マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

江戸時代の行幸について

2018-09-04 10:00:30 | ぼやき日記

京都の続きです。

細見美術館では、徳川家光の時の御水尾天皇行幸の様子を描いた屏風が素晴らしかったです。上の列が、堀川通を二条城に向かう天皇のご様子、下の列は御所に天皇をお迎えするために向かう、将軍と諸大名の様子が、沿道の観衆とともに描かれていました。

当時、秀忠の娘和子が中宮として入内し、徳川家は天皇の外戚として力を持ち、天皇の権力を抑えようと動いておりましたので、天皇と徳川家の関係は決して良好とは言えませんでした。

二条城を天皇をお迎えするために改修し、行幸は実現しました。

行幸は、天皇の外出のことです。行幸については、武家諸法度が制定されてからは、天皇が勝手に行うことはできませんでした。なんと1651年の後光明天皇による朝覲行幸以後、1863年の孝明天皇による上賀茂神社、下鴨神社行幸まで200年以上も行われなかったと後で調べてわかりました。

知らないことばかりで驚いています。

 

夜は三人で京都のおばん菜を堪能し、ゲストハウスに泊まりました。

 

一階がカフェになっていて、とてもリーズナブルな価格です。9割以上が外国人。長期滞在者ように、共有のリビングルームとキッチンがあります。一階のカフェは、ほとんどが相席のテーブルで、他のグループの人とも自然に会話ができます。個性的な人ばかりで楽しかったです。

泊まる部屋には、ベッドと寝具だけ備えてあり、テレビなどはありません。

〝テレビがないね〟

私が言うと、マダムKさんが

〝私が、テレビの代わりをするわよ、なんなら四角の枠を作ってくれたら中に入ってずっと喋るから、大丈夫〟

恐れ入りました。おっしゃる通り、会話は弾み、テレビなど全く必要はありませんでした。

 

実りある京都の小旅行。また行きたいです。

 

 

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ゆき と すき

2018-09-04 04:15:08 | ぼやき日記

来年は、即位の礼・大嘗祭が行われます。それに合わせて、京都の細見美術館と京都市立美術館で、「京都の御大礼-即位礼・大嘗祭と宮廷文化のみやび-」展が開催されています。このブログでおなじみのマダムKさんに誘われて、そのお友達と三人で京都に行って来ました。

細見美術館では、江戸時代以降の「御大礼」(即位礼と大嘗祭)を伝える貴重な史料、絵図、絵巻、屛風等々を展示されていました。

大嘗祭の様子を書いた屏風が展示されていました。

大嘗祭は、天皇の即位の時に行われる式として古くから行われているものです。朝廷が窮乏し、京都が戦乱に巻き込まれた室町から江戸までの間の二百年以上もの間は行われておりませんでした。

復活したのは東山天皇以降になります。

大嘗祭の前には、様々な準備が行われるわけですが、

興味深かったのは、大嘗祭に供える稲を出す斎田を選ぶため、亀卜(ウミガメの甲羅でできている)を焼くことによって、京都の東の悠紀(ゆき)・西の主基(すき)の国を決めるのです。

この二つの国は、宇多天皇からは悠紀は近江、主基は丹波か備中のどちらかで卜定され斎国と決められたようです。

明治以降の大嘗祭は、毎回違う地域になっております。ちなみに平成の時は、悠紀が秋田県五条目町(羽後国)、主基は大分県玖珠町(豊後国)とされました。


ゆきとすき、まだまだ知らないことがたくさんあるわあ。でも、私たち、来年の悠紀(ゆき)・主基(すき)が発表されたら、ああそうなったのね、なんて、大昔から知っていたように言いそう

三人で笑いました。

さて、どこに決まるのでしょうか?

最後に牛車の画像です

私は初めて本物を見ました。牛車には種類はいくつかあります。これは屋根が唐式、身分の高い人用のものです。

勉強になりました。


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