高野秀行さんの2018年作品『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』を読みました。
まず、「はじめに」の全文を転載させていただくと、
子供の頃から胃腸が弱く、好き嫌いも多かった。
動物の内臓(モツ)や皮、キノコ(特にシイタケ)、香辛料の効いたもの、漬け物や外国のチーズなど、ちょっとでも見かけがグロテスクだったり、臭かったり、クセがあるものは全然受けつけなかった。
それが一気に変わったのは大学探検部の遠征でアフリカ・コンゴへ行ったときだった。やむをえない事情から、サル、ゴリラ、ヘビなどの野生動物を片っ端から食べるはめになった。他に食糧がないから、食べないわけにはいかない。当時は毎日のように「こんなものも喰うのか」と驚いていた。
でも、いざとなれば食べられてしまうし、けっこう美味(うま)かったりもする。
これが人生における「食ビッグバン」となった。
コンゴから帰ると、好き嫌いは一切消滅していた。シイタケやモツなど、毛がからまったチンパンジーの肉に比べたら鶏のささみのように素直な食品に思える。食の可動域が極端に広くなったのだ。
もし関節の可動域が急に広がれば、誰もがいろいろなことを試してみるにちがいない。上海雑技団のように背中をそらせて足の間から顔を出してみたり、針金細工のように複雑なヨガのポーズをとってみたくなるだろう。
同じことが私にも言えて、食の可動域が広がると、いろいろなものを食べてみたくなる。実際、辺境の地へ行くと、日本の都市部では考えられないような料理や酒が食卓にのぼる。
「こんなもの、喰うのか」とやっぱり驚くし、「ヤバいんじゃないか」とも思うが、現地の人たちが食べているのを見ると一緒に食べずにはいられない。食べてしまえば以外に美味いことが多い。すると、また食の可動域が広がった喜びに包まれる。
感覚が「ヤバそうだけど食べてみよう」からやがて「ヤバそうだから食べてみよう」に変わっていく。人間、こうなると歯止めがきかない。
だが、「なんでも食べられる」ことは実は私の仕事にとって欠かせないスキルでもある。
環境や文化が全く異なる人たちのところへ行って溶け込むために最も大切なことは、その人たちと同じ生活をすることだ。つまり、同じものを同じように食べ、なるべく彼らの言語を話し、同じ場所で寝て、一緒に歌ったり踊ったりする。
私たちだって、そうだろう。ナイジェリア人とかベルギー人がうちに来たとして、彼らが私たちと一緒に納豆や刺身をぱくぱく食べて「オイシイ!」と片言の日本語で言うのと、「ノー、そんなキモチワルイものは食べられない」と英語やフランス語で断り、遠目で眺めているのと、どちらが親近感を覚えるだろうか。答えは言うまでもない。
ただ、いつもそれが良い結果を生むわけではない。
コンゴに四回目に行ったときは長距離バスの中でサルの燻製肉がまわってきた。誰かが大きな固まり肉を持ってきて、まるで“みかん”か“せんべい”をお裾分けするかのように、車内の客に分けていたのだ。一人ずつガブッと噛みちぎっては隣の客に手渡す。
私も躊躇(ちゅうちょ)なくそれを食べたところ、乗客の人たちから歓声があがった。「外国人がサル肉の回し食いなど絶対にしない」と思っていたのを覆されたからだろう。こうなると、一気にその世界に溶け込むことができる。だが、溶け込みすぎて、カネをたかられたり、騙(だま)されたりもした。現地に溶け込むとは、食い、食われすることだから、しかたないのだが。
そうこうしているうちに辺境旅も三十年以上が過ぎ、いつの間にか莫大な数の奇食珍食が私の体を通過していた。正直言って、日本人でこれまで私ほどへんな食べ物を食べた人は何人もいないんじゃないかと思う。
週刊文春で連載を行う機会を得たので、「ヘンキョウ探検家 高野秀行のヘンな食べもの」と題して、今までの体験を書き綴ってみた。中にはこの連載のためにわざわざ取材して食べたものもある。おかげで生の虫とか口噛み酒みたいなへんなものまで飲み食いしてしまった。また、中には「これ、食べ物じゃないんじゃないか?」というものもあるが、「口から摂取するもの」は広く「食べ物」に含めるようにしたい。
注意してほしいのは、食事中に読まないこと。中には強烈な刺激を伴うものもある。最後に言い添えておくと、私は今でも胃腸が強くない。日本でも外国でもよく腹を壊して寝込んでいる。でも、それで食べることに手加減、いや腹加減はしない。ひどい下痢でも二、三日苦しめば、まず治るのだ。自分の知らない食の世界を知ることのほうがよせほど面白くてワクワクするのである。
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
まず、「はじめに」の全文を転載させていただくと、
子供の頃から胃腸が弱く、好き嫌いも多かった。
動物の内臓(モツ)や皮、キノコ(特にシイタケ)、香辛料の効いたもの、漬け物や外国のチーズなど、ちょっとでも見かけがグロテスクだったり、臭かったり、クセがあるものは全然受けつけなかった。
それが一気に変わったのは大学探検部の遠征でアフリカ・コンゴへ行ったときだった。やむをえない事情から、サル、ゴリラ、ヘビなどの野生動物を片っ端から食べるはめになった。他に食糧がないから、食べないわけにはいかない。当時は毎日のように「こんなものも喰うのか」と驚いていた。
でも、いざとなれば食べられてしまうし、けっこう美味(うま)かったりもする。
これが人生における「食ビッグバン」となった。
コンゴから帰ると、好き嫌いは一切消滅していた。シイタケやモツなど、毛がからまったチンパンジーの肉に比べたら鶏のささみのように素直な食品に思える。食の可動域が極端に広くなったのだ。
もし関節の可動域が急に広がれば、誰もがいろいろなことを試してみるにちがいない。上海雑技団のように背中をそらせて足の間から顔を出してみたり、針金細工のように複雑なヨガのポーズをとってみたくなるだろう。
同じことが私にも言えて、食の可動域が広がると、いろいろなものを食べてみたくなる。実際、辺境の地へ行くと、日本の都市部では考えられないような料理や酒が食卓にのぼる。
「こんなもの、喰うのか」とやっぱり驚くし、「ヤバいんじゃないか」とも思うが、現地の人たちが食べているのを見ると一緒に食べずにはいられない。食べてしまえば以外に美味いことが多い。すると、また食の可動域が広がった喜びに包まれる。
感覚が「ヤバそうだけど食べてみよう」からやがて「ヤバそうだから食べてみよう」に変わっていく。人間、こうなると歯止めがきかない。
だが、「なんでも食べられる」ことは実は私の仕事にとって欠かせないスキルでもある。
環境や文化が全く異なる人たちのところへ行って溶け込むために最も大切なことは、その人たちと同じ生活をすることだ。つまり、同じものを同じように食べ、なるべく彼らの言語を話し、同じ場所で寝て、一緒に歌ったり踊ったりする。
私たちだって、そうだろう。ナイジェリア人とかベルギー人がうちに来たとして、彼らが私たちと一緒に納豆や刺身をぱくぱく食べて「オイシイ!」と片言の日本語で言うのと、「ノー、そんなキモチワルイものは食べられない」と英語やフランス語で断り、遠目で眺めているのと、どちらが親近感を覚えるだろうか。答えは言うまでもない。
ただ、いつもそれが良い結果を生むわけではない。
コンゴに四回目に行ったときは長距離バスの中でサルの燻製肉がまわってきた。誰かが大きな固まり肉を持ってきて、まるで“みかん”か“せんべい”をお裾分けするかのように、車内の客に分けていたのだ。一人ずつガブッと噛みちぎっては隣の客に手渡す。
私も躊躇(ちゅうちょ)なくそれを食べたところ、乗客の人たちから歓声があがった。「外国人がサル肉の回し食いなど絶対にしない」と思っていたのを覆されたからだろう。こうなると、一気にその世界に溶け込むことができる。だが、溶け込みすぎて、カネをたかられたり、騙(だま)されたりもした。現地に溶け込むとは、食い、食われすることだから、しかたないのだが。
そうこうしているうちに辺境旅も三十年以上が過ぎ、いつの間にか莫大な数の奇食珍食が私の体を通過していた。正直言って、日本人でこれまで私ほどへんな食べ物を食べた人は何人もいないんじゃないかと思う。
週刊文春で連載を行う機会を得たので、「ヘンキョウ探検家 高野秀行のヘンな食べもの」と題して、今までの体験を書き綴ってみた。中にはこの連載のためにわざわざ取材して食べたものもある。おかげで生の虫とか口噛み酒みたいなへんなものまで飲み食いしてしまった。また、中には「これ、食べ物じゃないんじゃないか?」というものもあるが、「口から摂取するもの」は広く「食べ物」に含めるようにしたい。
注意してほしいのは、食事中に読まないこと。中には強烈な刺激を伴うものもある。最後に言い添えておくと、私は今でも胃腸が強くない。日本でも外国でもよく腹を壊して寝込んでいる。でも、それで食べることに手加減、いや腹加減はしない。ひどい下痢でも二、三日苦しめば、まず治るのだ。自分の知らない食の世界を知ることのほうがよせほど面白くてワクワクするのである。
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)