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ペーター=アンドレ・アルト『カフカと映画』その2

2013-07-12 08:53:00 | ノンジャンル
 鈴木則文監督・共同脚本の'72年作品『温泉スッポン芸者』をスカパーの東映チャンネルで見ました。ほとんどのシーンが仰角で撮られ、たまに素晴らしい俯瞰の遠景のショットが入るなど、見事な“ショット”を見ることができるとともに、田中小実昌さん、団鬼六さん、殿山泰司さん、漫画家の福地泡介さん、木枯し紋次郎の原作者・笹沢左保さんが本人役で出演し、その他にも、三原葉子、由利徹、岡八郎、月亭可朝、大泉滉、金子信雄、名和宏、山城新伍、そしてオープニングタイトルにはなかった菅原文太までワンシーン出るなど、キャストの充実度が半端なく、これはおそらく主演の杉本美樹さんの実質的な主演デビュー作ということで、皆さんが結集した結果なのでは、と思いました。鈴木監督の隠れた名作です。映画好きの方にはお勧めです。

 さて、昨日の続きです。
 「このように著者アルトは、今日の私たちにはもはや推測しにくくなっている、〈誕生当初の映画が当時の人々、とりわけインテリ層にどのように迎えられたか〉という問題について一般的検証をおこなったうえで、さまざまな位相からカフカが映画の諸要素を貪欲に吸収し、執筆に役立てた様子を明らかにする。そこでは、当然のごとくカフカの親友であったブロートの著作や日記・手紙にも目配りがなされるし、当時のプラハでカフカを包んでいた空気も紹介され、どのような環境でカフカの映画的叙述が生まれたのかがよく理解できるようになっている。また豊富な例が引用されているので、あまりカフカ文学を読んだことのない方でも、論旨はご理解できることと思う。」
 そしてアルトは本文の中で「(映画『猟人団』についての)カフカのメモは、各場面がどのように並べられているかという配置に集中しており、細部を振り返ることはない。メモは、カメラでとらえたかのように映画の映像を記録する。タイトルで開始され、最終的には観察の中心的対象に焦点を合わせる。『ケルナーの生涯。多くの馬。白馬。火薬の煙。リュツォウの猟人団』。」と書き、結論部分には、「本著での検討から導かれるカフカのキネマトグラフ的な執筆に関しては、合計すると八つの特徴が確定できる。一、カフカがテクスト内でイメージ群を結びつけるとき、そこには映画に似た印象をもたらす連続化の構造が見出せる。二、カフカは映画の映像や連続映像をテクストにとり入れ、そのことが間メディア的な緊張関係を生み出す。読者はそれをすぐに認識することはできず、モデルを参照しながら再構築しなければならない。三、カフカは日常生活でのさまざまな知覚の印象を、テクストのなかで力動的な連続体として連結し、それによって映画の映像のように構成する。四、映画的イメージとテーマが、叙述のモデルとして引用される。それは文学作品のストーリーにフィクションの範例を提供し、その方法において新しいテーマを供給する。五、映画のモティーフを翻案することにより、しばしば観察のプロセスを表現することへの集中力が生み出され、それによってメタフィクション的次元が獲得される。その次元は、映画の場面の中心的要素としての観察行為が、文学では観察の対象となるという事実の内にある。六、キネマトグラフ的叙述とは、反心理学的叙述である。それは初期の映画という背景のもとに、身振りと表情を通じて『表層の美学』(クラカウアー)を現出させることによって、人物を操る衝動を外面化するものである。七、本質的に映画は、カメラの視界という視点的要素を経由して叙述のなかに入りこむ。カメラの視界は、俳優の位置(物語論的にいえば、内的な焦点化の位置)を占め、コメントは加えず、さしあたっては〈冷たく〉事件を眺める。八、映画は人物の情動的状態への集中を可能にすることにより、文学テクストに緊張を高める新しいテクニックを贈与する。人物の情動的状態は、その原因をつくった者への〈リヴァース・ショット〉を用いることなく提示される。」と書いています。(また明日へ続きます‥‥)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto