常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

緑のカーテンその後

2012年07月18日 | 日記


午後の陽射しを和らげるためゴーヤで作る緑のカーテンが成長してきた。西のベランダのサッシが8割程度埋まるほど葉が繁っている。心なしか、日ざしもやわらぎ、少し薄暗いように感じる。目を凝らすとゴーヤが5本ほど生っている。

ここは北からも南からも、また西からも風が入るので、室温はさほど上がらない。だが、一昨日のように35℃を超えると風が生暖かく、やはり耐え難い温度になる。そんなとき、緑のカーテンを見るとほっとする。夕方、ゴーヤに水をやるとしなだれていたゴーやは息を吹き返し、室内にいる人間も生き返るようだ。



ひよこ豆を芽だしした。二晩おいてこんな感じ。暑いのでこまめに水を取り替えたため、芽出しが遅かったのかも知れない。ただ水に浸けただけのものと、芽だししたものでは栄養価が全く違う。乾燥した豆には全く含んでいないビタミンCが豊富になり、A,E,C群も豊富になる。また澱粉の一部は糖に変わるので甘みが増える。



芽だししたひよこ豆を水でゆすいで水から15分塩茹でする。フライパンでオリーブオイルを熱して、おろしニンニクを小さじ1程度炒めて香り付けをする。この熱々のオイルをひよこ豆にかけると、ジュッと音がして豆に油と香りがしみ込んでいくのが分かる。適量の塩を加え、黒コショウで味付けをして出来あがり。

シンプルなひよこ豆のガーリック味だが、食べてみるとその深い味わいに驚く。ほくほくとした食感に加え、忘れていた豆のおいしさがあとを引く。豆にはカリウムが多く含まれ、これを摂ることで塩の取り過ぎも是正してくれる。
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マタギ

2012年07月18日 | 登山


最近、人の生活圏への熊の出没のニュースがあとを絶たない。尾花沢のスイカが無残に食い荒らされたり、あろうことか朝の散歩コースである千歳山に子連れ熊の目撃情報が寄せられたりしている。今朝の散歩で「熊出没注意」ののぼりが目についた。

本来なら熊は深い山で生活し、里の人家には滅多に顔を見せるもではない。山には熊の生活圏があり、そこで子を産み、食べものを得るのに充分な環境であったから人との住み分けもきちんと守られていた。

これほど里に熊が出るようになったのはここ十数年のことだ。熊の個体数が増えているわけではない。むしろ山の開発が進み、森林が荒廃して、熊の食料が十分でなくなったことに原因があるようだ。里でひとたびスイカやミツバチ、りんごなどのおいしい食料を知ってしまうと、熊はその味を求めて、子連れで里に来るようになる。



かつては狩猟を生業として生きる山びとの存在があった。先日登った森吉山の山麓にも、その跡が残されている。北秋田市の阿仁、根子、打当、比立内などの地域だ。これらの里には、冬は熊を打ち、夏はイワナ、ヤマメなどの漁して過ごした人々がいた。この人たちをマタギという。

日本に稲を持ちこんだ大陸の人種が来る前には、人々は狩猟と採集の生活を続けていた。農耕が一般化した時代になっても、猟の技術を持ち、山の生活に慣れた山人は、農耕を妨げる獣を防ぎ、山案内をして暮らしの糧を得ていたと考えられる。

写真は打当温泉マタギの湯の前に展示してある、マタギの山小屋である。マタギは山でこのような小屋を立てて、狩猟をした。少人数で行うのをとも猟、20人からなる大掛かりな猟をたつま猟と云った。猟の組織はシカリ(親方)、セイゴ(獲物を追い込む人)、ムカイマッテ(合図する人)、ブッパ(銃を撃つ人)で構成され、シカリの合図ひとつで、縦横無尽に動いた。

マタギは深い山の中で、熊などの動物を得る危険を伴う仕事だ。この組織には厳しい掟があった。本人が結婚すると1年間は狩りに参加することを禁じられ、出産は男児が3日間、女児は5日間、葬式後21日間、妻の月経時には山へ入ることが禁じられた。

マタギが山入りすると、最初に見切りと言うものを行った。熊の糞を見つけ、それをほじくる。熊の食べたものを時系列で判別することにより、熊の行動範囲を特定することである。山に馴れ、地形が頭に入っているマタギなら、熊の通り道が特定できるという。

こうして獲た熊は、背負板に載せて麓に降ろされる。麓には山肉商がいて、一頭をまるまま買い取る。100キロぐらいの大熊なら、大体30万くらいになる。その内訳は、肉と毛皮で15万、薬の原料になる熊の胆は15万と極めて高価だ。熊の胆とは肝臓から分泌され、胆のうに貯えられる胆汁のことである。薄い胆のうを破らないように取り出して、弁当箱のようなもの入れて囲炉裏の上の棚で干し上げる。

こうした山人が次第に少なくなり、熊をし止めることがなくなっていったことも、熊が里へ現れるようになったことの背景にあるやも知れぬ。自然界の生態系が、人間の生活の変化とともに微妙に崩れつつある。
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