名古屋市の市立小学校で5年生の授業中、過激派組織「イスラム国」によって殺害されたとみられる日本人男性の遺体の画像を、児童36人に見せていたことが分かった。
名古屋市教委などによると、3日午後の社会科授業で担任教諭が「イスラム国」とみられるグループがインターネット上に公開した映像の一部を加工し、教材として使用した。「情報を生かす私たち」をテーマにした授業で、静止画像2枚を教室のテレビに映し出した。
見せたのは、湯川遥菜(はるな)さん(42)とみられる遺体と、同じく拘束されていた後藤健二さん(47)とみられる男性が黒ずくめの覆面姿の男の前でひざまずかされた様子。ぼかしなどの修整はしていなかった。教諭は事前に「見たくない人は見なくていい」と説明し、授業後に体調を崩した児童はいなかったという。
小学校の近くの住民からは「小さい子どもがいるが、将来、そんな学校に入学させるのは不安」と疑問視する声も上がっている。
市教委は「今後、学校に指導する」と説明。同校の校長は「子どもに見せたのは不適切だった。今後、子どもや保護者に説明する」と釈明した。
(中日新聞より)
この記事のほぼ同じ内容が、テレビのニュースや報道で報道されている。
子供に悲惨な画像をみせるべきでない。この教諭は間違っている。
こうした意見を言うコメンテーターが多い。
この教諭は本当に間違っているのか?
詳しい情報が入手できていない状態で私が意見を言うのは中途半端かもしれないけれども、
悲惨なもの、残虐なものを子供に見せないというのは間違っている。なぜならば、現実に、人が殺されたり、災害で亡くなったりしているのであるなら、事実として受け止めてきちんと認識しなくてはいけないからだ。広島では、小学校で、平和学習を行う。命の尊さ、平和のすばらしさを、年齢に応じて、いろいろな角度から学ぶ。子供たちが一番ショックをうけるのは、原爆資料館の等身大のジオラマや遺品、ケロイドの写真を見たときである。そして語り部の悲惨な話もかなりショックを受ける。子供にはとてもつらい経験である。ショックで夜眠れない子供や、トラウマになる子供もいる。でもあえて、それを行うのは、生きていることの大切さや、家族や友達と平和に過ごすことのありがたさを理解できるからである。
名古屋の教諭の真の目的は少ない情報ではわからないけれど、学校という閉鎖的な環境で、あえて難しいテーマにチャレンジして、授業を行ったのには相当の覚悟があったのではないだろうか?デリケートに扱うべき資料をあえて使うというのは、自分の保身を大事にする教諭なら絶対にしないとおもうし、それが子供に大切なことであっても、オブラートに包んでしまうであろう。だから私はこの教諭は、責めないでほしいと思う。もちろんやり方はもっと良い方法があったかもしれない。親子で考えて家で議論する方法だってあったかもしれない。お互いの思いを理解し合える社会であってほしい。
いつものことだけど、一個人を、よってたかって避難するのは見苦しい。