豊崎由美さんが対談本『読まずに小説書けますか』の41~2ページで絶賛している、佐藤哲也さんの'96年作品『沢蟹まけると意思の力』を読みました。独立したエピソード15個からなっている本です。
1つ目のエピソード。白髪の老婆が次々と昔話を始めますが、どれも村の若者10人が様々なシチュエーションで狸にばかされ、野壺(肥溜め)に浸かっているところを村人に発見されるという結末の話であり、最後には狐も現れて家々に火を放つという話になり、その様子を老婆が呵々大笑して話していると、そこに鳥打ち帽の男が現われ、村を開発してやるぞと独り言を言い、それを老婆に聞かれたことに気付くと、商売敵に老婆から話が漏れるのを恐れた男は、老婆の「やはり、狸めが」という言葉に耳を貸さずに、彼女を野壷にたたき落として殺そうとします。何とか野壷からはい上がった老婆に、その様子をそばで見ていた2匹の沢蟹が近づくと、自分たちが婆さんの仇を取ってあがましょうと言い、男を追跡しますが、簡単に返り討ちに会って踏みつぶされ、その後、男は直ちに次々と開発を進め、あっと言う間に東京近郊に町が誕生するのでした。
2つ目のエピソード。蟹の卵から何とひとの子「沢蟹まける」が生まれます。驚いた看護婦は無意識に神の名を叫びますが、それを聞いた医師は「この世には神など存在しない。これは命に宿る意思の力、魂の力のなせる業だ」という主張を延々と始め、「そんなの詭弁だ」「間違いだ」という「常識派」の看護婦と対立するのでした。
3つ目のエピソード。1808年11月のライプチヒ。人は本来的に誤る性質を持ち、その経験を積むことによって、過去に犯した誤りをしなくなると主張したかったレーゲンヴァッサー教授は「したがって、ひとは誤る」と大学の教室で宣言しますが、それを聞いたナショナリストの学生たちは、現在ライプチヒに駐屯しているフランス軍に対して、その行動のどれもが誤っていると指摘し出して、フランス軍の怒りを買い、フランス軍は紀元前6世紀の故事の言葉を根拠として、学生たちの行動の黒幕としてレーゲンヴァッサー教授を逮捕します。教授は別の大学に移るとまた考察を進め、誤りは正しい道への導き手となることから「したがって、ひとは負けない」と新たに宣言しますが、するとまたナショナリストの学生たちは、自分たちは負けないと言ってフランス軍に食ってかかり始め、ついに看過できなくなったフランス軍はまた黒幕と目される教授を故事の言葉を根拠に逮捕します。教授の考察はさらに続き、負けないことにひとはこだわると考えて今度は「したがって、ひとはこだわる」と宣言し、それに触発されたギムナジウムの生徒たちはフランス軍に毒舌を浴びせ、またまた教授は故事の言葉を根拠に黒幕として逮捕されます。教授の考察はまたまた続き、こだわる結果としてひとは崇め、その結果として「したがって、ひとは侮る」と新たに宣言しますが、それに触発された村の子供たちは自分たちの親を侮り、親に殴られ泣き叫ぶ子供たちを憂慮したフランス軍はまたまたまた故事の言葉を根拠に黒幕として教授を逮捕します。教授は考察を進め、侮るのに加え、ひとはしくじり、その結果居場所を失うとして、逃れたチロル山中の安宿で「したがって、ひとは逃れる」と宣言しますが、そこにはもう学生もフランス軍もなく、遠征をしくじったフランス軍はモスクワから逃れつつあり、フランス大帝国は目標を見失いつつあるのでした。
4つ目のエピソード。医師の教育によって、自らが意思の力の申し子であると信ずるようになった沢蟹まけるは、ひとの姿をしていたため、うっかり仲間をかじったり尻餅をついて潰したりして恨みを買いますが、沢蟹の古老は、沢蟹まけるを自分たちの力で出世させ、いずれは一族の繁栄につなげる存在にしようと言って、仲間に対し意思の力で堪え忍ぶよう説得します。(明日へ続きます‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
1つ目のエピソード。白髪の老婆が次々と昔話を始めますが、どれも村の若者10人が様々なシチュエーションで狸にばかされ、野壺(肥溜め)に浸かっているところを村人に発見されるという結末の話であり、最後には狐も現れて家々に火を放つという話になり、その様子を老婆が呵々大笑して話していると、そこに鳥打ち帽の男が現われ、村を開発してやるぞと独り言を言い、それを老婆に聞かれたことに気付くと、商売敵に老婆から話が漏れるのを恐れた男は、老婆の「やはり、狸めが」という言葉に耳を貸さずに、彼女を野壷にたたき落として殺そうとします。何とか野壷からはい上がった老婆に、その様子をそばで見ていた2匹の沢蟹が近づくと、自分たちが婆さんの仇を取ってあがましょうと言い、男を追跡しますが、簡単に返り討ちに会って踏みつぶされ、その後、男は直ちに次々と開発を進め、あっと言う間に東京近郊に町が誕生するのでした。
2つ目のエピソード。蟹の卵から何とひとの子「沢蟹まける」が生まれます。驚いた看護婦は無意識に神の名を叫びますが、それを聞いた医師は「この世には神など存在しない。これは命に宿る意思の力、魂の力のなせる業だ」という主張を延々と始め、「そんなの詭弁だ」「間違いだ」という「常識派」の看護婦と対立するのでした。
3つ目のエピソード。1808年11月のライプチヒ。人は本来的に誤る性質を持ち、その経験を積むことによって、過去に犯した誤りをしなくなると主張したかったレーゲンヴァッサー教授は「したがって、ひとは誤る」と大学の教室で宣言しますが、それを聞いたナショナリストの学生たちは、現在ライプチヒに駐屯しているフランス軍に対して、その行動のどれもが誤っていると指摘し出して、フランス軍の怒りを買い、フランス軍は紀元前6世紀の故事の言葉を根拠として、学生たちの行動の黒幕としてレーゲンヴァッサー教授を逮捕します。教授は別の大学に移るとまた考察を進め、誤りは正しい道への導き手となることから「したがって、ひとは負けない」と新たに宣言しますが、するとまたナショナリストの学生たちは、自分たちは負けないと言ってフランス軍に食ってかかり始め、ついに看過できなくなったフランス軍はまた黒幕と目される教授を故事の言葉を根拠に逮捕します。教授の考察はさらに続き、負けないことにひとはこだわると考えて今度は「したがって、ひとはこだわる」と宣言し、それに触発されたギムナジウムの生徒たちはフランス軍に毒舌を浴びせ、またまた教授は故事の言葉を根拠に黒幕として逮捕されます。教授の考察はまたまた続き、こだわる結果としてひとは崇め、その結果として「したがって、ひとは侮る」と新たに宣言しますが、それに触発された村の子供たちは自分たちの親を侮り、親に殴られ泣き叫ぶ子供たちを憂慮したフランス軍はまたまたまた故事の言葉を根拠に黒幕として教授を逮捕します。教授は考察を進め、侮るのに加え、ひとはしくじり、その結果居場所を失うとして、逃れたチロル山中の安宿で「したがって、ひとは逃れる」と宣言しますが、そこにはもう学生もフランス軍もなく、遠征をしくじったフランス軍はモスクワから逃れつつあり、フランス大帝国は目標を見失いつつあるのでした。
4つ目のエピソード。医師の教育によって、自らが意思の力の申し子であると信ずるようになった沢蟹まけるは、ひとの姿をしていたため、うっかり仲間をかじったり尻餅をついて潰したりして恨みを買いますが、沢蟹の古老は、沢蟹まけるを自分たちの力で出世させ、いずれは一族の繁栄につなげる存在にしようと言って、仲間に対し意思の力で堪え忍ぶよう説得します。(明日へ続きます‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)