どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

飲み屋の噺

2005年02月11日 | 日記
酒飲みの私だが 会社の帰りに一人で飲むということはない

従って 格別いきつけの店は無い

誘われれば滅多に断らないから 会社の近くに何軒か 時々仲間と行く店があるだけだ

だが昔は Wという学生街に3軒あった

親元を離れてみたいという理由で 姉と家を出たことがある

この街にしたのは ここの大学の学生だったからで 良く知った街だったからだ

独立したいと言った時 父は この家の何が気に入らないのだ と言った

小さなコブが出来た

さて この街に住むことを知った知人が ある一軒のお店を教えてくれた

そこは お母さんと呼ばれる当時60代の女性が 御主人亡き後 一人できりもりしていた

W通りからは 少し住宅地に入ったところで 学生の騒音からは隔離されていた   

当然 お客はほとんど常連客で占められていた

私たちは 彼の知り合いということで すぐに常連の仲間入りを果たすことができた

10歳ほど年上の 美大出の素敵な女性がいた

美人と言うわけではないし ほとんどスッピンだったが 生き生きしていた

離婚後小さな会社を作り 忙しそうだったが 充実した彼女の人生を感じた

知人の彼とこの女性とは 若い頃からの友達だそうで この店のお母さんは当時の彼等を良く知っていた

青春を謳歌した 馬鹿も沢山やった 団塊の世代

その店には 自衛隊をリタイヤして さる会社に再就職しているおやじさんもいた

明るいセクハラも ここで洗礼を受けた

ある省庁の独身寮があり そこの人たちも来ていた

私はそのうちの一人が気に入り 密かに姉の結婚相手にと狙っていた

彼も姉のことを気に入っている様子だったから

ややシニカルなジョークを飛ばす頭のいい男性がいた

とある会社の研究員だった

彼とはダジャレの言い合いに戯れた

ある日 というか夜 この店を教えてくれた彼が 3階の私たちの部屋に向かって叫んでいる

それは 今までにも何度もあったことで 酔っ払った帰り道 そうやって下から声をかけてくれていたのだ

だが その日は話があるから降りて来いという

この頭脳明晰な研究員が 電車に轢かれて亡くなったということだった

おそらく自殺

それしか考えられなかったが 遺書はなかった

その夜は 彼を偲ぶ会となった

あとで彼とあの素敵な女性との間に 恋愛感情があったことを知った

店では そんなそぶりは全く見せなかったが

まだまだ精神的に幼かった私が ようやく大人の世界に足を踏み入れた

そんな頃のお話

後日談

姉は学生時代の友達と結婚し さっさと東京を出てしまった

父との間のコブは けっこう気になっていたのだが

母の葬儀の折 最初は捨てられた様な気分だったが 二人の生活は新婚時代に戻ったようで愉しかった だと

それ もっと早く言ってよって 喉元まで出掛かった

で 他の飲み屋の噺はまた別の機会に

コメント
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