gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

高野秀行『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』その3

2019-10-21 06:12:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

・エチオピアには茶道ならぬ「珈琲道(コーヒーどう)」なんてものもある。人類がコーヒーを飲む歴史はここから始まったとされているし、コーヒーノキの原産地の一つでもある。(後略)

・チュニジアも田舎の一般家庭は床にすわるのだ。

・ところがカート宴会に参加したら、最低でも三時間ぐらいは席を同じくする。日本の飲み会でも一時間程度で「今日はお先に」などと席を立ったら失礼な感じがするだろう。それと同じだ。
 長時間一緒にいるし、メルカン状態で何でも率直に話ができる。私はこのような宴会で、氏族の掟からイスラム過激派の内幕、さらには夫婦生活や浮気が妻にバレないための方策まで聞きまくった。

・食べれば多幸感と鮮やかな覚醒をもたらす中東・アフリカの植物「カート」。しかしこの嗜好品には恐るべき副作用がある。(中略)
 まず、食欲。(中略)
 もう一つは性欲。人によっては「すごくセックスがしたくなる」という。(後略)

・食欲も性欲も生じない“小市民体質”の私は、(中略)その日の宴会で仕入れた情報やソマリ語をメモ帳やノートに何時間も書いてまとめる。まだ十分に集中力があるので、楽にそのような作業ができるのだ。(中略)。だが、問題は宴会が盛り上がってカートを食べ過ぎてしまったとき。食欲・性欲の有無にかかわらず、不眠、不安、神経過敏といった副作用が出るのだ。(中略)まあ、たいていは何時間かして、疲れて寝入ってしまうのだが、翌朝はひどくだるい。(中略)こんなときに唯一最善の対応策はというと、まさに酒の二日酔いと同じ。前日の残りのカートを食うことなのだ。(後略)

・(前略)パキスタンの北部山岳地帯フンザで過ごした。正確にはインドと中国との国境が画定しておらず、パキスタンが「実効支配」している場所だ。(中略)
 来てみたら、あまりの美しさに絶句してしまった。白い雪を頂いた七千メートル級のカラコルム山脈、岩を削って怒涛のごとく流れるインダス川上流部、そしてその谷間にひっそりと緑豊かな村が佇んでいる。どこを切り取っても絶景というしかない。
 ここはかつてアジア大陸屈指の辺境地だっただけでなく、「桃源郷」としても名を馳せた。(中略)
 ところが9・11以降、状況は一変した。パキスタン全土が「危険地帯」と見なされ、外国からの旅行者は激減してしまった。

・フンザの住民は皆ムスリムだから、酒はご法度なのだが、実はこっそり造っている人がいて、愛飲する人も多いという。

・「ネワール族は水牛が好きです。生の肉も食べますよ」。

・タイは世界屈指の食文化大国。高級レストランでも屋台でも家庭でも、どこで食べても美味いのが特徴だ。そして買い食いやお土産の類いも充実している。(後略)

・(タイの)ローカルバスは今でもエアコンなど効いていない。(中略)はがれかかった高僧ポスター(タイでは有名なお坊さんのポスターが大好き)がパタパタはためいている。

・(タイは)世界でも最も昆虫食のバリエーションが多く、「昆虫食のメッカ」とも呼べる地域なのだが、(後略)。

・「世界で最も美味いビールのつまみ」と私が勝手に認定しているタイの食べ物がある。
 その名は「ネーム」。(後略)

・先生がお土産にビニールパックされた商品〈(株)あら与「ふぐの子ぬか漬」〉を一つくれたので、家に持ち帰って食べてみた。(中略)なるほど、これは酒のあてにもご飯の供にもよさそうだ。実際、熱々のご飯にこれを載せお湯をかけると、塩気とうま味がほどよくご飯に染み渡り、最高にうまい。

・日本の鯨肉の大半は、冷凍と解凍を繰り返したり、あまりに長く冷凍しすぎたりで、肉が劣化してしまっているらしい。

・今まで食べた肉でワニ(鮫)ほど不思議なものはない。(中略)第一の理由は調理法によって味や食感が極端に変わることだ。

・胎盤とは胎児の肝臓なのだ。

・(イラクに)実際に行ってみたら意外なことにグルメ大国だった。

・よく考えると、チョウザメは恐竜の時代から生きていた。世界的に稀な古代魚。もちろんワニもその時代から存在する。(後略)

・チーキョフテは羊生肉がヘンなだけではなかった。世界で最もウンコに見かけが似た料理だった。(後略)

・ペルーは南米でも屈指の面白い国だと思う。理由は多様性。乾燥した海岸部、標高が三千~四千メートルもあるアンデス山脈、そして熱帯雨林のアマゾンと、極端に異なる三つの地域があるうえ、先住民とスペイン系とアフリカ系がごっちゃになって暮らしている。(後略)

・町の人間でもベランダ園芸並みの気楽さで食用ネズミを飼育しているのだ。

 以上、あっと言う間に読めてしまう本でした。

P.S. 今日は映画監督フランソワ・トリュフォーの35回忌に当たる日です。改めて素晴らしい映画を数多く残してくれたことに感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

高野秀行『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』その2

2019-10-20 00:02:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

 次に目次を列挙していきたいと思います。
1、アフリカ(ゴリラを食った男の食浪漫)
  ジャングルでゴリラを食ったやつ
  “アフリカの京都”の生肉割烹と珈琲道
  サルの脳味噌、争奪戦
  砂漠のスーパー甘味“デーツ”
  イモムシにはご用心
  恍惚のアリ食
  肉質ムッチリ! ヘビーなラクダ肉
  ラクダの乳ぶっかけ飯
  天にも昇る心地の覚醒「カート宴会」
  ダメ人間たちの「迎えカート」
2、南アジア(怪魚、水牛、密造酒……爆発だ!)
  パキスタン桃源郷の密造酒
  快感! 羊の金玉と脳味噌のたたき
  ブータンのびっくり卵酒とタイの珍妙料理
  インドカレーの悲劇
  泣きっ面にワサビ
  楽しいワ族の宴会━━ヒエ酒は「ア」で飲め!
  世界遺産の真ん中で水牛の生肉を喰らう
  斬新すぎる水牛グルメ居酒屋
  水牛の脊髄ちゅるりん炒めに脊髄反射!
  「暴風味」が襲いかかる頭蓋丸ごと煮
3、東南アジア(思わずトリップするワンダーフード)
  花心香る竹もちは国境へ誘う
  昆虫調味料とタランチュラ
  タイの前衛的ワインと虫の缶詰
  赤アリ卵とタイ・ワインのマリアージュ
  ハッピー・ピザでアラーキーになる
  タイの爆発系(!?)ナマズ料理
  ナマズは本当に爆発していた!
  ベトナム戦争と大ナマズ
  美味さもジャイアント級のトムヤム!
  ミャンマー奥地の究極の粗食「モイック」
  絶品! 納豆バーニャカウダ
  激マズ! 怪しいインド人の納豆カレー
  元首狩り族の強烈「超絶納豆」
  イタリア人の卒倒!? 東北タイの「虫イタリアン」
  素材の味を生かしすぎな田んぼフーズ
  「世界最高のビールのつまみ」の意外すぎる正体
4、日本(猛毒フグの卵巣から古来のワニ料理まで)
  世界珍食一位? 猛毒フグの卵巣
  まるで道の肉、小泉先生の鯨
  猫を狂わす謎の食品「ちゅ~る」
  ニッポン古来のワニ料理
  ワニバーガーでわかったこと
  ワニ(鮫)はワニによく似ている
  熊本で食べた生のカタツムリ
5、東アジア(絶倫食材に悶絶した日々)
  世界最凶の屋内食ホンオ
  恐怖のスパークリング・エイ料理ホンオ
  上海人もビックリのゲテモノ喰い
  巨大ムカデと人類の叡智
  蛇肉は美味いのか問題
  “絶倫食材”は体内で蠢く
  個人的最大の恐怖!? ヒルに似た食べ物
  吸いつき方もヒルそっくりのタコ躍り食い
  缶ビールでアヒル肉を炒める「啤酒鴨」
  豚の生血の和え物
  トン族は「ヤギの糞のスープ」を食べる!?
  「糞」じゃなくて「××」のスープだった!!
  中国最凶の料理、胎盤餃子
  中国人も絶句して拒否した胎盤餃子
6、中東・ヨーロッパ(臭すぎてごめんなさい)
  イラクの不思議な国民的料理、「鯛の円盤焼き」
  メソポタミアの古代粘土板せんべい
  イラン版スッポンは「進化の味」
  犬が喜ぶ世界一くさいパーティ
  室町人も食べた? 世界で一番臭い魚
  コソボ・アルバニア人の異常なソウルフード
  時短料理ならぬ「時長」料理
  美形民族がこだわるトルコ極小餃子
  耳かき作業で作るシルクロード食
  酷暑には生の羊肉がよく似合う!?
7、南米(魔境へようこそ━━)
  辺境の最高峰、巨大魚ピラルクの漁師飯
  悪魔の(!?)カエル丸ごとジュース
  胃の中で跳ねるヒキガエルジュース
  アマゾン蛇の極上スープと炒め肉
  アンデス山脈にはコカ茶がよく似合う
  コカは実はアマゾンの覚醒植物だった!?
  アンデスのオーガニック・巨大ネズミ串焼き
  “標高高い系”のヘルシー・モルモット・ランチ
  インカ帝国の公式ドリンク「チチャ」の酸っぱい末路
  泡が決め手の辺境エナジードリンク
  華やかでやがて虚しきピスコサワー
  突っ込みどころ満載のアマゾン竹筒魚蒸し料理
  アマゾン竹筒料理 vs ミャンマーの究極ゲリラ飯
  泳がない鮟鱇? 南米の妖怪変化魚
  謎の原始酒「口噛み酒」を追え!
  昔は本当に処女が造っていた口噛み酒
  リアル“口噛み酒”の凄まじい迫力
  太平洋を渡った「口噛み酒」
  口噛み酒は「文明酒」だった!?
  時空を超える幻覚剤ヤヘイ
  ハンモックで「千年の旅」

以上が目次です。

最後にいくつか本文から抜粋しておきたいと思います。

・(前略)ここの人々は私たちが訪れる少し前まで、銃でなく槍でゴリラを狩っていた。
 村の人に聞いたやり方がまた凄い。ゴリラには決まった通り道があり、優れた狩人はその道を発見すると、大きな木の陰に隠れてひたすら待つという。そして、ゴリラが近づくと、パッと前に飛び出て手にした槍で突く……。もし一発で仕留められない場合、当然ゴリラは逆襲するだろう。その場合、狩人が勝てる見込みは少ない。(後略)

・エチオピアは三千年近い歴史を誇り、現存する世界最古の国家のひとつとして知られる。独自の伝統文化を誇り、他のアフリカ諸国とは全く雰囲気が異なる。ゆえに私は「アフリカの京都」と呼んでいる。

・親しい相手に「あ~ん」してあげるのはエチオピア人の中上流階級ではごく普通のマナーだという。

(また明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto


高野秀行『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』その1

2019-10-19 00:30:00 | ノンジャンル
 高野秀行さんの2018年作品『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』を読みました。
 まず、「はじめに」の全文を転載させていただくと、

 子供の頃から胃腸が弱く、好き嫌いも多かった。
 動物の内臓(モツ)や皮、キノコ(特にシイタケ)、香辛料の効いたもの、漬け物や外国のチーズなど、ちょっとでも見かけがグロテスクだったり、臭かったり、クセがあるものは全然受けつけなかった。
 それが一気に変わったのは大学探検部の遠征でアフリカ・コンゴへ行ったときだった。やむをえない事情から、サル、ゴリラ、ヘビなどの野生動物を片っ端から食べるはめになった。他に食糧がないから、食べないわけにはいかない。当時は毎日のように「こんなものも喰うのか」と驚いていた。
 でも、いざとなれば食べられてしまうし、けっこう美味(うま)かったりもする。
 これが人生における「食ビッグバン」となった。
 コンゴから帰ると、好き嫌いは一切消滅していた。シイタケやモツなど、毛がからまったチンパンジーの肉に比べたら鶏のささみのように素直な食品に思える。食の可動域が極端に広くなったのだ。
 もし関節の可動域が急に広がれば、誰もがいろいろなことを試してみるにちがいない。上海雑技団のように背中をそらせて足の間から顔を出してみたり、針金細工のように複雑なヨガのポーズをとってみたくなるだろう。
 同じことが私にも言えて、食の可動域が広がると、いろいろなものを食べてみたくなる。実際、辺境の地へ行くと、日本の都市部では考えられないような料理や酒が食卓にのぼる。
「こんなもの、喰うのか」とやっぱり驚くし、「ヤバいんじゃないか」とも思うが、現地の人たちが食べているのを見ると一緒に食べずにはいられない。食べてしまえば以外に美味いことが多い。すると、また食の可動域が広がった喜びに包まれる。
 感覚が「ヤバそうだけど食べてみよう」からやがて「ヤバそうだから食べてみよう」に変わっていく。人間、こうなると歯止めがきかない。
 だが、「なんでも食べられる」ことは実は私の仕事にとって欠かせないスキルでもある。
 環境や文化が全く異なる人たちのところへ行って溶け込むために最も大切なことは、その人たちと同じ生活をすることだ。つまり、同じものを同じように食べ、なるべく彼らの言語を話し、同じ場所で寝て、一緒に歌ったり踊ったりする。
 私たちだって、そうだろう。ナイジェリア人とかベルギー人がうちに来たとして、彼らが私たちと一緒に納豆や刺身をぱくぱく食べて「オイシイ!」と片言の日本語で言うのと、「ノー、そんなキモチワルイものは食べられない」と英語やフランス語で断り、遠目で眺めているのと、どちらが親近感を覚えるだろうか。答えは言うまでもない。
 ただ、いつもそれが良い結果を生むわけではない。
 コンゴに四回目に行ったときは長距離バスの中でサルの燻製肉がまわってきた。誰かが大きな固まり肉を持ってきて、まるで“みかん”か“せんべい”をお裾分けするかのように、車内の客に分けていたのだ。一人ずつガブッと噛みちぎっては隣の客に手渡す。
 私も躊躇(ちゅうちょ)なくそれを食べたところ、乗客の人たちから歓声があがった。「外国人がサル肉の回し食いなど絶対にしない」と思っていたのを覆されたからだろう。こうなると、一気にその世界に溶け込むことができる。だが、溶け込みすぎて、カネをたかられたり、騙(だま)されたりもした。現地に溶け込むとは、食い、食われすることだから、しかたないのだが。
 そうこうしているうちに辺境旅も三十年以上が過ぎ、いつの間にか莫大な数の奇食珍食が私の体を通過していた。正直言って、日本人でこれまで私ほどへんな食べ物を食べた人は何人もいないんじゃないかと思う。
 週刊文春で連載を行う機会を得たので、「ヘンキョウ探検家 高野秀行のヘンな食べもの」と題して、今までの体験を書き綴ってみた。中にはこの連載のためにわざわざ取材して食べたものもある。おかげで生の虫とか口噛み酒みたいなへんなものまで飲み食いしてしまった。また、中には「これ、食べ物じゃないんじゃないか?」というものもあるが、「口から摂取するもの」は広く「食べ物」に含めるようにしたい。
 注意してほしいのは、食事中に読まないこと。中には強烈な刺激を伴うものもある。最後に言い添えておくと、私は今でも胃腸が強くない。日本でも外国でもよく腹を壊して寝込んでいる。でも、それで食べることに手加減、いや腹加減はしない。ひどい下痢でも二、三日苦しめば、まず治るのだ。自分の知らない食の世界を知ることのほうがよせほど面白くてワクワクするのである。

(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

ジャ・ジャンクー監督『帰れない二人』

2019-10-18 00:43:00 | ノンジャンル
 昨日、川崎市アートセンターで、ジャ・ジャンクー監督・脚本の2018年作品『帰れない二人』を観てきました。パンフレットに掲載されていた「ものがたり」と川本三郎さんの文章から、あらすじを構成してみると、

 2001年、若い女・チャオと若い男・ビンの恋人たちの故郷である山西省の大同(ダートん)。ディスコでは、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」が流れ、男女が踊り狂う。日本のバブル経済期の狂乱を思わせる。 21世紀の初頭、中国社会は明らかに変貌している。頭は共産主義で、身体は資本主義という、ギリシャ神話の怪獣キメラのような大国が、世界のなかの巨大な異物として登場してきている。
 ディスコ、社交ダンスが華やかさを競う一方、チャオの父親が働く炭鉱は、石炭から石油へのエネルギー転換によって立ちゆかなくなり、父親は職を失おうとしている。極端な経済成長は、必ず、成長の速度についてゆけない弱者を生み出す。「鉱山局は新疆(シンジャン)に移転するらしい。石油を掘れってことだ」。炭鉱の町である山西省に無職の者が増えてゆく。
 チャオとビンは「渡世人」。平たく言えば、やくざだろうか。ビンは地上げの片棒を担いだり、雀荘などの遊技場を仕切ったりしている。ビンは仲間内からも一目置かれ、兄貴的存在だ。この仁義の世界で、義侠心を重んじながら、のし上がろうとしている。一方でチャオは、もっとささやかなビンとの幸せを夢見ていた。かたぎの生活者ではない二人は、急激に発展してゆく中国社会のなかで徐々に居場所がなくなってくる
「お前すごいんだろ! 冠くれてやるよ!」。ある夜、二人の乗った車が若いチンピラに囲まれ、ビンは襲われる。拳銃を持って車を出るチャオ。空に向かって威嚇射撃。響き渡る銃声にチンピラたちは動きを止めた。流れるのはサリー・イップの唄。

 私は日々さすらっている
 毎朝そして夜ごとに漂う心
 共に歩む人がいてくれたら
 私の心もさまよわない

 この事件が元で、二人はそれぞれ逮捕される。たまたま拳銃を持っていてビンを助けたチャオのほうが、5年と刑期が長い。ビンのほうは1年ほどで出所したが、そのあとに出所したチャオを迎えには来なかった。
 2006年、長江・三峡、奉節(フォンジェ)。二人の別離が始まる。チャオはビンを訪ね歩く。ビンのあとを追って、三峡ダムが作られている長江に行く。国家の大プロジェクトが進み、「2000年の町が、2年で沈む」現実を目のあたりにする。この長江の場面は、川の大きさ、航行する客船の巨大さ、そして破壊と建設の凄まじさに改めて中国社会の激変を感じさせる。「三峡ダムの水位が上昇します。数年後、三峡へ再訪する頃には、景色の一部は川底の遺産でしょう」。観光アナウンスが響く。
 奉節の町でチャオは、船で同室になった女に金を盗まれる。最後には、女から取り返すが、一時は、腹を空かせ、路頭に迷う。詐欺までする。たくましいといえばたくましいが、アウトサイダーの彼女は次第に時代の速度に付いてゆけなくなっている。
 チャオは奉節でビンに再会するが、ビンにはすでに新しい恋人がいることが分かり、身を引く。なにも持たなくなったビンは故郷の大同には帰れない、と言う。後ろ髪をひかれながらも、別れる二人。
 大同と違い、多くの人が行き交う町・奉節。ダム建設のために訪れた人と住み慣れた町を去らねばならない人。港では人々が寂しげに佇む。「奉節から広東(グアンドン)へ移住する皆さん。あと30分で乗船です━━」。アナウンスが響く。
チャオは一人、新しい仕事を求めて西へ行こうとする。
 経済成長の時代とは、人の移動の時代である。農村から大都市へ、職を求めて多くの人が移動する。旅というより、新しい居場所を探しての移動となる。
 チャオは鉄道に乗って西へ、西へと移動する。そして汽車に乗り合わせた男に中国の最西部、新疆ウイグル自治区なら、すぐに仕事につけると聞き、チャオは乗り換えの武漢(ウーハン)から38時間かかる新疆のウルムチへ向かう。
 夜。眠る男を置いて、汽車を降りるチャオ。
ここで心に残る幻想的な場面がある。
 新疆に向かうチャオが夜汽車から降りて、見知らぬ夜の町を歩く。廃墟となった大きな建物がある。まるでUFOの基地のように見える。実際そこでは謎の飛行体を彼女は目撃する。
 2017年。チャオとビンは再び、故郷の大同で再会し、いまは身体が不自由になったビンを、雀荘の女主人になったチャオが引き取る。女性のチャオはなんとか故郷に居場所を見つけたが、ビンは、最後、どこともなく去ってゆく。一人置いていかれて夜空の星を見上げるチャオ。場面は暗転し、映画は終わる。

 叙情的ながら、それは決して安易なお涙頂戴的なものではなく、緊迫した画面からあふれでる叙情が感じられました。また映画の随所で見事なワンシーン・ワンカットが見られました。映画ファンの方なら必見の映画です。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

斎藤美奈子さんのコラム・その43&前川喜平さんのコラム・その5

2019-10-17 01:03:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず10月9日に掲載された「ヨイショの時代」と題された斎藤さんのコラム。その全文を転載させていただくと、
「百田尚樹『夏の騎士』について、新潮社がツイッター上ではじめたキャンペーンが二日で頓挫した。「読書がすんだらヨイショせよ」「ほめちぎる読書感想文をツイートすると、図書カードが当たる」。なんておバカなプロモーション。
 『夏の騎士』は小学六年生の男子三人組を主役にした児童文学テイストの作品である。舞台は昭和最後の夏というから1988年。勉強も運動もダメな男子三人が秘密基地をつくって「騎士団」を結成し、中世の騎士にならってクラス一の美少女・有村由布子を守ると誓う。彼女は優等生が受験する全国模擬試験で県内百位以内に入ることを彼らに課し、三人は猛勉強をはじめるが…。
 ま、往年の人気シリーズ、那須正幹『ズッコケ三人組』の焼き直し感は否めない。人物像はどこか既視感のある話のパッチワークだし、女子の描き方にも疑問が残る。ただ、何が受けるかはわかってるよね。作者が百田尚樹でなければ、それなりに評価されただろう。
 でもね、「ヨイショせよ」といわれた途端に萎えるわけ。ヨイショとは内容や評価にかかわらず、作品をほめる、批評の対極にある行為である。それを要求するのは自殺行為だ。すでにアマゾンでは、『夏の騎士』に四百以上のレビューがつき、八割以上が星五つ。ヨイショは十分されてるやんけ。」

 また、10月16日に掲載された、「防衛と防災」と題された斎藤さんのコラム。
「大勢の人の命がいっぺんに奪われ、生活が破壊されるといえば、戦争と自然災害だ。
 戦後七十数年、ひとまず日本は(国内での)戦争は経験しないできた。その一方でこの国は、ほぼ毎年、なんらかの大災害に遭遇している。2011年の東日本大震災以降だけでも、激甚災害に指定された災害は三十件近い。その大部分は梅雨前線や台風による暴風雨と豪雨である。
 国の最大の責務が「国民の生命と財産を守ること」であるなら、国防以上に防災、他国からの攻撃よりも南の海から列島めがけてやってくる台風への備えが重要であるはずである。しかるに予算配分はどうか。19年度の防衛予算は過去最高の5兆二千六百億円。防災・減災・国土強靭(きょうじん)化対策を含む防災関係予算は一兆三千五百億円、前年度の補正予算をあわせても二兆四千億円だ。防衛予算のたった半分。これ、逆じゃありません?
 九月の台風15号に続いて東日本一帯を直撃した台風19号は「想定外の」「今まで経験したことのない」といった形容がもう通用しないことを示した。戦争は外交努力で回避もできるが、自然災害は避けられない。災害大国であることを思えば、防衛省を防災省に、自衛隊を災害救助中心の隊に再編したっていいくらいである。国際貢献も災害支援に特化させれば、それが最大の安全保障になる。」

 そして10月13日に掲載された、前川喜平さんによる「首相所信の教育政策」。
「十月四日の所信表明で安倍首相が語った教育政策を検証してみよう。
 幼児教育・保育の無償化については「小学校、中学校九年間の普通教育無償化以来、七十年ぶりの大改革です」と豪語したが、それを言うなら「民主党政権の高校無償化以来九年ぶり」だろう。
 「国難とも呼ぶべき少子化に真正面から立ち向かってまいります」と壮語したが、四年前にも同じような台詞(せりふ)を聞いた。
 2015年9月に安倍首相が打ち出した「新三本の矢」。その「第二の矢」は「希望出生率1.8の実現」だった。その時彼は「少子高齢化の問題に、私は、真正面から挑戦したいと考えています」と断言した。しかしあれから出生率は下がりっぱなし。15年は1.45だったが、18年は1.42だ。この矢は四年間、的とは逆の方向に飛んでいるのだろう。
 さらに、「一億総活躍社会の完成」に向けて「果敢に挑戦する」改革として「多様な学び」を挙げたが、具体的な中身については何も語っていない。
 最後に「教育」という言葉をもう一回、口にした。教育を改革して「新しい国創り」を進めるための「道しるべ」が憲法だというのだ。それなら、まずは今の憲法を「道しるべ」に、歴史教育や道徳教育への不当な支配をやめ、平和教育や人権教育を進めるべきだろう。」

 どの文章も大変勉強になりました。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto