常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

河童(かっぱ)2

2012年07月04日 | 読書
中国では、川の怪獣に水虎というのがある。

漢和辞典には、「水虎、川の怪獣、河童に似た生きもの」と記されているから、どうやら実在するものであるらしい。明代の博物誌『本草綱目』によると、水虎は河北省を流れる涑水という河にいて、3,4歳の幼児のような体形で、背に硬い甲羅があり、矢を射ても通らないという。虎の掌の爪のような膝頭を水上に出している。子供がそれに悪戯をすると、噛みつく。

この知られない水虎の頭に皿を乗せたものが、日本の河童で、手の指には水かきがついている。江戸時代には、河童の存在が信じられたいたらしい話がある。

天明元年の8月、江戸の仙台河岸にあった伊達の蔵屋敷で、幼児があまりに多く川に溺れて死ぬので怪しんで川浚いをしたところ、河童が出てきたので、役人が鉄砲で撃ち殺して塩漬けにした。その河童を絵に描いて、奉行所で見せたところ、町奉行が以前に見た河童とそっくりだと話したという。

また『夜窓鬼談』には、筑後梁川のあたりの話としてこんなのがある。

あるとき、藩士の妻が寺に参詣した。すると、茶店に美童がおり、しきりにかの妻女に挨拶をする。妻女はてっきり、寺の寵童かと思って気にもとめなかったが、童はしきりに秋波をおくり、近づいて妻女の手を取ろうとする。妻女は武士の妻らしく、毅然としてその童の手
きつく捻った。童は号泣して立ち去った。

妻女は寺の僧に、このことを話したが、寺にはそんな者はいないという。不思議に思って家に帰って、雪隠に入ると、秘所に手を伸ばして探ってくるものがある。妻女は刀でその手を切り取ったところ、三指、長爪、蒼黒な皮膚で滑らかだった。ほど経て、かの童が来て、泣きながら手を返してくれるように頼んだ。素性を問うと、河童であった。

朝川善庵は『善庵随筆』のなかで、やはり河童について記している。

河童のために水に引き入られた水死人の肛門が開いているのは、河童が肛門から入って臓腑を食うからだというのは間違いで、溺死者はみな肛門が開くものであると、解説している。

明治になって西洋の実証主義の学問がいきわたるまで、日本人は、説明のつかないできごとを怪異のせいにして、生きてきた。河童にまつわる説話にも、そうした日本人の生き方が色濃く写されている。この地上にある様々な神秘を解明するなど、とうていできるものではない。人力では立ち向かえない事象に、謙虚に己の力の限界を認め、先人の知恵に学ぶ範囲はかなり広くあるように思える。
コメント
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