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ペーター=アンドレ・アルト『カフカと映画』その3

2013-07-13 07:25:00 | ノンジャンル
 アラン・レネ監督の'09年作品『風にそよぐ草』をWOWOWシネマで見ました。財布をひったくられた、趣味が飛行機乗りの女性と、その財布を拾い、警察を通して彼女に返した、過去に殺人を犯しているらしい男との間の不思議な交流(?)を描いた映画でしたが、男と女と第三者の独白によってストーリーが進んだり、ワンシーンワンカットの間に違う時制のシーンに移ったり、画面分割、アイリス・イン、ストップモーション、滑らかで複雑なカメラワーク、滲むような照明、果ては『めまい』で見られたズームアップとトラックダウンを同時に行うことなど、様々なテクニックを駆使して作られていて、“映画”が本来的に持つ“映画の妙味”を味わえる映画でした。
 また、黒沢清監督・脚本の'98年作品『ニンゲン合格』もWOWOWシネマで見ました。10年の昏睡状態の後に目覚めた24歳の青年と、彼と彼の妹に全財産を委ねてアフリカに旅立つ父、彼が持つ敷地で釣り堀を営んでいたが、青年がポニー牧場を再生すると姿を消し、またラストで姿を現す男(役者広司)、敷地に迷いこんで来た馬、青年が牧場を再生すると集まって来る彼の母と妹とその恋人、そして青年を昏睡状態へ追いやる原因を作った事故を起こしたドライバーをめぐる話でしたが、常に人物の表情を曖昧にしておこうとする意思や、バックに流れる風の音がここでも認められ、また、突拍子のないシーンの連続に、立教パロディアスユニティ時代から続く黒沢監督のキャリアへと思いが誘われたりもしました。

 さて、また昨日の続きです。
 そしてアルトは最後に「そして「注目すべきなのは、カフカが選択した叙述の方法が、さまざまな映画形式(たとえば映画の前段階としてのカイザーパノラマ)の構造化の機能を吸収し、利用していることだ。このような方法で、加速された運動の映画における合理的使用が、初期の散文での交通の描写や『失踪者』の逃亡場面、そして『審判』のなかへ流れこんでいるのだし、『兄弟殺し』は、挿入字幕の文体、脚本の形式、演劇的身振りをグロテスク喜劇に変えるという映画特有の変換を反映した作品であった。『猟師グラッフス』の断片の冒頭部分は、パノラマ写真の美学を受け継ぎ、リーヴァの港の停滞した雰囲気を描写するのに使用する。同じ意味において長編『城』は、緊迫感の構築と不安のドラマトゥルギーという映画美学的形式を採用する。それは、ショットの切り替えを遅らせ、視界を狭く限定することによって生み出される。このようなきわめて多彩な映画の応用の前提となるのは、カフカがキネマトグラフ的・ステレオスコープ的なイメージ生産のモデルを注意深く検討したということだ。その検討のおかげで、特殊なジャンルとテクニックについての正確な判断が可能になったのである」と書いています。

 引用させていただいた部分からも分かるように、難解な文章が多く、飛ばし読みに近い読み方になってしまいましたが、映画の具体的なショットが掲載されているとともに、「マック・セネットのキーストン・スタジオ所有の車両」と題された、何十台もの自動車が写された写真も掲載されていたりして、映画好きの人間が楽しめる内容になっていました。カフカが映画を描写する方法は、私が映画のあらすじを書く際に用いている方法に近いものがあり、今後私が自分の物語を書くことがあれば、参考になるようにも思いました。いずれにしても、訳者の瀬川さんが書いてらっしゃるように、カフカ文学に詳しくなくても楽しめる内容になっていたと思います。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto