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金子文子『何が私をこうさせたか 獄中手記』その3

2019-10-12 04:19:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 遺骨は1926年11月5日に朴烈の故郷である慶尚北道慶郡麻城面梧泉里の北方約8キロメートルにある同郡聞慶面八霊里の山の中腹に埋葬された。しかしずっと憲兵の目が光っていて「国賊の墓参りなどするのはけしからん」と言って朴家の人々の墓参りも許さなかった(中略)。韓国人によって墓の脇に『金子文子女史之墓』と刻まれた墓碑の除幕式が行われたのは、文子の死後47年目の1973年7月23日だった。2003年にこの墓は朴烈の旧家の裏に移された。
 朴烈は布施辰治ほか前掲書17頁によれば4月6日に、1926年4月15日付『東京朝日新聞』によれば4月12日に、市ヶ谷刑務所から千葉刑務所に移された。1936年8月には小菅(こすげ)刑務所に移され、さらに1943年8月に秋田刑務所に移され、ここで日本の敗戦を迎えて1945年10月27日に出獄した。1946年1月20日に新朝鮮建設同盟を組織して委員長に就任し、同年10月3日に在日本朝鮮慰居留民団(民団)に改組して委員長に就任した。しかし1949年4月1~2日に開催された民団第六回臨時大会で団長選挙に敗れた。その後、1950年に韓国に帰ったが、朝鮮戦争の際に朝鮮民主主義人民共和国に連行された。1956年7月2日結成された在北平和統一促進協議会の常務委員となった(中略)。平壌放送によれば、1974年1月17日に享年77歳で死去した(中略)。

「獄中手記『何が私をこうさせたか』には何が語られたか」
 文子は1903年1月25日に横浜市に生まれた。彼女の手記は横浜で育てられた幼年期の父母の思い出から記された。父は佐伯文一で、文子が生まれたころには横浜の壽警察署の警察官だったらしい。しかし文子の幼年の頃には警察官を辞任していた。その後、どのような職業に従事したのか不明だが、文子の記憶によると、父は幼年期の文子を非常に可愛がった。
 しかしその楽しい生活も長くは続かなかった。父が若い女を家に連れ込んできたので、母とのいさかいが起こったからである。その後に両親の関係にさらに深刻な破綻が起こった。1908年の秋か暮れの頃に母の妹金子たかのが婦人病治療のために山梨県東山梨郡諏訪村(現山梨市牧丘町)袖口(そまぐち)の金子家から来て同居したが、父はたかのと肉体関係をもつようになり、母は父に棄てられた。
 そこで母は中村という鍛冶職工と同棲したが、中村が会社から解雇されると同棲生活は終わった。母はその後小林という沖仲仕と同棲した。しかし生活に追い詰められて1910年秋に小林の故郷である山梨県北郡留郡丹波山村の山間の小部落小袖(こそで)に行ってここに暮らした。文子が七歳の時のことだった。
 1911年の春に諏訪村袖口の金子家の弟共治がきくのと文子を迎えにきた。長い談判の末、ここで生まれた春子を小林家に残し、きくのと文子を金子家に引き取った。しかしきくのはまもなく中央本線塩山駅近くの雑貨商人古屋庄平に後妻として嫁いでしまった。きくのは文子を連れ子として引き取るつもりだったが、古屋が文子を邪魔にするので、文子を金子家に帰した。
 1912年秋に朝鮮忠清北道清州郡芙蓉面芙江里に住む文子の父方の祖母佐伯ムツが金子家を訪れた。彼女が同居しているその娘夫婦の岩下家に子がないので、文子を養女として貰い受けに来たのだった。このために文子はムツに連れられて朝鮮に旅立った。
 芙江には京釜線芙江駅が開設されていて、1908年現在で日本人の戸数も40戸あった。文子の自伝によると、文子がもらわれて行った岩下家は芙江の日本人の中の最も有力な家族の一つで、「そう広くはないが、五、六ヶ所の山林と、鮮人に小作させている田と畑とを持っていて、それからあがる収入で、鮮人相手に高利貸をしているのであった」。つまり、岩下家は朝鮮人民衆から収奪する典型的な日本人植民者だった。
 岩下家の家族は岩下敬三郎、その妻は佐伯文一の妹カメ、佐伯ムツの三人だった。この家族の実権を握って采配をふるっていたのは佐伯ムツだった。
 文子の自伝によると、文子はこの村の小学校に四年生として入学したが、その時文子は、岩下家の者から次のように言われたという。おそらく祖母が言ったのであろう。「なあ“ふみ”や、金子のような貧乏人の子なら差し支えないが、かりにもこれからは岩下の子として学校にあがるんだ。そのつもりでしっかり勉強するんだぞ。百姓の子にまけたり、恥ずかしいことをするとすぐ名前をとり上げるよ……」
 祖母は貧しい人々は吝嗇(りんしょく)で、文子に対しても小学校で使う紙や絵具もろくろく買ってくれなかった。それのみでなく、文子に十二、三歳の頃から女中同様に勝手仕事や便所の拭き掃除などをやらせた。

(また明日へ続きます……)

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