[レビュー]祖国が与えたのは「死刑宣告」だった…
在日朝鮮人、二重差別の歴史
最近アップルTVプラスで放映された米ドラマ『パチンコ』の登場人物たちのように、日帝の植民地時代に朝鮮での窮乏生活から抜け出すために日本に移住した人の規模は200万人に達する。1945年の解放後、故国に帰ってきた人も多かった。しかし、米軍政が日本でなした財産を帰国時に一定額以上持ち出すことを禁止したことで、あるいは他の様々な理由で、やむを得ず日本に残って生活を続けた人々もいる。ドキュメンタリー『私は朝鮮人です』(2020、キム・チョルミン監督)は、在日朝鮮人が日本での差別に耐え、民族アイデンティティを守るために努力してきた76年の歴史を発掘している。同時に、韓国社会が在日朝鮮人をどれほど残酷なやり方で排斥したのかも照らし出す。
2002年から在日朝鮮人たちと交流してきた監督は、なぜ彼らが朝鮮学校を建てたのかに焦点を当てることからドキュメンタリーを始める。解放直後、在日朝鮮人たちは、朝鮮半島が完全な独立国家になって帰国するまで朝鮮語と文化を忘れないようにするために、学校を建てる運動を行った。当時、600あまりの朝鮮小学校が在日朝鮮人の血と汗のしみついたお金で建てられ、そのおかげで多くの子どもたちは自らのアイデンティティを守ることができた。だが1960~70年代の日本において、在日朝鮮人として差別を受けずに生きていく方法はほとんどなかった。大学を出たとしても企業に就職できなかったため、将来設計には大きな制約があった。そのため、一部の青年たちは新たに自分のアイデンティティを見出し、夢と希望を実現するために、韓国留学という選択肢を選びもした。
しかし、朴正煕(パク・チョンヒ)政権は、彼らの一部を逮捕、拷問し、虚偽の自白を引き出して北朝鮮のスパイに仕立ててしまう。ドキュメンタリー出演者のイ・チョルさん、イ・ドンソクさん、カン・ジョンホンさんは、まさにそのような人々だ。イ・チョルさんは結婚式を1週間後に控えていたが死刑宣告を受け、カン・ジョンホンさんもソウル大学医学部在学中に死刑宣告を受ける。イ・チョルさんの父親は息子が死刑宣告を受けたショックで、53歳の若さで生涯を終える。在日本朝鮮人総連合会(総連)ではなく、在日本大韓民国居留民団(現在日本大韓民国民団)で熱烈に反共を叫んでいた父親にとって、息子の事件は大きな衝撃だった。カン・ジョンホンさんは、スパイの生存は許容できないとする裁判所の宣告を聞いて、ショックよりもやるせなさを感じたという。差別と偏見を逃れてやって来た祖国であるにもかかわらず、その祖国が自分を生かすことはできないと宣告するのを聞いたからだ。そのアイロニーに、観客は言葉を失う。
祖国から拒絶された人々だが、彼らは最後まで自らの人生を愛し、アイデンティティを捨てない。差別されない権利のために日本で闘い、統一のための活動もやめない。分断という状況の中で最も大きな被害を受けてきた人々こそ在日朝鮮人だろうと述べる出演者のキム・チャンオさんの言葉のように、彼らは分断によって二重の差別を受けてきた。
カン・ジョンホンさんは刑務所で13年を過ごし、釈放後は誰よりも幸せに生きていくと決心する。自分のアイデンティティを見出すために直面した試練はあまりに大きく、二重の差別も依然としてあるが、怒っても憎悪しない人生を生きると語る彼の姿が崇高に感じられる。誰しも自らのアイデンティティを守りながら生きていく権利がある。この映画は、その権利が侵害されず差別もされない社会を作り出すことは、在日朝鮮人問題を越えた重要な社会的議題だということを切実に語りかけている。