みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

映画「亀も空を飛ぶ」解説(上野千鶴子)とTVドラマ「火垂るの墓-ほたるのはか」

2005-11-03 09:20:19 | ジェンダー/上野千鶴子
一昨日夜、テレビで
終戦60年スペシャルドラマ
「火垂るの墓-ほたるのはか」(中京TV)
を見て、
幼い節子と清太兄妹を襲う過酷な運命に涙しました。
このドラマは、被害者としての「フツーの国民」だけでなく、
戦争そのものの持つ悪魔性、残虐性を切り口に、
見るものに、するどく問いかけます。
「善い戦争などどこにもない」と。

昨夜は、中日新聞夕刊(11/2付)で、
映画「亀も空を飛ぶ」の記事を読みました。
解説を書いているのは、上野千鶴子さん。 
「火垂るの墓」を見て泣きましたが、
「亀も空を飛ぶ」は、映画を見ていないのに、
上野さんの文章を読んだだけで泣きました。

TVで「火垂るの墓」を見た人は多かったと思うのですが、
中日新聞の夕刊を読んでいる人は少ないと思うので、
以下に全文を紹介させていただきます。



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映画「亀も空を飛ぶ」 ~ イラクの苦い現実  
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

 これはドキュメンタリーだろうか? と思うくらいに、子どもたちが生き生きとしている。それもそのはず、パフマン・ゴバティ監督は、クルディスタンの難民キャンプて出会ったしろうとの子どもたちを映画に起用した。そしてかれらと生活を共にして、そのなかからストリート・ハンティングをしたという。
 これはいったい現実だろうか? と思うくらいに、子どもたちをとりまく現実は苛酷(かこく)だ。出てくるのは両腕のない青年、片脚の赤ん坊、そして強かんされた少女。戦争できずついた異形の身体が、まず目を奪う。どうやって探し出したのだろうと思うまでもなく、ゴバティ監督によれば、難民キャンプで気がつくのは障害を持った子どもたちの多さだという。
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 そのうえ、これはたちの悪い冗談ではないか? と思うくらいに、オトナの世界はグロテスクだ。子どもたちは身軽さを利用して地雷原に入りこみ、掘り出した地雷を国連に売る仲介業者の下請けをやっている。子どもたちが危険を冒して掘り出した地雷を、仲介業者は国連に高く売り付ける。というより、オトナの目から見れば、親のない孤児たちは地雷事故で犠牲になっても誰も嘆かない、使い捨ての手足のようなものだ。ここでは「コクレン」という記号は、まるで悪徳の武器商人のようにひびく。そのうえ、掘り出された地雷は、業者の手を経由して再加工されて再びかれらの足許(あしもと)に埋められることまで、子どもたちは知っている。
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 舞台はフセイン政権下で、くりかえし侵略を受けたクルド人の難民キャンプ。時は米軍のイラク進攻前夜。役者は長い戦闘のなかで、親を失い、手や目や脚を失ったこどもたち・・・・こんな設定のもとで、いったいどんな物語が可能なのだろう? と思うわたしたちを、ゴバティ監督はいっきにスクリーンのなかへ引きこんでいく。子どもたちの運命から、わたしたちは目が離せなくなる。 難民キャンプの少年リーダーは、ただひとり衛星放送の技術に強いことで、サテライトと呼ばれる。その少年が、新しくキャンプに来た少女に、淡い恋心を抱く。少女はいつも赤ん坊を背負っていて、ニコリとも笑わない。その少女には、地雷で両腕を失った、さらに無口な兄がいる。やがて赤ん坊は、少女の弟ではなく、実はイラク兵に強かんされてできた子どもだということが明かされる。毒ガス戦争の後遺症なのか、赤ん坊はうまれつき目が見えない。
この暗い目をした少女は、赤ん坊を背負い、兄の世話をし、逃げ続ける生活に絶望している。少女は子どもを殺して自分も死のうとする。そして少年は、赤ん坊を命がけで助けようとする。
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 サテライトはアメリカ通だ。フセインを倒すためにアメリカ軍が来ることを、キャンプの長老たちとともに待ち望む。ある日轟音(ごうおん)とともに、米軍のヘリコプターが「私たちはキミたちの友人だ」といビラを撒きにくる。映画は米軍のイラク進攻後につくられ、それを見ているわたしたちも、米軍がイラクでその後何をしているかを知っている。週末でサテライトが傷ついた脚をひきずりながら、やってくる米兵と目も合わせずにすれちがう。米軍もまた、「もうひとりの侵略者」にほかならなかった苦い現実を示唆して物語は終わる。
 「亀も空を飛ぶ」・・・・この暗喩(あんゆ)に満ちたタイトルでは、「亀」は少女とクルド人のメタファーだ。こんなにも重荷を背負った子どもたちは、どうすれば「空を飛べる」のか? ゴバティ監督はいたるところで題名の意味を聞かれる、という。そしてそれこそが、監督のねらいだ。たちどまって、考えてほしい、と。
 鮮烈な映像だ。試写室の中は、沈黙と重い感動の余韻が支配した。そして何より苦い思いは、この子どもたちを崖(がけ)からつきおとすことに荷担したのが、わたしたち日本国民であるという事実だ。
 これはほんとうに21世紀の映画なのだろうか?
 信じたくないが、これが世界の現実なのだ。

名古屋市11日まで。
クルド人のゴバティ監督が、イラク北部のクルディスタンの難民キャンプを舞台に製作した映画「亀も空を飛ぶ」は、名古屋・名駅西のシネマスコーレ(11日まで、電052・452・6036)、東京神保町の岩波ホール(25日まで、電03。3262・5252)などで上映中。

(2005.11.2 中日新聞夕刊より)
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goo映画「亀も空を飛ぶ」の解説

暴力や戦争は、いつも子どもや、弱いものの身に降りかかる。
「亀も空を飛ぶ」は60年前の出来事ではなく、
いま現実に起きていることだ。
わたしになにができるのだろう。

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コメント (15)
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