どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

行ってきました 高島野十郎展 番外編

2006年06月11日 | 日記
話題の蝋燭の絵である

彼の作品の最後を飾るコーナーに それはあった

どれも小品である

暗がりの一角には まさに朗々と燃え立つような炎が幾つか見える

だが それは照明の力によるものだった

どの絵にもスポットライトが当たるように演出されている

絵に近寄って 手をかざす

私の手の影が 絵に映る

可笑しいではないか

確かに効果的ではあった

しかし私は 演出された物と感じた

観客を愚弄しているとも感じた

まさしく薀蓄を述べて回る彼らと同様なお節介であった

写実的な絵を 古い技法と時に揶揄されながらも描き続けた彼の精神に反するのじゃないかと思った

私の精神が対峙しようと心密かに願った事が 裏切られた想いだった

これがとても残念だった

でも これから見ようと思う人が万が一にでもいらしたら

是非 足をお運びください

どう感じようと それは貴方の自由

感受性もまた個性ですから

ネットでチケットの割引券が手に入ります

私は是で 120円浮かしました

以上が 報告です

では 新たなる一週間を元気にお過ごし下さい 
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行ってきました 高島野十郎展 vol.3

2006年06月11日 | 日記
私は言うまでもなく 凡庸な素人の目でしか絵画を鑑賞できない

私が全くの偶然で 是まで気にも留めなかった久世さんの本を手にし

その直後に高島野十郎を知り その絵に関して語る久世さんの一文に触れたこと

こういった偶然は しかし偶然と一蹴出来ない物も感じる

必然なのか縁なのかは計り知れないところだが 今までにも何度かこういう経験をしてきている

という訳で 何かに背中を押されるような気持ちで出かけたのだ

三鷹は昔 アルバイトで1ヶ月程通ったことがあった

仕事の内容はすっかり忘れている

アンケートの集計だったか…

年上の日比谷高校出身の女性がいて 話も面白かった

可愛がってもらったし 住所も交換したような記憶もあるのだが いつの間にか疎遠になった

それ以来だった

当然だが すっかり変わっていた

さて 本題だが…私は当初… 

画壇と全く無縁になることが小生の研究と精進です 

という彼の言葉に いささか孤立した印象を抱いていた

そうではなかった

彼の絵に向かう態度は 求道者の様というか 思索の昇華として絵画の道を選んだ その様に感じた

写実といえば確かに写実である

だが 写実を超えて尚 存在を存在たらしめている物 ただ其処にあるという事実 

それを描こうとしたように感じた

それが彼の言う慈悲かどうかは判らない

絵は 技法や 構図の面白さや 色彩の美や テーマのユニークさや 単に好き嫌いや 色々な鑑賞がある

ヨーロッパの宗教画が私にはてんで面白くないのは その下敷きが全く無いためだろう

モネの 睡蓮 は おそらく誰が見ても感動する美しい絵に違いない

多くの人が 時代と人種を超えて共通に持ちうるだろうと思う美の世界がある

野十郎の すいれんの池 にしても 絶筆となった 睡蓮 にしても そういう絵では無い

だが 確かに惹きつけられるものがある

菜の花 にしても 一面黄色だ

遠くに人家の屋根が微かに見え それが奥行きを想像させる

その一面の黄色の中に 小さなモンシロチョウの白が二つ

花の茎はすっくと地面から伸び 実に美しい

友達へ送る絵葉書には この絵を選んだ

写実が単なる写実ならば それはボタニカル・アートである

写真はその一瞬を切り取りながらも 時間を超越した物語を語る

写実は 見るものと見られるものといった関係をも超越した 永遠で純粋な存在自体を語るものかもしれない

さて 野十郎といえば蝋燭の絵だが これは番外編で書くつもりだ

ちょとだけね…吼えたくなったもので
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行ってきました 高島野十郎展 vol.2

2006年06月11日 | 日記
また梅雨空に戻った

昨日出かけた高島野十郎展は 初日だったが空いていた

そこで面白い事があった

二人の男性が ごちゃごちゃと話しながら鑑賞しているのだ

少々知識があるらしい 薀蓄を語っている

耳がダンボにもなり うるさいなぁ~とも思う

どういう人達かは判らない

当時のヨーロッパでは この技法がなんとか…といった専門的な事を話している

学校の先生か 評論家か 画商か 単なる日曜画家か それは判らない

だが 小さな会場で入場者も多くないから 耳障りである

いっそ大声で説明して欲しかったなぁ 

まだ その方が面白い

ある絵の前で これは酷いなぁ~と言ってる

どうやら 彼の絵では無いといった口調だった

私の後方なので どれどれ といって覗き込むような真似は出来ない

どの絵なんだろう 気になるなぁ~

全て見た後 彼らの立っていた辺りに目星をつけて もう一周することにした

そか この絵か

真偽の程は判らないが 私が感動した絵では無かった

よほど大きな展覧会でも無い限り 美術館の客は 大抵一人か二人連れが多い

鑑賞のスタンスや感動の場所は人それぞれであり 皆 自分の世界を持って絵を見に来ている

その空間に解説は必要ないし 欲しければ後でも手に入る

人が描き上げた作品そのものと対峙したくて わざわざ美術館に足を運ぶのだ

自分が感動している瞬間に 隣でこれは駄作だねなんて したり顔で言われたとしたら…

私なら蹴飛ばしてやりたくなるだろう 大きなお世話だと

こそこそっと話し 解説はその場を離れてからにして欲しかったな

そんなに詳しいのなら 後でだって忘れることなく十分に話せただろうしね 

で 肝心の一体どんな絵だったのかっていうのは 続きを…

まずは朝食!
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