。そうやって3つにわけて、真ん中の送電線だけを公が持って維持していくから後は自由にやっていいですよ、と。

小林 その代わり、大事な部分に関してのジャッジは国ができますよ、という。
国民の総意が生かせますよね。これは、子どもにも分かるすっきりとした話だよね。
今まではだからなんだか変だった。
そうか。送電線を電力会社が全部押さえていたら、つまり風力発電や太陽光発電を作るといっても分配はみんな電力会社に決められてしまうわけだったんですね。

田中 今までは本当に不幸なことに、「規模は小さいけれど水力発電で作った電気を買ってください」といっても、「買いません」と断られちゃうんですよ。
買ってもらえなくて、いくらでも二酸化炭素を出さずに発電しているのに使えないんですよ。

小林 ものすごいすっきりした。
情報を整理すると問題点が明確に見えてきますよね。
今のこんな状況は誰も望んでいなかったけれど、今回の大打撃があって始めて、今まで分厚い鉄壁に守られてきた構造に、改善をするためのスキができたわけですよね。
僕と優さんなんかは、今までもずっとこういう会話を繰り返してきたけれど、今だからこそできる話があるわけです。
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