昨日、川崎市アートセンターで、ジャ・ジャンクー監督・脚本の2018年作品『帰れない二人』を観てきました。パンフレットに掲載されていた「ものがたり」と川本三郎さんの文章から、あらすじを構成してみると、
2001年、若い女・チャオと若い男・ビンの恋人たちの故郷である山西省の大同(ダートん)。ディスコでは、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」が流れ、男女が踊り狂う。日本のバブル経済期の狂乱を思わせる。 21世紀の初頭、中国社会は明らかに変貌している。頭は共産主義で、身体は資本主義という、ギリシャ神話の怪獣キメラのような大国が、世界のなかの巨大な異物として登場してきている。
ディスコ、社交ダンスが華やかさを競う一方、チャオの父親が働く炭鉱は、石炭から石油へのエネルギー転換によって立ちゆかなくなり、父親は職を失おうとしている。極端な経済成長は、必ず、成長の速度についてゆけない弱者を生み出す。「鉱山局は新疆(シンジャン)に移転するらしい。石油を掘れってことだ」。炭鉱の町である山西省に無職の者が増えてゆく。
チャオとビンは「渡世人」。平たく言えば、やくざだろうか。ビンは地上げの片棒を担いだり、雀荘などの遊技場を仕切ったりしている。ビンは仲間内からも一目置かれ、兄貴的存在だ。この仁義の世界で、義侠心を重んじながら、のし上がろうとしている。一方でチャオは、もっとささやかなビンとの幸せを夢見ていた。かたぎの生活者ではない二人は、急激に発展してゆく中国社会のなかで徐々に居場所がなくなってくる
「お前すごいんだろ! 冠くれてやるよ!」。ある夜、二人の乗った車が若いチンピラに囲まれ、ビンは襲われる。拳銃を持って車を出るチャオ。空に向かって威嚇射撃。響き渡る銃声にチンピラたちは動きを止めた。流れるのはサリー・イップの唄。
私は日々さすらっている
毎朝そして夜ごとに漂う心
共に歩む人がいてくれたら
私の心もさまよわない
この事件が元で、二人はそれぞれ逮捕される。たまたま拳銃を持っていてビンを助けたチャオのほうが、5年と刑期が長い。ビンのほうは1年ほどで出所したが、そのあとに出所したチャオを迎えには来なかった。
2006年、長江・三峡、奉節(フォンジェ)。二人の別離が始まる。チャオはビンを訪ね歩く。ビンのあとを追って、三峡ダムが作られている長江に行く。国家の大プロジェクトが進み、「2000年の町が、2年で沈む」現実を目のあたりにする。この長江の場面は、川の大きさ、航行する客船の巨大さ、そして破壊と建設の凄まじさに改めて中国社会の激変を感じさせる。「三峡ダムの水位が上昇します。数年後、三峡へ再訪する頃には、景色の一部は川底の遺産でしょう」。観光アナウンスが響く。
奉節の町でチャオは、船で同室になった女に金を盗まれる。最後には、女から取り返すが、一時は、腹を空かせ、路頭に迷う。詐欺までする。たくましいといえばたくましいが、アウトサイダーの彼女は次第に時代の速度に付いてゆけなくなっている。
チャオは奉節でビンに再会するが、ビンにはすでに新しい恋人がいることが分かり、身を引く。なにも持たなくなったビンは故郷の大同には帰れない、と言う。後ろ髪をひかれながらも、別れる二人。
大同と違い、多くの人が行き交う町・奉節。ダム建設のために訪れた人と住み慣れた町を去らねばならない人。港では人々が寂しげに佇む。「奉節から広東(グアンドン)へ移住する皆さん。あと30分で乗船です━━」。アナウンスが響く。
チャオは一人、新しい仕事を求めて西へ行こうとする。
経済成長の時代とは、人の移動の時代である。農村から大都市へ、職を求めて多くの人が移動する。旅というより、新しい居場所を探しての移動となる。
チャオは鉄道に乗って西へ、西へと移動する。そして汽車に乗り合わせた男に中国の最西部、新疆ウイグル自治区なら、すぐに仕事につけると聞き、チャオは乗り換えの武漢(ウーハン)から38時間かかる新疆のウルムチへ向かう。
夜。眠る男を置いて、汽車を降りるチャオ。
ここで心に残る幻想的な場面がある。
新疆に向かうチャオが夜汽車から降りて、見知らぬ夜の町を歩く。廃墟となった大きな建物がある。まるでUFOの基地のように見える。実際そこでは謎の飛行体を彼女は目撃する。
2017年。チャオとビンは再び、故郷の大同で再会し、いまは身体が不自由になったビンを、雀荘の女主人になったチャオが引き取る。女性のチャオはなんとか故郷に居場所を見つけたが、ビンは、最後、どこともなく去ってゆく。一人置いていかれて夜空の星を見上げるチャオ。場面は暗転し、映画は終わる。
叙情的ながら、それは決して安易なお涙頂戴的なものではなく、緊迫した画面からあふれでる叙情が感じられました。また映画の随所で見事なワンシーン・ワンカットが見られました。映画ファンの方なら必見の映画です。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
2001年、若い女・チャオと若い男・ビンの恋人たちの故郷である山西省の大同(ダートん)。ディスコでは、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」が流れ、男女が踊り狂う。日本のバブル経済期の狂乱を思わせる。 21世紀の初頭、中国社会は明らかに変貌している。頭は共産主義で、身体は資本主義という、ギリシャ神話の怪獣キメラのような大国が、世界のなかの巨大な異物として登場してきている。
ディスコ、社交ダンスが華やかさを競う一方、チャオの父親が働く炭鉱は、石炭から石油へのエネルギー転換によって立ちゆかなくなり、父親は職を失おうとしている。極端な経済成長は、必ず、成長の速度についてゆけない弱者を生み出す。「鉱山局は新疆(シンジャン)に移転するらしい。石油を掘れってことだ」。炭鉱の町である山西省に無職の者が増えてゆく。
チャオとビンは「渡世人」。平たく言えば、やくざだろうか。ビンは地上げの片棒を担いだり、雀荘などの遊技場を仕切ったりしている。ビンは仲間内からも一目置かれ、兄貴的存在だ。この仁義の世界で、義侠心を重んじながら、のし上がろうとしている。一方でチャオは、もっとささやかなビンとの幸せを夢見ていた。かたぎの生活者ではない二人は、急激に発展してゆく中国社会のなかで徐々に居場所がなくなってくる
「お前すごいんだろ! 冠くれてやるよ!」。ある夜、二人の乗った車が若いチンピラに囲まれ、ビンは襲われる。拳銃を持って車を出るチャオ。空に向かって威嚇射撃。響き渡る銃声にチンピラたちは動きを止めた。流れるのはサリー・イップの唄。
私は日々さすらっている
毎朝そして夜ごとに漂う心
共に歩む人がいてくれたら
私の心もさまよわない
この事件が元で、二人はそれぞれ逮捕される。たまたま拳銃を持っていてビンを助けたチャオのほうが、5年と刑期が長い。ビンのほうは1年ほどで出所したが、そのあとに出所したチャオを迎えには来なかった。
2006年、長江・三峡、奉節(フォンジェ)。二人の別離が始まる。チャオはビンを訪ね歩く。ビンのあとを追って、三峡ダムが作られている長江に行く。国家の大プロジェクトが進み、「2000年の町が、2年で沈む」現実を目のあたりにする。この長江の場面は、川の大きさ、航行する客船の巨大さ、そして破壊と建設の凄まじさに改めて中国社会の激変を感じさせる。「三峡ダムの水位が上昇します。数年後、三峡へ再訪する頃には、景色の一部は川底の遺産でしょう」。観光アナウンスが響く。
奉節の町でチャオは、船で同室になった女に金を盗まれる。最後には、女から取り返すが、一時は、腹を空かせ、路頭に迷う。詐欺までする。たくましいといえばたくましいが、アウトサイダーの彼女は次第に時代の速度に付いてゆけなくなっている。
チャオは奉節でビンに再会するが、ビンにはすでに新しい恋人がいることが分かり、身を引く。なにも持たなくなったビンは故郷の大同には帰れない、と言う。後ろ髪をひかれながらも、別れる二人。
大同と違い、多くの人が行き交う町・奉節。ダム建設のために訪れた人と住み慣れた町を去らねばならない人。港では人々が寂しげに佇む。「奉節から広東(グアンドン)へ移住する皆さん。あと30分で乗船です━━」。アナウンスが響く。
チャオは一人、新しい仕事を求めて西へ行こうとする。
経済成長の時代とは、人の移動の時代である。農村から大都市へ、職を求めて多くの人が移動する。旅というより、新しい居場所を探しての移動となる。
チャオは鉄道に乗って西へ、西へと移動する。そして汽車に乗り合わせた男に中国の最西部、新疆ウイグル自治区なら、すぐに仕事につけると聞き、チャオは乗り換えの武漢(ウーハン)から38時間かかる新疆のウルムチへ向かう。
夜。眠る男を置いて、汽車を降りるチャオ。
ここで心に残る幻想的な場面がある。
新疆に向かうチャオが夜汽車から降りて、見知らぬ夜の町を歩く。廃墟となった大きな建物がある。まるでUFOの基地のように見える。実際そこでは謎の飛行体を彼女は目撃する。
2017年。チャオとビンは再び、故郷の大同で再会し、いまは身体が不自由になったビンを、雀荘の女主人になったチャオが引き取る。女性のチャオはなんとか故郷に居場所を見つけたが、ビンは、最後、どこともなく去ってゆく。一人置いていかれて夜空の星を見上げるチャオ。場面は暗転し、映画は終わる。
叙情的ながら、それは決して安易なお涙頂戴的なものではなく、緊迫した画面からあふれでる叙情が感じられました。また映画の随所で見事なワンシーン・ワンカットが見られました。映画ファンの方なら必見の映画です。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)