を紹介して、昨日まで出かけていて、今日の毎日新聞の夕刊を開いたら、
なんと色川さんのすてきな写真つきの特大「特集ワイド」。
なんという偶然でしょう!
ということで、もううれしくって、
今日は午前中に淡竹と香茸(コウタケ)の混ぜご飯の
記事を出したのですが、出血大サービス。
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<特集ワイド>この国はどこへ行こうとしているのか 色川大吉さん 毎日新聞 2008年5月23日夕刊 <おちおち死んではいられない> ◇いらだちの「思想(ナショナリズム)」時代--歴史家・82歳・色川大吉さん ◇発展しつつある国に嫉妬や反発生まれる 今、その対象は中国に 別荘地として名高い清里高原近く、山梨県北杜市にある色川大吉さんの自宅を訪ねたのは、大型連休が明けたころ。病気治療や執筆に専念するため、近くに友人が住むここに移り住んだ。新緑のまぶしい木立の中に並ぶ2軒の家には、表札がない。携帯電話で「緑色の壁のお宅ですよね」と確認し、エメラルドグリーンの外壁の家のインターホンを押した。……が、押せども押せども誰も出てこない。壊れてるのかしら? ドアをノックしようとしたその時、「こっちですよ」と、隣の深緑色の家から手招きする人が見えた。「まあ、お茶でも飲んでから」。かくして午後の日差しの降り注ぐリビングで、ゆったりと話は始まった。 ■ 東京大学文学部在学中、学徒出陣で海軍航空隊に配属され、復員した色川さんが、「ある昭和史―自分史の試み」を出版したのは1975年。歴史書としては異例の30万部のベストセラーとなった。これまでの常道を打ち破り、歴史家としての「自分」を前面に押し出して終戦までの昭和を語った。色川さんの試みは無論、学会から猛烈な反発を食った。しかし、これが一般の読者には受け、今も続く「自分史」ブームのきっかけとなった。 それから30年余を経た今年2月、続編にあたる「若者が主役だったころ わが六○年代」(岩波書店)を出版した。自身はプリンストン大に招かれる前、学問も市民運動も充実した時期だった。「書いていて、今がいかに1960年代と違うか、明確になりました。60年代は若者にとって先に希望の持てる明るい時代だった。今は老いの時代。社会の主要テーマが年金、高齢者医療、介護、少子化でしょ。人類的主要テーマといえば、資源の枯渇、環境問題、発展途上国の飢え、それらを巡る内戦や戦争、自然災害。気の毒なくらい楽しくない時代ですよ」 穏やかな表情、柔らかい口調。でも出てくる言葉は厳しい。 「日本は、われわれは関係ないよ、お金をたっぷり持っているから食料は買えばいい、石油だって少々高くたって買えるさと思ってきた。それがここにきて、どこまで上がるのか分からないぐらい高騰を始めた。すると、人は今持っているものを守ろうと保守化し、見通しの良くない生活の中でいらだちが出てくる。それが国民的な形になると、いらだちのナショナリズムとなってくるわけです」 ■ 聞き慣れない、しかし不穏な言葉が出てきた。「いらだちのナショナリズムが生まれると、発展しつつある国、日本を脅かすかもしれない国に対する嫉妬(しっと)や反発の感情が出てくる。今はその対象は中国です」 その日は折しも、聖火がチョモランマ(英語名エベレスト)の頂上に到達した日だった。山男だという色川さん。ほおを上気させ「感激ですよ。世界のクライマーはイデオロギー抜きで喜びますよ」と語ったのもつかの間、顔を曇らせた。 「聖火リレーなんてものは、政治と関係なくやるのがスポーツの精神。なのにチベット問題とひっくるめてしまう。チベット問題なんて20年も30年も前からあったんです。そのころ僕らがいくら叫んでも動きもしなかった人々が、今になってああだこうだと言う。今の反中国感情は、チベット問題だけから来るものではない。急成長に対するねたみ、ライバル意識、やがて追い抜かれるんじゃないかといういらだち、資源浪費の元凶だという怒り――。それらがミックスされ、反中国感情となっている」 色川さんは、さらに恐ろしいことを言った。「いらだちのナショナリズムは、どうせなら何もかもぶち壊せ、戦争でも何でもやった方がいいというアナキズムを生み出すんです」 話を聞きながら頭の中を満州事変から日中戦争、太平洋戦争と拡大していった苦い歴史がよぎった。戦争のない今でさえ、肩が触れたり、目が合っただけでトラブルになる。急ぎ足の人波に乗れず、もたついただけで舌打ちされたり……。そんな日本にいつ、なったのだろう。 「今の新自由主義にも一因はありますよね。公的な規制を緩和し、民間の自由市場に任せようという考え方は、経済が順調なときは目立たないが、ちょっと挫折すると矛盾が顕在化する。格差が広がったとき、昔は労働者なら労働組合、学生なら自治会連合、消費者なら消費者団体などが、組織を作って闘っていた。でも、今はその組織がガタガタになって、バラバラにされた砂粒のような個人が不満をためているんです」 何だかお先真っ暗、と思っていたら、色川さんはこちらの心を読んだかのように、「暗い見通しばかりではないですよ」と続けた。「ユニオンをつくるんです。1人では無力かもしれないが、50人、100人なりのグループで発言すれば社会に届く。今はインターネットの時代。若い人の得意分野じゃないですか。内にこもるのではなく、外に発信する使い方をすれば、こんなに大きな力はありません」 ■ 熱のこもった口調につい引き込まれ、あっという間に時間が過ぎた。そろそろおいとまと思っていたら、色川さんは「もうひとつね」と語り始めた。 「僕は昭和天皇とともに時代を生きてきた。あるときは神と思い崇拝し、あるときは憎悪の対象にした。昭和天皇が国民に対して、戦争をさせてすまなかったと一言もわびなかったのは悪いと思いますよ。ただ、その思いを伝えるため、今の天皇は黙々と努力している。沖縄に行き、サイパンに行き、露骨に謝罪は述べられないけれど、最大限の哀悼の意を表している。天皇、皇后のつらさを、国民は分かっていない。それでいながら、雅子さんに非難を浴びせる。皇族は、日本の中で基本的人権を最も奪われているファミリーなんです。それをどれだけ国民が自覚しているか。僕は、皇族を人権を持つ自由な人間として解放してあげたい。天皇制はやめればいい」 一気に語り終えた色川さんは、一拍置いて付け加えた。「皇室に対して、こんなにズケズケ言うのは私ぐらいでしょ」 無邪気な笑顔を向けられた。教授時代は、女子学生に人気だっただろうなと、想像した。【小松やしほ】 ……………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇いろかわ・だいきち 1925年、千葉県生まれ。東京経済大名誉教授。専攻は日本近代史・思想史。民衆思想史の分野を開拓し、自分史を提唱する。シルクロードやチベットの踏査、水俣病の学術調査、反戦運動など幅広く活躍。 (毎日新聞 2008年5月23日) |
NPOが『公』の担い手になるには?~市民社会で脱・下請け
/「若者が主役だったころ」(色川大吉著) の再掲です。
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5月20日の岐阜新聞夕刊の新刊案内は、色川大吉さんの
「若者が主役だったころ わが60年代」(色川大吉著/岩波書店)
「若者が主役だったころ」(色川大吉著) 自分史の提唱者である歴史家の著者が、戦後の廃墟から立ち上がり、 高度成長に突入していく1950年、60年代を個人の同時代史と して描いた。 著者は、くみとり式トイレの悪臭にへきえきとなり、食べていく のに必死でありながら、学問と歴史への情熱に燃えていた。貧しさと 隣り合わせの時代だったが、少子高齢化、介護問題など思いもよらず、 停滞感や閉塞(へいそく)感とも無縁だった。 著者はどこに立ち、何を見て、どう思考していたのか、仕事、家庭、 友人関係など、著者の生きざまを重ねながら、激動の時代の光と影、 そして、悲劇と喜劇を描く。 (岩波書店・3150円) (2008.5.20 岐阜新聞夕刊) |
わたしは色川さんのファンなので、
この本はもう読みました。
前著の『カチューシャの青春』は、色川さんからいただいた直筆サイン本です。
『若者が主役だったころ』の60年代は、わたしの子どものころなので、
出来事にも記憶があり、けっこう分厚い本なのですが、
とても面白く読みすすめました。
本の中に出てくる色川さんが編んだ『日本の歴史』(中央公論)は、
姉が配本を購読していて、わたしがひかれて読んだ歴史全集なのです。
わたしは、この本で色川さんを知ったのですから、何とも不思議なご縁です。
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