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E.M.シオラン『歴史とユートピア』

2014-07-11 09:03:00 | ノンジャンル
 ベルナルド・ベルトルッチ監督・共同脚本の'98年作品『シャンドライの恋』をWOWOWシネマで見ました。夫を軍に目の前で連行されたアフリカ女性が、イタリアでピアニストの家政婦をしながら医学を勉強しますが、ラスト、夫が釈放され戻って来る前夜、ピアノを売ってしまい、以前自分にプロポーズしたことのあるピアニストが眠っているところに添い寝し、翌朝、夫が来ても女性が出ようとしないという物語で、コマ落としが何回か見られ、電話や人物の登場、そして編集により、物事が中断される様子を繰り返し提示する映画でもありました。
 また、山崎貴監督・共同脚本・VFXの'12年作品『ALWAYS 三丁目の夕日'64』もWOWOWプライムで見ました。淳之介が青年となっている以外は、前作、前々作と同じ配役で、六子が自分の火傷を治療してくれた医師と結婚し、茶川とヒロミの間には子供が生まれ、淳之介は茶川から独立して作家の道を歩くようになるという、前作『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の後日談となっていました。カメラが宙に舞い上がる俯瞰の画面が印象的だったと思います。

 さて、山田太一さんがアフォリズムが満載されていると言っていた、E.M.シオランの'60年作品『歴史とユートピア』を読みました。
 14ページの途中から引用させていただくと、「どんなたぐいの論戦を経て、どんな経路をたどって、私がこの種の激情、狂乱から脱出することをえたか、これはあえて申しあげまいと思います。長々しい話なのです。バルカン人ならばかならずやその秘儀に通じているはずの、いや、かつてはたしかに通じていたはずの、あの果てしもない会話をここに持ち出さねばならないでしょう。また、どんな論争があったにせよ、それが私の精神の方位変更に唯一の原因としてはたらいたなどとは、とても言えたものではありません。そこには、いっそう自然でいっそう惨めな事象、つまり年齢というやつが大きく作用していて、その徴候はまさにまぎれもないのです。私は次第に寛容のきざしを見せはじめました。そしてこのことは、なにか内奥での顛倒の、おそらくはある不治の病の前知らせかと私には思われたのです。私の不安の総仕あげをしたのは、私がもはや敵の死を希うだけの力を持たぬということでした。死を希うどころか、私は敵を理解し、敵の苦渋を私の苦渋と比較したりするのでした。敵は存在し、なんという失墜ぶりでしょう、私は敵が存在することに満足するようにさえなったのです。私の狂言のたねであった憎悪は、日に日に鎮まってゆき、矮小化してゆき、そうして遠ざかりながら、私の中の最良の部分を持ち去ってゆきました。どうすればいいのか、どんな深淵に向って私はすべり落ちてゆくのだろう。私は絶えまなくそう自問したものです。私のエネルギーが衰えてゆくにつれて、私の寛容への傾斜はきわだって行きました。たしかに私はもう若くはなかったのです。他者が私には想像可能なものに、いや、実在するものにすら見えてきました。『唯一者とその所有』に私は別れを告げたのです。思慮分別が私を誘惑しだしました。さては私もこれで一巻の終りなのだろうか。誠実な民主主義者になるためには、一巻の終りにならねばならぬ――だが、さいわいなことに、私の病状は一から十までそうしたものであるわけではないこと、私がまだ若き日の狂信の痕跡を、なにがしかの若き日の遺物を持ちこたえていることに、私は気づきました。私は私のあたらしい諸原則のただのひとつをも、妥協の対象にしたことはありません。私は手に負えぬほど強情な自由主義者でしたし、今もなおそうです。この幸運な不調和、この非常識こそが私を救っています。時として私は、非の打ちどころのない穏健派の手本になってやろうと渇望します。だが、同時に、決してそんなものになれぬのを自分から嬉しくも思うのです。それほどにも、老いぼれるのがおそろしいのだとも言えましょう。‥‥」
 全200ページ弱あるこの本の、上の部分まで読んで、先を読むのを断念しました。読んでいる内容が少しも頭の中に入ってこなかったからです。先の方をパラパラと読んでもみましたが、やはり読み進める気にはなれませんでした。私には縁がなかった本でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto