今朝の朝刊にターシャ・テューダーさんの訃報が載っていました。バーモント州で死去、92才だそうです。絵本作家というよりも最近では19世紀の服、家、食べ物そして見事なガーデニングで知られ、多くの写真集が出されていました。厚木の有隣堂では、彼女の常設コーナーがかなり長くありました。うちにも写真集が2册ありますが、庭の美しさは息を飲むほどです。ご冥福をお祈りいたします。
さて、女優・香川京子さんのこれまでの仕事ぶりを、ご本人や関係者の方からの証言で紹介する、'08年2月発行の「愛すればこそ スクリーンの向こうから」(勝田友己編)を読みました。
冒頭に8ページの香川さんの写真のページがあり、次に香川京子さんが書かれた「序」、そして香川京子さんが一緒に仕事をした映画監督さん、俳優さん別にいろんなエピソードが語られています。
第一章「巨匠たちとの日々」では、成瀬己喜男、今井正、小津安二郎、溝口健二、黒澤明、といった素晴らしい監督の作品に出演した時の話が、第二章「スターへの階段」では、デビューした経緯、島耕二・阿部豊・中川信夫・原節子・田中絹代・長谷川一夫・三船敏郎らとの仕事、そしてフリーになった経緯、結婚に至る経緯が語られ、第三章「忘れ得ぬ人々」では、大庭秀雄、渋谷実、家城己代治、久松静児、衣笠貞之助、大曽根辰保、清水宏、豊田四郎、吉村公三郎、川島雄三、山本薩夫、内田吐夢、三隅研次、加藤泰、堀川弘通、山田洋次、熊井啓という監督たちとの仕事ぶり、そしてエピローグとして、香川京子さんの「これからも、いい作品に出会いたい」と題する文章で終わり、巻末に香川京子さんの出演作品一覧が細かいデータとともに掲載され、主要参考文献・参考記事一覧も載せられています。
香川さんの清楚でありながら強い意思を感じる発言が、ご本人の誠実さを彷佛とさせるとともに、香川さんが関わってきた映画監督の証言にもいくつかなるほど、と思わせるものがありました。
1つは久松静児監督の発言で、「俳優は‥‥下手でもその人でなくてはできないというものを自然と引き出すことが大切」「理屈で演技する俳優はダメ。」というもの。
もう1つは大曽根監督の発言で、映画「獄門帳」を撮るに際して「人と人との信義、真心の美しさを浮彫にして、人間肯定の快さをしみじみと湧き起こさせるように描きたい」というもの。
そして渋谷実監督のエピソード。渋谷実監督の助監督を石井輝男監督が務めていたというのも驚きでしたが、その石井監督が述べる渋谷実監督の仕事ぶりで「自分でアクションもつけないし、自分で『ヨーイ、スタート』も言わない。ダビングにも編集もしないんです」と、こんなのでよく映画が撮れたなあと思っていると、同じく助監督だった深町幸男さんは、小児まひに対する偏見のために、学校で泥棒だと言いがかりをつけられた子が帰宅してすねる場面の撮影で「監督は『ぼうず、そこの壁に“の”の字を書け』と言うんだ。その時は何のことかと思ったけど、後でラッシュを見ると、全身を写したそのカットは本当に悲しそうだった」というもの。ちなみに清水監督は21才でデビューし、子供を活写した映画で名を馳せ、本人も「こどもたちの演技が、私がへいぜい考えている映画の演技というものに、非常にちかいものをもち、‥‥映画製作の意欲を満足させてくれる」「大人の演技には嘘がある。しかし、子供にはそれがない。自然である」と述べています。私は清水作品はまだ一つもまともに見ていないので、これから見て行きたいと思います。
香川京子さんは私もファンで、溝口健二監督の「山椒大夫」「近松物語」、小津安二郎監督の「東京物語」での香川さんが大好きで、また湘南に住んでらっしゃり、私が在籍していた湘南高校の合唱部に娘さんが入られたことを知ったとこもあって、何か運命的なものを感じ、常に気になっている女優さんでした。今でも「好きな女優さんは?」と聞かれると、香川京子さんの顔がすぐに思い浮かびます。
そんな香川さんの写真と声にあふれたこの本は、新たに私の宝物になりました。この本をまとめてくれた毎日新聞社の勝田友己さんに感謝いたします。そして香川さんがこれからもいい作品に恵まれますように、陰ながら応援させていただきます。
なお、写真をご覧になりたい方は、2枚だけですが、「Favorite Books」の「香川京子さん著『愛すればこそ スクリーンの向こうから」のコーナーに掲載しておきましたので、ぜひご覧ください。
さて、女優・香川京子さんのこれまでの仕事ぶりを、ご本人や関係者の方からの証言で紹介する、'08年2月発行の「愛すればこそ スクリーンの向こうから」(勝田友己編)を読みました。
冒頭に8ページの香川さんの写真のページがあり、次に香川京子さんが書かれた「序」、そして香川京子さんが一緒に仕事をした映画監督さん、俳優さん別にいろんなエピソードが語られています。
第一章「巨匠たちとの日々」では、成瀬己喜男、今井正、小津安二郎、溝口健二、黒澤明、といった素晴らしい監督の作品に出演した時の話が、第二章「スターへの階段」では、デビューした経緯、島耕二・阿部豊・中川信夫・原節子・田中絹代・長谷川一夫・三船敏郎らとの仕事、そしてフリーになった経緯、結婚に至る経緯が語られ、第三章「忘れ得ぬ人々」では、大庭秀雄、渋谷実、家城己代治、久松静児、衣笠貞之助、大曽根辰保、清水宏、豊田四郎、吉村公三郎、川島雄三、山本薩夫、内田吐夢、三隅研次、加藤泰、堀川弘通、山田洋次、熊井啓という監督たちとの仕事ぶり、そしてエピローグとして、香川京子さんの「これからも、いい作品に出会いたい」と題する文章で終わり、巻末に香川京子さんの出演作品一覧が細かいデータとともに掲載され、主要参考文献・参考記事一覧も載せられています。
香川さんの清楚でありながら強い意思を感じる発言が、ご本人の誠実さを彷佛とさせるとともに、香川さんが関わってきた映画監督の証言にもいくつかなるほど、と思わせるものがありました。
1つは久松静児監督の発言で、「俳優は‥‥下手でもその人でなくてはできないというものを自然と引き出すことが大切」「理屈で演技する俳優はダメ。」というもの。
もう1つは大曽根監督の発言で、映画「獄門帳」を撮るに際して「人と人との信義、真心の美しさを浮彫にして、人間肯定の快さをしみじみと湧き起こさせるように描きたい」というもの。
そして渋谷実監督のエピソード。渋谷実監督の助監督を石井輝男監督が務めていたというのも驚きでしたが、その石井監督が述べる渋谷実監督の仕事ぶりで「自分でアクションもつけないし、自分で『ヨーイ、スタート』も言わない。ダビングにも編集もしないんです」と、こんなのでよく映画が撮れたなあと思っていると、同じく助監督だった深町幸男さんは、小児まひに対する偏見のために、学校で泥棒だと言いがかりをつけられた子が帰宅してすねる場面の撮影で「監督は『ぼうず、そこの壁に“の”の字を書け』と言うんだ。その時は何のことかと思ったけど、後でラッシュを見ると、全身を写したそのカットは本当に悲しそうだった」というもの。ちなみに清水監督は21才でデビューし、子供を活写した映画で名を馳せ、本人も「こどもたちの演技が、私がへいぜい考えている映画の演技というものに、非常にちかいものをもち、‥‥映画製作の意欲を満足させてくれる」「大人の演技には嘘がある。しかし、子供にはそれがない。自然である」と述べています。私は清水作品はまだ一つもまともに見ていないので、これから見て行きたいと思います。
香川京子さんは私もファンで、溝口健二監督の「山椒大夫」「近松物語」、小津安二郎監督の「東京物語」での香川さんが大好きで、また湘南に住んでらっしゃり、私が在籍していた湘南高校の合唱部に娘さんが入られたことを知ったとこもあって、何か運命的なものを感じ、常に気になっている女優さんでした。今でも「好きな女優さんは?」と聞かれると、香川京子さんの顔がすぐに思い浮かびます。
そんな香川さんの写真と声にあふれたこの本は、新たに私の宝物になりました。この本をまとめてくれた毎日新聞社の勝田友己さんに感謝いたします。そして香川さんがこれからもいい作品に恵まれますように、陰ながら応援させていただきます。
なお、写真をご覧になりたい方は、2枚だけですが、「Favorite Books」の「香川京子さん著『愛すればこそ スクリーンの向こうから」のコーナーに掲載しておきましたので、ぜひご覧ください。