どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

お手玉と6月

2009年06月04日 | 日記
ある人の日記でお手玉の写真を見た

その途端 祖母のことが頭の中でグルグルしだした

祖母手作りのお手玉は 私のへその緒と母子手帳と共に 私の宝物としてタンスの引き出しの中で今も眠っている

子供の頃 お前は橋の下で拾ってきたんだ なんていう親の冗談に むくれながら対抗するのには大切な証拠だった

(しかし 親っていうのはなんであんなつまらぬ事を また 熱いお風呂に入れて20まで数えろなんて言うのかね)


父方も 母方も どちらの祖母も私は本当に大好きだった

一緒に暮らしたわけではないから おばあちゃん子というわけではなかったが 

時々我が家に来て6日間ほど泊まってくれることがあって そんな時は友人との遊びも断るほどの嬉しさだった

そろそろ薬がきれるから帰るなんて言われると 別れの朝は寂しく 学校に行ってもその日はちょっとつまらなかった


時々 その二人が我が家でかち合うこともあった

あら 来ていらしたんですか なんてね

そうして 年寄り二人 なんだか楽しそうに話していた


二人の性格は まるで違った

それは 子供だった私にもよくわかった

まるで違うのに 私はどちらも素敵だと思うことができた


お手玉の作り手は 母方の祖母である

母が祖母から受けた教訓?のいくつかは 私自身は言われたことは無かったのに 未だに忘れることのできないもの

それについては いつか書くかもしれない


今思っているのは 私にもしも素敵な部分があるとすれば それは全て親(先祖も含めて)の遺産であるということ

そうして ダメなところは自分のいたらなさゆえ 

そう思えるようになったことが 私にはとても嬉しい


ある日 帰宅すると おばあちゃんが危篤なので○○に行ってきます と母の置手紙があった

少し前から母は 床についた祖母のところに足を運んでいた 

母には また貴方の家に遊びに行って二人の孫娘が入れてくれるお茶を飲みたいと言ったそうだ

母が耳にする 祖母の初めてのわがままだった と 


母の置手紙を見て 私は何の躊躇もなく また家の鍵を閉めて駅に急いだ

わけあってたった一度 祖母を見舞う為に初めて行ったその家までの道順の記憶を辿りながら 雨の中を急いだ

入梅を過ぎた 6月のことだった

そして その時 生まれて初めて 愛する人との別れを知った
コメント
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