第二次世界大戦前にはごく自然な国家平安の歌として親しまれていた『君が代』。
昭和のど真ん中生まれのわたしは、この歌が大好き。
ちっちゃな子供の頃から、この歌を歌う時は、おっきな声で歌った。
昭和天皇のことも大好きで、わたしは勝手に、『天ちゃん』とあだ名をつけて呼んでいた。
理由なんか別に無い。
彼の人となり、仕草が好きだった。
昭和天皇の容態が深刻になり、下血が続いていた頃、わたしはまるで、自分のじいちゃんが死にかけているぐらいに悲しくて、心の底から心配していた。
昭和64年の1月6日の夜、わたしはいよいよその時が来るかもしれないという予感があって、枕元にラジオを置き、つけたまま眠った。
日が明けてまだ暗かった部屋の窓の向こうから、さあっと、鮮やかなオレンジ色の光が差し込んできて、わたしの頭全体が包まれた。
その光とぬくみでハッと起きて時計を見た。6時33分。その直後に、『ただいま昭和天皇が崩御されました』というアナウンサーの声が聞こえてきた。
ものすごくびっくりした。
オレンジ色の光はとっくに消えてしまっていて、辺りは真っ暗だった。
けれども肩のところにまだ温かみが残っていて、それはまるで、「今までよく心配してくれた。ありがとう。もういいからね」と、天ちゃんがあの親しみのある笑顔で、わたしの肩に手をかけ、そう言ってくださっているような気がした。
しんとした真冬の朝の冷たい空気の中、ラジオから流れてくる『君が代』を、初めて、声を出さずに歌った。
息子達が小学生の頃、この歌について、様々な考えを持つ人がいるということを知った。
PTAの執行部の役員をしていた時、「卒業式で『君が代』を流さないで欲しい。もしどうしてもというなら、わたしとわたし自身の子供は、式の出席を見合わせさせてもらう」と、固い表情で訴えてきた母親がいた。
わたしはなんのことだか意味がわからずに、ただただ呆気にとられながら、彼女の横顔を眺めていた。
後で、彼女がどうしてそう思っているのかの理由を聞いた。
そういう考え方もあるのだなあ、と思った。
今度の4月2日の月例コンサートでは、会場のみんなと一緒に黙祷をし、この『君が代』を歌おうと思う。
わたしにとってこの歌は日本なのだから。
日本の平安を祈ってこの歌を歌い、それから『故郷』と『この道はいつか来た道』を歌おう。
東北の、今は困難と哀しみの真っただ中に居て、それでも踏ん張って生きている人達のこと、
突然に、理不尽に、これからの未来を奪われてしまった人達のこと、
救援と復興に向けて、文字通り命を懸けて行動している人達のこと、
目に見えない放射能の行方に胸を悩ませている人達のこと、
実際に暮らしの先行きが全く見えなくなり、途方に暮れている人達のこと、
なにかしたいと思いながら、まだその手段を見つけられないままにじりじりしている人達のこと、
直接の被害は受けていないものの、停電や汚染で、今までにない不便を強いられている人達のこと、
そんな日本の人達に思いを馳せて、心を込めて歌わせてもらおう。
『君が代』
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.
『故郷』
兎(うさぎ)追いしかの山
小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷(ふるさと)
如何(いか)に在(い)ます父母
恙(つつが)なしや友がき
雨に風につけても
思い出(い)ずる故郷
志(こころざし)をはたして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
Back in the mountains I knew as a child
Fish filled the rivers and rabbits ran wild
Memories, I carry these wherever I may roam
I hear it calling me, my country home
Mother and Fathers, how I miss you now
How are my friends I lost touch with somehow?
When the rain falls or the wind blows I feel so alone
I hear it calling me, my country home
I've got this dream and it keeps me away
When it comes true I'm going back there someday
Chrystal waters, mighty mountains blue as emerald stone
I hear it calling me, my country home
『この道はいつか来た道』
この道はいつか来た道
ああそうだよ
あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘
ああそうだよ
ほら白い時計台だよ
この道はいつか来た道
ああそうだよ
お母さまと馬車で行ったよ
あの雲もいつか見た雲
ああそうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる
I know this old road
I’ve seen this lonesome valley
Ah, sweet is the memory
Acacia in her hair
Gentle and kind, she walked there
I know that old hill
I’ve seen it on this journey
Ah, sweet is the memory
The tower clock turned back time
Or is it all in my mind?
I know this old road
I’ve seen it there before me
Ah, sweet is the memory
A wooden carriage we’d ride
Mother was there at my side
I know that cloud there
I’ve seen the sky before me
Ah, sweet is the memory
May trees in summer hang down
Out of a dream, my hometown
昭和のど真ん中生まれのわたしは、この歌が大好き。
ちっちゃな子供の頃から、この歌を歌う時は、おっきな声で歌った。
昭和天皇のことも大好きで、わたしは勝手に、『天ちゃん』とあだ名をつけて呼んでいた。
理由なんか別に無い。
彼の人となり、仕草が好きだった。
昭和天皇の容態が深刻になり、下血が続いていた頃、わたしはまるで、自分のじいちゃんが死にかけているぐらいに悲しくて、心の底から心配していた。
昭和64年の1月6日の夜、わたしはいよいよその時が来るかもしれないという予感があって、枕元にラジオを置き、つけたまま眠った。
日が明けてまだ暗かった部屋の窓の向こうから、さあっと、鮮やかなオレンジ色の光が差し込んできて、わたしの頭全体が包まれた。
その光とぬくみでハッと起きて時計を見た。6時33分。その直後に、『ただいま昭和天皇が崩御されました』というアナウンサーの声が聞こえてきた。
ものすごくびっくりした。
オレンジ色の光はとっくに消えてしまっていて、辺りは真っ暗だった。
けれども肩のところにまだ温かみが残っていて、それはまるで、「今までよく心配してくれた。ありがとう。もういいからね」と、天ちゃんがあの親しみのある笑顔で、わたしの肩に手をかけ、そう言ってくださっているような気がした。
しんとした真冬の朝の冷たい空気の中、ラジオから流れてくる『君が代』を、初めて、声を出さずに歌った。
息子達が小学生の頃、この歌について、様々な考えを持つ人がいるということを知った。
PTAの執行部の役員をしていた時、「卒業式で『君が代』を流さないで欲しい。もしどうしてもというなら、わたしとわたし自身の子供は、式の出席を見合わせさせてもらう」と、固い表情で訴えてきた母親がいた。
わたしはなんのことだか意味がわからずに、ただただ呆気にとられながら、彼女の横顔を眺めていた。
後で、彼女がどうしてそう思っているのかの理由を聞いた。
そういう考え方もあるのだなあ、と思った。
今度の4月2日の月例コンサートでは、会場のみんなと一緒に黙祷をし、この『君が代』を歌おうと思う。
わたしにとってこの歌は日本なのだから。
日本の平安を祈ってこの歌を歌い、それから『故郷』と『この道はいつか来た道』を歌おう。
東北の、今は困難と哀しみの真っただ中に居て、それでも踏ん張って生きている人達のこと、
突然に、理不尽に、これからの未来を奪われてしまった人達のこと、
救援と復興に向けて、文字通り命を懸けて行動している人達のこと、
目に見えない放射能の行方に胸を悩ませている人達のこと、
実際に暮らしの先行きが全く見えなくなり、途方に暮れている人達のこと、
なにかしたいと思いながら、まだその手段を見つけられないままにじりじりしている人達のこと、
直接の被害は受けていないものの、停電や汚染で、今までにない不便を強いられている人達のこと、
そんな日本の人達に思いを馳せて、心を込めて歌わせてもらおう。
『君が代』
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.
『故郷』
兎(うさぎ)追いしかの山
小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷(ふるさと)
如何(いか)に在(い)ます父母
恙(つつが)なしや友がき
雨に風につけても
思い出(い)ずる故郷
志(こころざし)をはたして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
Back in the mountains I knew as a child
Fish filled the rivers and rabbits ran wild
Memories, I carry these wherever I may roam
I hear it calling me, my country home
Mother and Fathers, how I miss you now
How are my friends I lost touch with somehow?
When the rain falls or the wind blows I feel so alone
I hear it calling me, my country home
I've got this dream and it keeps me away
When it comes true I'm going back there someday
Chrystal waters, mighty mountains blue as emerald stone
I hear it calling me, my country home
『この道はいつか来た道』
この道はいつか来た道
ああそうだよ
あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘
ああそうだよ
ほら白い時計台だよ
この道はいつか来た道
ああそうだよ
お母さまと馬車で行ったよ
あの雲もいつか見た雲
ああそうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる
I know this old road
I’ve seen this lonesome valley
Ah, sweet is the memory
Acacia in her hair
Gentle and kind, she walked there
I know that old hill
I’ve seen it on this journey
Ah, sweet is the memory
The tower clock turned back time
Or is it all in my mind?
I know this old road
I’ve seen it there before me
Ah, sweet is the memory
A wooden carriage we’d ride
Mother was there at my side
I know that cloud there
I’ve seen the sky before me
Ah, sweet is the memory
May trees in summer hang down
Out of a dream, my hometown