ソウル3日目は終日フリーなので、板門店ツアーを申し込みましたが、米軍の休日を理由にツアーがキャンセルとなりました(最近、このようにキャンセルとなる場合が多くなっているとのことです)。
そこで、DMZ(The Demilitarized Zone:非武装地帯)ツアーに申し込みました。
ロッテホテルを出発し、ソウル市内を流れる漢江(はんがん)に沿って、ツアーバスはDMZへ向かいます。
漢江とイムジン川が合流する地点が近くなると、漢江の川岸に有刺鉄線が張られ、一定間隔で監視小屋が建っています。北朝鮮が近くなったことが分かります。
何年か前に、北朝鮮の兵士が漢江を泳いで渡り韓国に上陸した事件以来、警護が厳しくなったということです。
DMZ近辺の道路の両側は草むらですが、道路と草むらの間にロープが張られており、そのロープに赤い三角形の布が取り付けられています。
その布は、地雷が埋まっていることを示す警告表示です。
急に、緊張感が高まってきました。
日本と韓国での呼称の相違について、現地ガイドから説明がありました。
朝鮮戦争を韓国では韓国戦争と、朝鮮半島を韓半島と読んでいます。
38度線は韓国戦争前の国境で、現在は休戦ラインと呼ばれています。
DMZ内の公園に到着すると、先ず「自由の橋」が見えます。
自由の橋は現在、臨津江(イムジンガン)を渡る唯一の橋で、1953年、休戦協定が締結された後、戦争捕虜13000人がこの橋を通って帰って来る時に「自由万歳」と叫んだので「自由の橋」と呼ばれています。
「自由の橋」は途中で塞がれていますが、一日も早く開通するようにとの願いを書いたリボンや折鶴が飾られていました。
民族分断の悲しみが伝わってきます。
民族統一を願うモニュメントです。二つに分かれた球体の内側に、北朝鮮と韓国の地図が描かれています。
次に、第3トンネルを見学しました。
第3トンネルは1978年10月17日国軍が発見した3番目のトンネルです。 ソウルから52km離れた所にあり、1時間当り1万人の兵力が移動できる規模があります。このトンネルが見つかった当初は北朝鮮側が韓国側が掘ったものだと主張をしましたが、トンネルの内部の爆破でそれが南に向いているという痕跡が見られ、北朝鮮側の虚偽が明らかになったという経緯があります。
残念ながら撮影禁止のため、掲載できる写真はありませんが、トンネルの規模はすごいの一言です。
北朝鮮の怖さを再認識しました。
韓流ドラマフアンの妻が、可愛いと撮影した韓国軍兵士です。
「南北双方は、5月17日に分断の鉄条網を越えて走っていく列車の姿を見守った。その日に限ってひときわ晴れ渡った空に向かい、力強い汽笛を鳴らして走った列車の姿から、統一と繁栄に向けた民族の意志と気概を感じた」と新聞に掲載された、韓国側の北朝鮮に最も近い駅、『都羅山(トラサン)駅』です。
平壌方面の文字が見えます。
韓国の関係者が、「『都羅山(トラサン)駅』はもはや南側の最後の駅ではなく、北に向かう最初の駅だ。また『板門(パンムン)駅』はもはや北側の最後の駅ではなく、南に来る最初の駅だ」と語っていました。
一日も早く、南北鉄道が開通することを願っています。
民族分断の深刻な現実を見た後、昼食にプルコギをいただきました。
あんなに深刻な現実を見た後でも、食事は別で、とても美味しくいただきました。
今回のDMZツアーを体験した後で、それまでの韓国に対する見方が大きく変わりました。
民族分断の事実は、頭では分かっているつもりでしたが、実際に体験してみると、その現実の重さは例えようがなく重く、北朝鮮との間の戦争状態(休戦協定は締結しているが、平和条約は未締結)に伴う警戒感と、民族統一を希望する感情との間で、揺れ動く矛盾した想いが、痛いほど伝わってきました。
貴重な体験をした1日でした。
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そこで、DMZ(The Demilitarized Zone:非武装地帯)ツアーに申し込みました。
ロッテホテルを出発し、ソウル市内を流れる漢江(はんがん)に沿って、ツアーバスはDMZへ向かいます。
漢江とイムジン川が合流する地点が近くなると、漢江の川岸に有刺鉄線が張られ、一定間隔で監視小屋が建っています。北朝鮮が近くなったことが分かります。
何年か前に、北朝鮮の兵士が漢江を泳いで渡り韓国に上陸した事件以来、警護が厳しくなったということです。
DMZ近辺の道路の両側は草むらですが、道路と草むらの間にロープが張られており、そのロープに赤い三角形の布が取り付けられています。
その布は、地雷が埋まっていることを示す警告表示です。
急に、緊張感が高まってきました。
日本と韓国での呼称の相違について、現地ガイドから説明がありました。
朝鮮戦争を韓国では韓国戦争と、朝鮮半島を韓半島と読んでいます。
38度線は韓国戦争前の国境で、現在は休戦ラインと呼ばれています。
DMZ内の公園に到着すると、先ず「自由の橋」が見えます。
自由の橋は現在、臨津江(イムジンガン)を渡る唯一の橋で、1953年、休戦協定が締結された後、戦争捕虜13000人がこの橋を通って帰って来る時に「自由万歳」と叫んだので「自由の橋」と呼ばれています。
「自由の橋」は途中で塞がれていますが、一日も早く開通するようにとの願いを書いたリボンや折鶴が飾られていました。
民族分断の悲しみが伝わってきます。
民族統一を願うモニュメントです。二つに分かれた球体の内側に、北朝鮮と韓国の地図が描かれています。
次に、第3トンネルを見学しました。
第3トンネルは1978年10月17日国軍が発見した3番目のトンネルです。 ソウルから52km離れた所にあり、1時間当り1万人の兵力が移動できる規模があります。このトンネルが見つかった当初は北朝鮮側が韓国側が掘ったものだと主張をしましたが、トンネルの内部の爆破でそれが南に向いているという痕跡が見られ、北朝鮮側の虚偽が明らかになったという経緯があります。
残念ながら撮影禁止のため、掲載できる写真はありませんが、トンネルの規模はすごいの一言です。
北朝鮮の怖さを再認識しました。
韓流ドラマフアンの妻が、可愛いと撮影した韓国軍兵士です。
「南北双方は、5月17日に分断の鉄条網を越えて走っていく列車の姿を見守った。その日に限ってひときわ晴れ渡った空に向かい、力強い汽笛を鳴らして走った列車の姿から、統一と繁栄に向けた民族の意志と気概を感じた」と新聞に掲載された、韓国側の北朝鮮に最も近い駅、『都羅山(トラサン)駅』です。
平壌方面の文字が見えます。
韓国の関係者が、「『都羅山(トラサン)駅』はもはや南側の最後の駅ではなく、北に向かう最初の駅だ。また『板門(パンムン)駅』はもはや北側の最後の駅ではなく、南に来る最初の駅だ」と語っていました。
一日も早く、南北鉄道が開通することを願っています。
民族分断の深刻な現実を見た後、昼食にプルコギをいただきました。
あんなに深刻な現実を見た後でも、食事は別で、とても美味しくいただきました。
今回のDMZツアーを体験した後で、それまでの韓国に対する見方が大きく変わりました。
民族分断の事実は、頭では分かっているつもりでしたが、実際に体験してみると、その現実の重さは例えようがなく重く、北朝鮮との間の戦争状態(休戦協定は締結しているが、平和条約は未締結)に伴う警戒感と、民族統一を希望する感情との間で、揺れ動く矛盾した想いが、痛いほど伝わってきました。
貴重な体験をした1日でした。
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