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かわなかのぶひろ『映画術の創始者 D・W・グリフィス』その2

2019-04-05 18:57:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 誘拐された子供が樽に詰められ河を流れるという処女作の『ドリーの冒険』(1908年)では、そのプロットはともあれ、まだアップもシーン途中でのカメラポジションのチェンジも行なわれてはいない。1909年の『小麦の買い占め』では、冒頭、種を撒く人を捉えたショットの美しさに目を惹かれる。グリフィス作品の大半を撮影したG・W・ピッツァーによる構図の素晴らしさである。このあたりからカメラポジションは頻繁に切り換えられるようになり、1911年の『女は嘲笑した』では、赤ん坊のアップが挿入されるショットに目を惹かれる。「スターダム」の著者アレグザンダー・ウォーカーによると、グリフィスは1908年の『黄金を愛するゆえ』(For Love of Gold)で、心の中にあるものを俳優の顔で表現しようとカメラを近づけたのがアップの最初であるというが、今日のように頻繁に使われているわけではない。むしろクロス・カッティングで盛り上げたり、カメラのポジション・チェンジによる視点の移動が、次第に闊達になってくる。
 1912年の『大虐殺』ではインディアンにかこまれた幌馬車隊と、救いに駆けつける軍隊のクロス・カッティングはもちろんのこと、俯瞰の大ロングと戦闘のまっただ中にカメラを据えたショットの切り返しによって、カメラは人間の視点を超えたところに立ってしまう。丘の中腹に据えられたカメラの前に、二頭のオオカミを配し、眼下の戦闘を捉えるのだ。オオカミが去ると、次にクマが横切るというこのショットはじつに印象深い。
 いっぽう、漁に出たきり戻らない夫を待ち続ける妻の姿を、寄せては返す波を背景にたんたんと描く、1910年の『不変の海』や、廃鉱を捨てて荒野を彷徨う3人の女性を、絶えず吹き荒ぶ砂嵐を背景に捉えた、1911年の『女性』では、カメラやカッティングの技術に目を奪われがちなグリフィス作品の俳優に対する演出を堪能させてくれる。この2作の神秘的ともいえるシンプルさには大いに魅せられた。
 グリフィスの俳優達は(作品がそうであるように)目的に対して直線的に動かない。いわゆる段取り芝居にはない「間」があるのだ。その素晴らしい「間」と表現技術の噛み合いは、1919年の長篇『大疑問』で堪能できる。リリアン・ギッシュの動きと、それを捉えるカメラの素晴らしさ。マスキングや背景の照明を落として俳優の表情をきわだたせる技法にふれると、映画になぜ色彩や言葉がついたのだろうと舌打ちしたくなる。これぞまごうかたなき映画である。日常の現実原則とは異なる世界なのだ。
 当日の上映はピアノ演奏つきである。これから映画を手がけようという若い世代にとってはけだし必見の機会といえよう。