どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

伝達手段

2005年05月12日 | 日記
文字はまぎれもなく意思の伝達手段である

楔文字であろうと象形文字であろうと 伝わることに意義がある

手紙の最後にハートマークがあれば 誰でも好きですよと言っていると判る

これを心筋梗塞の印だとか トランプのハートだと思う人は…余程の人だろう

我社のお坊ちゃま社長 悪筆!かなりの…

ミミズがのたくった様な なんていう形容は当てはまらない

ミミズが七転八倒して 因数分解して 化学反応をおこしたような文字だ

これでも一応六大学出身!よく卒業できたものだと感心

本人も承知していて 代筆を頼むくらい

ホワイトボードに書く文字…これが判別不能

社員はひたすら推測する 暗号を解く気分

何処が偏で 何処が旁かも判らない

時々 カタカナか平仮名か漢字なのかも判らないことも

父親の前社長が 恥ずかしいからこんなボードはやめろと言うくらいだ

勿論父親も解読不能だ

ところが私 読めるようになった!

推測の域は出ないが 凡その事はわかるようになった

こんな事が判っても何の得も無いし それどころか 暗号解読人として質問されるばかりだが

けれどもこの判読には 日頃の会話という伝達手段が功を奏していることは確か

目は口ほどに物を言うこともあれば 口に出さねば判らない事もある

文字にしたところで 誤解も曲解も生まれる事もある

言葉の定義そのものが違うことさえある

まこと意思の伝達は難しいものだ

それにしても もう少しマシな字を書いてくれないかな~

せめてミミズがのたくっている程度の字を
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軽量級 飄々と生きる?

2005年05月12日 | 日記
几帳面とは違うと思うが 私は紙幣を財布に収める時 向きを揃える

そして手前が野口さん 次が樋口さん そして福沢さんと並べる

皆が一列になって前を向いているというわけ

三つ子だったり四つ子だったり 時には十子だったりするが

後ろを向いたり 逆立ちしてる奴はいない

昨日そんな話になった時 私もと言う人と そんなこと全く気にしないと言う人に分かれた

お札もコインもきたない物から使うと言う人もいて…実は私もだ

どうでもいいような細かいことに妙に拘ってしまう

これって皆何かしらあるだろうと思うが

そういえば会社のトイレだが トイレット・ペーパーのホルダーが2巻き並べて入れられるようになっている

私の頭の中では当然少ない方から使って もう1巻きは予備の感覚なのだが

そう考えない人もいるようで 両方が何となく減っていく

これが気になって仕方が無い

もう病気の域かもしれないが 何とも気持ち悪い

気にするのは勝手であり 気にする方が損だとは思うが これも仕方ない

ある日 同好の士かと思って一人の女性に話したら え~ そこまでは…と笑われた

拘る事が少ない方がいいね

自分にも拘らずに飄々と軽々生きていけたらと思ってしまった

軽量級ゆえ また単細胞ゆえ 身体と頭は軽いのだけれどね
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