どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

頑張れる源

2009年06月19日 | 日記
家に帰るとまず 木戸の鍵を開ける

次にするのは ポストから何やら取り出す事

何やらというのは 郵便物と共に放り込まれる数々のものが多いからだ

実際 そちらの方が多いこともよくある

食事のデリバリーから様々な修理請負の広告 

マンションを買わないかというのもあれば 土地を売れ アパート経営はどうだ

墓地は要らないか 宗教に凝ってみる気はないか

各種議員に立候補しようという人のメッセージ

それらは見ることもなく ゴミ箱行きとなる


今日 郵便物の中に 姉からの封書があった

姉が嫁いで以来 私は何通の手紙を送ったことか

それに対して 私は片手にもあまるほどの返事しか受け取ってはいない

だが 姉が筆不精なことは勿論知っていたから 不愉快に思ったことは一度も無かった

私は 日常のあれこれ 親のこと この町の様子 そんなことを伝えるだけで良かったし

姉がそれをどんな風に読んだかはわからないが 故郷や家族との絆を感じてくれていただろうと推測する


今でも 携帯にしろ パソコンにしろ メールはほとんど皆無だし 電話で話すことも滅多に無い

姉妹としては 珍しいかもしれないが だがそれは 誰よりも信頼し 一番の心のよりどころでありながら 

決して甘えてはいけないという 我が家の空気によるものであると私は感じている

そして 私は この感覚が気に入っている


姉からの封書には 先月依頼した書類が同封されていた

姉らしい短い手紙には 遅くなったことを詫びる言葉と共に 手続きをお願いします と

僅かな財産で 僅かな財産だからこそなのか 裁判沙汰にまでなった人も知っている

私は確かに親と共に暮らし その親が病気になった時はそれなりの事もしたが だからといって親の面倒をみたとは

口が裂けても言えない科白


この土地や家屋を私のものにしたからといって それは私一人の財産になったということではない

それでも 寡婦となってまだ学生の甥を抱えている姉には 一抹の後ろめたさを感じてしまう

父が亡くなる前 まさか義兄が亡くなるとは思ってもいなかった父は 全てお前に任せる

だけど 姉にも少しは分けてやってくれ

喧嘩はするなよ と言い残した


言われなくともそうするつもりだ

だが 何も見えない将来のこと

これがちょっぴり重荷でもあり だけど もしかしたら これが頑張れる源かもしれない と思ったりしている
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一週間

2009年06月17日 | 日記
月曜から金曜までをフルタイムで働く人のすべてがそうかもしれないが 日曜の夜は何となくブルーになる

社内一番の若者で しかもイケメンの彼が TVの「サザエさん」が終わるとそんな気分になると^^

バカじゃないのに不器用で 空気の読めない穏やかな彼でもそう思うのかって 笑えた


月曜の朝は また始まったなと思い 次第に労働者モードにシフトする

今日のような水曜日は 山を上りきったような気分で あとは下るだけ

だが 山登りは実は下りこそが難しいのだ

そうして木曜が終わると 里の灯りが見え始めたような気持ちになる

で ラブリーな金曜日がやってくるというわけ

私だけだろうか 誰もがそうなのだろうか
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留守番犬

2009年06月15日 | 日記
親と暮らしていたからといって 親に甘えていたつもりはなかった

洗濯も自分でしていたし 食事も自分で買い物をして 作りもした

掃除も無論ゴミ出しにいたるまで 自分の部屋や生活のことはほとんど全て


母がまだ元気だった頃 言えばやっておくのにという提案も断って 極力自分の事は自分でやるようにしていたのだ

それは 親はいつまでもいない といういつか来る現実に自分を慣れさせておくためでもあったし

何より それは大人としてごく当たり前のことだと思っていた


それでも バスやトイレやキッチンの掃除 庭の手入れ そういったことはほとんど親まかせだった

母の病がわかってからは 私も一部を負担するようになったが それでも大したことではなかった


父も亡くなって一人になってから 家に居て守ってくれる人が どれほどありがたいものかと 心底感じた


家に空気を入れ 夕方には朝開けたカーテンを閉めてくれ 夏の外出で急の夕立が来ても 窓を閉めてくれる

宅急便を受け取ってもくれるし 鍵を閉めて家を出ることもない

庭のことは 更なり^^


一人で暮らすことが寂しいわけでもないし 困っているわけでもない

ただ 自分のことは概ね自分でやっていると当時思っていたことは 実はその半分にしか過ぎなかった

それを しかと悟った


番犬ではなく 留守番犬というものが欲しいと最近思う

窓やカーテンの開け閉め 郵便物の受け取り 庭の草取りなんかやってくれる 介護犬のような犬

親を犬扱いする気か っていう声が聞こえそうな気がしないでもないけどね
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読書感想二話

2009年06月13日 | 日記
通勤電車は満員 平日は雑用と食事と飲むのに追われる日々ゆえ 読書は就寝前の僅かな時間か週末に限られる

そんな中 ようやくサックス先生の「火星の人類学者」と 天童荒太の「悼む人」を読み終えた


前者は脳神経内科の博士であり 彼の著作の幾つかはすでに読んでいる

映画「レナードの朝」の原作者ときけば 知っている人も多いにちがいない

単なるドクターの臨床報告にとどまらず 人間として向き合い 関っていく姿勢がたまらない

病室や研究室を飛び出し 患者(と呼べるかどうかも疑問だが)の生活に触れ 時間や経験を共有することで

ひと の本質をみてとろうと試みる

彼 自らがプロローグで書いているように 先天的もしくは後天的欠陥や障害や疾病という状況に適応し 

再構築させていくひとの(もしくは自然のと言っても良い)「創造的」な力の存在

これこそがテーマである

そして この点においてはいわゆる健常者との違いは何も無いことを知らされる


後者は ある人から借りた本である

借りたというよりも 良かったからもし嫌でなかったら と差し出されたのだ

断る理由も無い 

作者の名前は知っていたし 実はかなり前に別の本をまた別の友人から これもまた同じようなかたちで借りていた

人気があるのは知っていたが あまり得意とするジャンルではなく そのままになっている

だが 今回は相手が相手なので 読んで返さねばならない

そういう気持ちで読み始めた

小説としてはうまく出来ていると感じた

だからこそ 直木賞も取ったのだろう

ただ 私の中では 生と死に対する感覚がかなり出来上がってしまっている

共感できるところが無いでもないが 正直 妙に醒めた目でしか読めないというのが感想


というわけで 今日は読書感想二話

今は 米原万里さんの書評を集めた「打ちのめされるようなすごい本」を読み始めている

ちなみに巻末索引を見ると オリヴァー・サックス氏の別の本が取り上げられている

天童荒太は 無い
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こんな風にでも考えないと

2009年06月07日 | 日記
草取りをした連休から1ヶ月が経過

今の時期だから 庭の様子は見なくても想像がつく

しかし そうとは思いつつ庭の状況を覗く時の感情は 微妙で複雑である

期待と祈りと そして 現実は甘くはないという醒めた気持ちと 結果発表のドキドキ感とが入り混じっている

嫌なものは見ないで通り過ぎたい性質(たち)だが 相手が黙って過ぎてくれない以上は これも仕方が無い

昨日 確認作業

良くも悪くも 期待と予想は裏切られることなく なるようになっていた


今日 思いがけず晴天になったので 3時間の草取り決行

まあまあの状態になったのは やっと庭の3分の一でしかないが 今日はもうやめ 

毎週やらないと奇麗と言える庭にはならない計算に 流す汗に涙が混じった 

というのはウソだが

この先 どうするんだぁ~?と 考えないでもない


だけど けっこうこの庭で生きている命があるんだよね

大人になったらどんな姿になるのか判らない幼虫もいるけど

だから 彼らの為にもうちっとだけ 頑張ってみるか 

地球を借りて生きてると考えるならば ほどほどに庭を奇麗にすることも 大事な恩返し

こんな風にでも考えないと そして 庭掃除の後のビールでもなかったら

とてもじゃないが やる気なんて起こらない  
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