6月3日の朝日新聞の夕刊にフリーライターの高野秀行さんから宮田珠己さんへの手紙という形式の文章が載っていました。そこでは二人が目指す読んで楽しいノンフィクション、名付けて「エンタメ・ノンフ」について語られていました。文章から引用すると、
「(前略)エンターテイメント・ノンフィクションは世界を前向きにとらえなおす手法だというお言葉に同感です。
そういえば宮田さんは以前エッセイで、島尾敏雄がうつ状態のときに書いた日記が面白いと書いていましたよね。私も島尾敏雄の私小説『死の棘(とげ)』が好きなんです。内容はもちろん暗いですよ。でも読んでいると面白い。辛くならない。なぜかというと著者が自分を『ダメな中年男』という設定で物語化しているからです。著者がそれを書いて救われているのがありありとわかるんですね。
自らを客観的に見て物語化する。これがえんため・ノンフの出発点じゃないでしょうか。私小説や日記はノンフィクションと言えないかもしれないけど、すごくエンタメ・ノンフに近いところにあると思うんです。(中略)失敗も災難も不幸も全てネタだと思えばいいんですよね。全て物語の一部です。ネタにすれば、ムカつきや落ち込みの元凶にも少し耐えられるようになるわけですね。(後略)」
この他に自分を客観視して楽になる例がいくつかあげられていました。旅先で散々な目にあって落ち込んでいたが、それをお間抜けな日本人旅行者という設定で書くと、自分のことながら笑ってしまい、嫌だった出来事が「面白い」ことにスッと変わるとか、自閉症の人が自分をネタに小説を書いていて、自分が怪獣ということにしてもいいから雑誌の書評で紹介してほしいと言う人がいるとか。
私がこの記事に目をつけたのは「島尾敏雄」という固有名詞が印刷されていたからで、私も一時島尾敏雄がうつ状態の時に書いた日記にはまっていたことがあります。このように言われてみると、確かに自分のことをダメ人間として島尾さんが書いていたことに共感していたのかもしれません。
まず自分がダメ人間と認め、それが虐められることがあってもネタとして笑うという余裕を手に入れられたら、本当に生きるのが楽になるでしょうね。挑戦してみようと思います。
「(前略)エンターテイメント・ノンフィクションは世界を前向きにとらえなおす手法だというお言葉に同感です。
そういえば宮田さんは以前エッセイで、島尾敏雄がうつ状態のときに書いた日記が面白いと書いていましたよね。私も島尾敏雄の私小説『死の棘(とげ)』が好きなんです。内容はもちろん暗いですよ。でも読んでいると面白い。辛くならない。なぜかというと著者が自分を『ダメな中年男』という設定で物語化しているからです。著者がそれを書いて救われているのがありありとわかるんですね。
自らを客観的に見て物語化する。これがえんため・ノンフの出発点じゃないでしょうか。私小説や日記はノンフィクションと言えないかもしれないけど、すごくエンタメ・ノンフに近いところにあると思うんです。(中略)失敗も災難も不幸も全てネタだと思えばいいんですよね。全て物語の一部です。ネタにすれば、ムカつきや落ち込みの元凶にも少し耐えられるようになるわけですね。(後略)」
この他に自分を客観視して楽になる例がいくつかあげられていました。旅先で散々な目にあって落ち込んでいたが、それをお間抜けな日本人旅行者という設定で書くと、自分のことながら笑ってしまい、嫌だった出来事が「面白い」ことにスッと変わるとか、自閉症の人が自分をネタに小説を書いていて、自分が怪獣ということにしてもいいから雑誌の書評で紹介してほしいと言う人がいるとか。
私がこの記事に目をつけたのは「島尾敏雄」という固有名詞が印刷されていたからで、私も一時島尾敏雄がうつ状態の時に書いた日記にはまっていたことがあります。このように言われてみると、確かに自分のことをダメ人間として島尾さんが書いていたことに共感していたのかもしれません。
まず自分がダメ人間と認め、それが虐められることがあってもネタとして笑うという余裕を手に入れられたら、本当に生きるのが楽になるでしょうね。挑戦してみようと思います。